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周りと競うことで見えなかった本質

どうも、かべちゃんです。今日の話は競うということです。自己成長や目標のために、ライバルと競い合うということもあると思います。そんな時に意識しておきたいこと、気をつけたいことを自身の体験から話をしたいと思います。

1.負けたくないから生まれた競争心

 自分が1番がよかった。負けたくなかった。そんな気持ちでいたのは、僕が大学1年の夏頃だった。なんでそんなことを思ったのか。それはTOEICという存在。僕がいた大学の学部では定期的にTOEICを受験することが決まっていた。そんな中、一番最初のTOEICのテストで日本人学部生の中でも上位の点数だったらしく、トップという噂もあった。(実際はそうでなかった)そんな中で僕は自分が1番で周りに負けたくないという変なプライドを持っていた。それと同時に当時の僕は天狗になっていたが、当時の僕は気付かなかった。

2.競争することで見失った自分

 その後も定期的にTOEICの受験は続いた。もちろん、当時の僕は周りと点数に競うことに夢中だった。それに点数もしばらく上がっていたので、周りをライバル視して競うことで、成果が出ていると勘違いしていた。とんだ勘違いだった。そして2年になった時に、それが勘違いで意味のないことだったと気づく。

 2年になって受けたTOEICのテストで僕は大幅に点数を落とした。ちょうど、その時からTOEICの形式が変わり、僕だけでなく周りも僕と同じように点数を落としていた。。「次は絶対に点数とって周りに負けない」そう思いながら次のTOEICも受けた。確かに前回より点数は上がったが、周りの方が点数が高かった。また、負けた。そう思っていた。

3.ジコチューで行こう!

そうして伸び悩んでいる時に先生が僕に「なんのためにTOEICを受けてるの?、競争することに意味はあるの?」と言ってくれた。そのとき初めて気づいた。僕の考えが間違っていることに。

 僕は高校まで野球をやっていた。自分のポジションを取るために競うことは当たり前だった。そんななかで育ってきた僕は、自然と競い合うことを意識していた。自分のポジションを取るために、競争するのは悪くないと思う。ただそれが目的になってしまえば意味がなくなる。

 TOEICを受ける目的は自身の英語力を向上すること。それが学部としての狙いであるのは間違いないし、生徒も自身のためにと思って受験しているはずだ。だけどそれに僕は気付かなかった。自分の英語力を向上させる目的をもって、周りと切磋琢磨しながら、競うのであればまだ良かったのだが僕は完全に手段と目的を間違えていた。

 それ以来、僕は人と比べて競争することをしないようにした。間違ってもそれが目的にならないように。何か物事をするにしても、目的と手段を意識して取り組んだ。ある意味もっと、ジコチューで行こう!と思った。目的と手段、競うことの意味を僕は大学生の間に知れてよかった。先生には本当に感謝している。もっと早く分かっていたら…そんなこと言っても仕方ない。

4.最後に

 今のこのご時世で、部活動も満足にできない学生も多いと思う。部活動で部員と切磋琢磨して競うことには、悪くないと思う。だけどそれを目的にするのは違う。自分のポジションを取ることが目的で、その取る手段が競うことだと僕は思う。多分社会にででも、会社のなかでの競争はあると思う。だけどそんな時でも僕は意識していたい。大学で気づいたこの学びを

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