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鑿壁読書 December 2020

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1)平田オリザ『わかりあえないことから』講談社現代新書(2012)

 しかし、そういった(スピーチやディベートのこと:引用者注)「伝える技術」をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子どもの側にないのなら、その技術は定着していかない。では、その「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。(p.25)

章ごとの内容の一貫性が薄くて「で、何が言いたいんだっけ」となるけれど、冗長率の話は興味深かったです。


2)岩壁茂ほか『臨床心理学入門』有斐閣アルマ(2013)

図書館で借りました。大きく3つのアプローチに分けて臨床心理学の理論を紹介。まとめの部分で、同じクライエント(架空)に対して、それぞれのアプローチはどのように違ってくるのか、そしてそのある一つのアプローチに対して、他のアプローチを用いる臨床家がコメントを寄せているのが興味深かった。

3)河合隼雄、谷川俊太郎『魂にメスはいらない ユング心理学講義』講談社+α文庫(1993)

(谷川)ぼくは詩を書きはじめたころに、詩を書く一番もとになる心的なエネルギーは何か、と漠然と考えたことがあるんです。そのころ思ったのは、それはいわゆる感情というものではないんじゃないかということなんです。(中略)(他人に対する怒りや、わけのわからない悲しさ)そういう心理によって詩を書くのではなくて、それよりももっと奥のほうの、ぼくはそのころ仮に「感動」と呼んだんだけど、感動みたいなものによってであると。(p.245)

河合隼雄と谷川俊太郎の対談。「感動」は意識の深いところにあって簡単には言語化できないという。小林秀雄が「美を求める心」の中で「美しいものは、諸君を黙らせます。」と言っていることにも通じるところがありそうですね。また、谷川俊太郎の詩「たったいま」は無意識のこころの動きを捉えているんじゃないかと読めてきました。

こころはいつもふらふらしている
こころはいつもふるえている
こころはいつもさまよっている
こころは晴れたり曇ったり

そんなこころの深みには
ひとすじの清らかな流れがあるはず
(谷川俊太郎「たったいま」より)


4)河合隼雄『カウンセリングを語る(上・下)』講談社+α文庫(1999)

カウンセリング研修講座の講演記録をもとにしていて喋りことばに近いので読みやすいです。

(前略)何かそういう名前のついたテクニック、こういう普通の話しあいを超えたテクニックをみんなが好きになられて、ある人にそれを使ってやりますね。やったときにそのテクニック通りにものすごくうまいこといくような場合は、これはもう、ものすごく危険な場合であると思ったほうがよろしい。もう、しないほうがいいぐらいです。だいたいひとりの生きた人間が、こっちの考えたテクニック通りに動くというのはおかしいわけです。(p.336)


5)ディケンズ『クリスマス・キャロル』新潮文庫(2011)

「僕はね、こう言おうとしていただけなんだよ。あの人(主人公)が僕らを嫌って、僕らと一緒に楽しく過ごそうとしない結果はね、なんの害にもならない愉快な時間を少しばかり損をしただけだということさ。(後略)」(p.121)

守銭奴で偏屈者のスクルージ(主人公)に毎年チャンスを与えてくれる甥っ子のメンタリティがすごい。愛想つかしてしまいますよ、普通。

スクルージが幽霊に連れられて過去・現在・未来のクリスマスの様子を目にする。未来のクリスマスでは寂しい最期をとげた男がいて…… 「死に際のことを考えると人は考えが変わる」ってどこかで聞いたとおもったら、スティーブン・コビーの『七つの習慣』ですね。谷川俊太郎も「たったいま死ぬかもしれない こころの底からそう思えれば あらそいもいさかいもしたくなくなる」なんて言っています。おやおや、またつながりましたね。

ともかく、クリスマスには「○○○爆発!(死語?)」なんて言っていないで、楽しく過ごそうと思わせてくれる作品でした。


6)ラルフ・フリードマン、藤川芳朗訳『評伝ヘルマン・ヘッセ(上・下)』草思社(2004)

図書館で借りて、1か月半を費やして読み終えました。

ヘルマン・ヘッセの作品に見られる顕著な特徴の一つが、これは何度も起こったヘッセ・ブームを説明する一助にもなるのだが、彼の人生と彼の芸術との相関関係である。ヘッセは、精神の危機を克服するための手段として、同時代の他の大半の作家よりも直接的に創作活動を作品に取り上げ、そうすることによってその危機を、内容的にも形式的にも、作品の素材として利用し、危機を克服して成長していったのである。(pp.154-155)

ヘッセの作品と彼の人生の切れない関係が見えてくる本でした。これは本当に偶然なのですが、近頃は河合隼雄の著作を読んでいたからか『デミアン』で夢や絵が登場したときに「どうもこれはユングの影響がありそう」と思っていました。この評伝ではヘッセがユングの弟子に治療を受けていたこと、ユング自身と交流があったことも記されています。また、ヘッセが家族や友人と頻繁に手紙のやり取りをしていたとは初めて知りました。

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雑感

どうもヘルマン・ヘッセの虜になってしまったようです。評伝のおかげで作品の発表の時系列がつかめたので、それに沿って読んでいきたいと思います。それにしても、なぜ高橋健二訳の『ガラス玉演戯』(新潮文庫)は絶版なのか!!!

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