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鑿壁読書 November 2020

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1)河合隼雄『心理療法入門』岩波現代文庫(2010)

 個人を大切にする、と言っても、その個人は社会のなかに生きているのだ。社会の状勢を無視して、個人のことを考えることはできない。と言って、時に誤解されるように、社会に早く適応することを目標として心理療法をするわけではない。社会の一般的傾向と異なるにしても、その個人の意志、欲求を尊重して考える。(中略)あくまで、その個人を中心として考えてゆく。(p.203)

2)寺山修司『幸福論』角川文庫(2005)

ある種の人たちにとっては、反省することもまた快楽であるらしいのだが、反省は思い出を傷つける。快楽としての反省、その奢りと改心癖は幸福論の最大の敵なのである。(p.211)

3)ヘルマン・ヘッセ、高橋健二訳『デミアン』新潮文庫(2007)

なんとなくBOOKOFFで買ったけれど読んでみたら傑作だったシリーズ第2弾。ヘッセがユング心理学に触れた時期に書かれた作品らしく、夢の場面が重要な意味を持っていたり、自己の道を見出すということが書かれているように思います。『車輪の下』よりも『デミアン』のほうが好きかもしれない。

きみはときどき自分をふうがわりだと考え、たいていの人たちと違った道を歩んでいる自分を非難する。そんなことは忘れなければいけない。(中略)予感がやって来て、きみの魂の中の声が語り始めたら、それにまかせきるがいい。(p.163)

4)森毅『まちがったっていいじゃないか』ちくま文庫(1988)

ちくま文庫のフェアで見つけました。主に中学生に向けて書かれたようですが、自分の過去や未来に不安がある人にも響く内容だと思います。著者は数学者ですが、一人称の「ぼく」も相まって、優しいおじさんと喋っている気分で読めました。

とある中学校の掲示で、「掃除をさぼると他人が迷惑するからいけない」というのがあったらしい。それに対して「いやな気がした」と。

 サボりをまったく許さないクラスというのは、むしろこわい。それで、たまにさぼる人間が少しだけいるほうが、かえってクラスの雰囲気はよくなる。(「ケシカランとは言うまい」p.16)

5)山本貴光『マルジナリアでつかまえて』本の雑誌社(2020)

2020年の読んでよかった本ランキングのベスト3に入りそうな本。本の余白に目を向けて、そこで繰り広げられるドラマを追っていく。著者と同じく本への書き込みに抵抗があった私ですが、この本を読んでから読書の楽しみ方が広がった気がします。

6)藤田節子『本の索引の作り方』地人書館(2019)

『マルジナリアでつかまえて』で紹介されていたので図書館で借りてみました。目次と違う索引の役割、電子書籍で単語を検索するのとは異なる索引作成の目的などなど、自分が本を読むときにもオリジナルの索引を編んでいけば情報の整理がうまくできそうです。

7)ヘルマン・ヘッセ、岡田朝雄訳『地獄は克服できる』草思社文庫(2020)

ヘッセのエッセイのアンソロジーの邦訳。発表順ではないので、ところどころ飛躍のようなものを感じます。

(前略)昔の私にとってあんなに大切で神聖なものであったこれらの作品が、美しいけれど内容に乏しいことに驚く一方、やはりなんといっても私は自分がかなりの虚栄心をもっていることを認めずにはいられなかった。(「町への遠足」p.246)

8)金城一紀『レヴォリューション No.0』角川文庫(2013)

「いまの学校にいて分かったことがあるんだ。なにかが間違ってるのに、それが当たり前みたいになってたら、そのままにしておいちゃいけないんだ。間違ってるぞってちゃんと声を上げたり、間違いを気づかせるために行動する人間が必要だと思うんだ。僕はそのためにいまの学校にいたいと思ってるんだ」(p.145-146)

ゾンビーズシリーズ。『レヴォリューションNo.3』を読んでいないと面白み半減だと思うし、『フライ、ダディ フライ』に比べると盛り上がりが足りないと感じるかもしれません。

9)ルソー、永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』光文社古典新訳文庫(2012)

図書館で借りました。思索ではなくて「夢想」というのがひとつのミソらしい。

人間の自由はやりたいことをやることにあるのではない、と私は常々考えてきた。「嫌なことはしない自由」こそが自由である。それこそ私が求めてきた自由であり、しばしば守り通してきた自由である。(「第六の散歩」p.143)

10)ヘルマン・ヘッセ、高橋健二訳『車輪の下』新潮文庫(2015)

再読。詰め込み教育をして少年をつぶしてしまう教育者への反論のように書かれていますが、本書が推薦図書としてたびたび選ばれるのはどうしてなんでしょう。再読で印象は変わりました。1回目はエンディングが悲劇的でつらかったけれど、今回は学校で過ごす主人公が心配でたまらなかった。

(前略)ほかならぬ学校の先生に憎まれたもの、たびたび罰せられたもの、脱走したもの、追い出されたものが、のちにわれわれの国民の宝を富ますものとなるのである。しかし、内心の反抗のうちにみずからをすりへらして、破滅するものも少なくない――その数がどのくらいあるか、だれが知ろう?(p.141)


雑感

思った以上に「学校」にまつわるお話を読んでしまいました。だからこそヘルマン・ヘッセに親しみを持てているのかもしれません。

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