「にゃー」のレジュメ
第五章 現代思想の中の民主主義
1. ジャック・デリダ
フランス現代思想の最盛期
1961年から1962年にかけて、フーコー・レヴィナス・レヴィ=ストロース・ドゥルーズらの重要著作が公刊される中、デリダも初の著作『「幾何学の起源」序説』を刊行、これによって彼の哲学者としての著述生活が始まることになる。ジャック・デリダは2004年に没するまで精力的に執筆を続けた
-最晩年に出版された、民主主義を巡る重要なテクストとしてはここで引用されている『ならず者たち』の他、『テロルの時代と哲学の使命』、『脱構築とプラグマティズム』などがある
-些事だが、一般に「脱構築の哲学者、デリダ」の誕生は1967年の三部作『グラマトロジーについて』『エクリチュールと差異』『声と現象』であるとみなされることが多い(高橋 2015, 渡名喜 2023, Lawlor 2006)。また、1966年にはフーコーの『言葉と物』、1968年にはドゥルーズの『差異と反復』が出版されるなど、この三年はフランス哲学にとってエポックメイキングな年であった。ポスト構造主義の潮流を指摘するのならば、1968年に起きた五月革命も見逃されるべきではないだろう。
1.1 脱構築の思想
デリダの様々な思想的仕事に共通するのは「脱構築」である。脱構築とは、西洋形而上学の伝統が依拠する階層秩序的二項対立(oppositions hiérarchisantes)を解体し、転倒させるものである。それは二項対立の中で対置されている両項の相互依存関係、とりわけ優位項の劣位項への依存を明らかにし、両者の階層関係を転倒させ、またその境界線を決定不可能なものにし、宙づりにさせる行いである。
-一方で(当然というべきか)政治的なもの、倫理的なものへと向かった後期のデリダの思想は「脱構築不可能なもの」へと向かう。脱構築が何らかの純粋現前を否定し、それが常に汚染や混交を被ったものでしかないことを否定する行いであるなら、それはやがて脱構築のできないものを発見していくことになるだろう。ただしそれらはもはや経験の不可能なものであり、すなわち現前不可能なものである。こうしてこの「不可能なもの」はひとつの絶対的な審級として現れる。また重要なのは、この(脱構築)不可能なものは「出来事、歓待、贈与、赦し、エクリチュールの可能性の条件」として現れることである。デリダは不可能性が可能性の条件になるもの、何かを可能にする不可能性を問い、この世界において決して実現することのあり得ないものが何かの条件になっていることを明かす。この地点はもはや脱構築によって貶められ、脅かされ、疑われることのない地点である。この現前不可能な可能性は他への開かれを初めとした、単に現前の時間的なずれとしての未来ではなく現前にならない未来、その未来に到来するものである〈来たるべき(à-venir)〉と関わることとなる。この脱構築を唯一逃れた特権的で絶対的な審級は、カントの経験的/先験的の二分法に類比して捉えられる。すなわち経験的な、それによって懐疑可能であり正当化しえないものは脱構築可能なものであり、一方で、経験を可能にするものが超越論的と認められたように、脱構築可能性そのものを成り立たせている地点が逆説的に脱構築不可能なものとして、発見される。
-脱構築は二つのものを宙づりにし、決定不可能にする。このことから、脱構築は相対主義の思想として批判されることが多い。しかしデリダ自身はこの決定不可能な状況の中で決断を下すことをむしろ推奨している。ただし重要なのはこの決断がつねに正当化できないものであるということである。脱構築され、もはや単純に分割できないふたつのもの、つまり正/不正や善/悪を一方に帰することができない状況での決断はつねに正当化されえないものである。しかし正当化できないからこそ、その決断は責任を引き受けることができ、倫理的なものとなる。デリダは、正当化できる決定、前もって計算ができ、それによってその決定が正か不正か判断できるような決定は単なる算術であり責任を引き受けることはしていないと考える。決断が真に倫理的で、責任を負うものとなるのは、つねにそれが引き受けきれない責任を引き受けるときである。このように、脱構築は政治的なものや現実的なものを単に拒絶するのではなく、むしろ現実的決定を擁護する。しかし、正当化不可能な決定は常に悪に陥る可能性を秘めるが、それこそが民主主義の可能性に根幹から関わるものとなる。
1.2 政治的転回?(デリダ思想における政治の位置)
デリダ自身は政治的発言を積極的にしていたが、哲学自体が政治的なものへ接近するのは1990年代以降のことになる。それまで主に言語的なものを対象にしていたデリダは1990年代以降晩年まで政治的なもの(倫理的なもの)を主題として取り扱うようになる。90年代以降に書かれた政治的なテクストとしては、『マルクスの亡霊たち』や『友愛のポリティクス』、一連の歓待をテーマにした著作、『ならず者たち』が挙げられる。この中で、「来たるべき民主主義」(democratie a venir)の概念が提唱されることになる。
-本書では挙げられていないが、デリダの政治的転回の明確な時点と見做されるのは1989年のガードーゾ・ロー・スクールでのコロキウムの講演とそれを取りまとめた『法の力』だと思われる。このテクストの第一部は「正義への権利について/法=権利(droit)から正義へ」と題されており、「正義への倫理的=政治的=法的問いを前にして、......ニヒリズム同然の棄権をすることに相当する」(デリダ 1999)と脱構築をみなす立場への応答として図られたものである。またここでデリダは不可能なものと可能なものの布置について簡単に明らかにしている。以下一部抜粋する。
「法=権利としての正義の、この脱構築可能な構造こそが、脱構築の可能性の保証者にもなっている。正義それ自体はというと、もしそのようなものが現実に存在するのならば、法=権利の外または法=権利のかなたにあり、そのために脱構築しえない。脱構築そのものについても、......これと同じく脱構築しえない。脱構築は正義である。......(1)法=権利(例えば)の脱構築可能性は脱構築を可能にする。(2)正義の脱構築不可能性もまた脱構築を可能にし、さらには脱構築とまじりあう。(3)結論。脱構築が起こるのは正義の脱構築不可能性と法=権利の脱構築可能性を分かつ両者の間隙においてである。脱構築は、不可能なものの経験として可能である。すなわち、正義は現実存在していないけれども、また現前している=現にそこにある(présent)わけでもない──いまだに現前していない、またはこれまで一度も現前したことがない──けれども、それでもやはり正義は存在する(il y a)という場合において、脱構築は可能である。......すなわち、脱構築が不可能なものとして可能であるのは、......(脱構築不可能なもの)が存在する(il y a)限りにおいて(その場合において)である、と」
デリダは、法=権利は計算の作用する場であるがゆえに、計算不可能なものについて計算するよう要求しそれ自体計算できない正義そのものにはなりえないと語り、正義にはアポリアの体験が必要だと述べる。脱構築によって責任=応答可能性は二重化する。まず記憶を前にしての限界のない責任=応答可能性の感覚。それは記憶という名の歴史性であり、正義を取り巻くわれわれの概念的・理論的・規範的装置の起源、基礎、及び限界についての問いかけを絶えず喚起する感覚で、自らの内の正義の起源を問うことで、正義に対するさらなる正義を要求する責任である。脱構築が呼び出すこの類の責任=応答可能性は、別の責任、決断の正当化を規制する責任の概念をのものを前にしての責任を呼びだし、責任を上乗せする。この脱構築が安住する法と正義の間のアポリアのひとつとして、デリダは「来たるべき」à-venirを初めて語る。正義には何らかの未来(avenir)があり、この未来とはまさにこれからやってくるということ(à-venir)であり、à-venirであることはfutur──他者への開かれがない未来、現在の再現、現在の修正した形式(延長)、反復的な自己呈示としての将来──と区別され、これからやってくる(来たるべき)のままに置かれる。正義はつねに根本的にà-venir……これからやってくる(来たるべき)を持ち、これからやってくる(来たるべき)ということであり、否応なくやってくるさまざまな出来事に開かれている。
1.3 輪番制
民主政において民衆(デモス)は支配するものでもあり同時に支配されるものでもある。このデモスの自己支配はデリダにおいて「車輪」の形象によって喩えられる。民主政において支配する者の資格は何によっても正当化されない。民主政において支配する者は「任意の誰か」であり、「代わるがわる、各自持ち回りで役割を交代してという輪番的形態」を取る必要がある。現代民主主義の著者である山本は、この車輪のイメージが差延の構造、自己差異化でありかつ十全な実現を妨げ続ける時間構造をも告知すると述べる。
-この山本の読解には留保の余地がある。まず、デリダの他の著作では、円環は常に敵の形象として用いられてきた。現象学的循環、構造主義的な時間観、構造主義的贈与、解釈学的循環、そして再生のアーカイブの中に閉じ込められた「出来事」に至るまで、デリダが批判の対象にしたものは円環の形象を与えられてきた。それらは自己回帰、自己言及、自己完結性、こう言ってよければ自己閉塞の表象である。ラカンが同一のシニフィアンの反復と自己差異化のことを「自閉症」として分析するのなら、この円環も「自閉症的」に分析されるだろう。それは他への開かれとは無縁の、自己充足の境地である。そして差延とはその自己充足に切れ目を入れ、常に自己の内部に他性を導入する、自己の他化の構造であった。
-ここで山本が引用したと思しき『ならず者たち』本文を確認する。「強者の理性」一章「自由な車輪」では、デリダは民主主義における人民主権の円環性、「自己へのこの回帰=再回転の様相」として民主主義の輪番的形態を説明し、これを「起源と終局、原因と目的、始動因と目的因の同一性」の様相を帯びていると考える。この円環的人民主権を彼はトクヴィルの『アメリカにおける民主主義』から持ってくる。トクヴィルの主権的人民像は「万物の原因にして目的」である。この原因と目的の円環的同一化によって、「トクヴィルが語る民主的な神、自己原因にして自己目的たるこの主権者」はアリストテレスの純粋現働態、第一動者に比せられる。この円環性はただ、「ほぼ円環的に自己へ向かい、自己に対し、自己に関わる起源の、自己-目的の、自己を目指す存在としての自己への関係、自己を目的=周縁とする自己をはじめとするそのような関係の回帰ないし循環〔持ち回りrotation〕」として閉塞したままになるのだろうか?来たるべき民主主義は他への開かれを、そのために差延を要求する。それには、民主主義の持つ、自同性の欠落によってもたらされる本質的な遊動性(意味論的空白ないし無限定)と、民主主義の転送─時間・空間的な間隔化、現在の日延べ、差延─を行う民主主義の自己免疫性が必要である。デリダは次のように語る。
「〈代わるがわる〉の回帰によって最終的で至高の権能を自己に、自己の自己自身に、自己と同じものに回帰させる円環の循環。同じ円環、円環そのものが来たるべき新芽を保証し、しかしまた、最終的権能の、その起源あるいは原因への、その胎児への再来をも保証しなくてはなるまい」
民主主義に刻まれた差延の構造である自己免疫性は輪番制を要求するが、車輪の表象や輪番制から自己免疫性や差延が直接演繹されるわけではない。なぜならそこには二重の循環、常に自分自身に同化する循環と、他なるものへ権限を譲り渡す循環があり、後者は「来たるべき」ということの理念、民主主義の理念そのものが欠落していることによって、いかなる現前化可能(提示可能)な民主制も来たるべき民主主義には適合しないことによって、もたらされうるものである。そしてこの〈代わるがわる〉とは、そして他なるものへの開かれとは、たんに構成員の交代としての他者(外国人・将来世代)の迎え入れだけではなく、現在の民主制それ自体の交代、つまり他なる民主制への交代として告げられているものである。
1.4 民主主義の自己免疫的性質と来るべき民主主義
デリダは、民主主義に「自己免疫」といういっけん不可解な概念を指摘する。自己免疫とは、存在者がみずから、自己自身の防護作用を破壊するように働く、自己自身を守る免疫に対する免疫を自らに分布する奇妙な作用としてデリダが述べるものであり、ひとつの自殺的傾向、自己破壊として語られる。それは他者へさらされることを可能にする一つの条件である。具体的な例として引用されるのは、9.11以後のアメリカ合衆国である。テロとの戦いの名の下、合衆国は民主主義を守るために人々の自由と権利を制限した。民主主義を維持するために、民主主義は供儀(サクリファイス)に供されなければならなかったのである。民主主義は、敵から身を守るために、その敵に似通い、おのれ自身を腐敗させ、おのれ自身に脅威を及ぼしていくことになる。この自己免疫性は完全な悪ではなく、むしろ他者の迎え入れを可能にする条件として思考される。自己免疫的性質は、民主主義の回転を可能にしている条件である(ここでこの民主主義の「自傷」が民主主義の運命づけられた不完全性として取り上げられているが、民主主義が常に「最善」になりえないのは、それが常に腐敗や堕落を被るからというより、デリダが言うにはそれらの理念(the very idea of 《à-venir》, the very idea of democracy)が「欠落している」からであると思われる)。
-自己免疫性がデリダによって定式化されたのは主に『信と知』と『ならず者たち』においてである。
-『信と知』では「世界ラテン化」の脅威にさらされる「イスラーム主義」の共同体が場面として取り上げられる(「世界ラテン化mondialatinisation」とはフランス語における「グローバル化mondialisation」のもじりであり、機械化、近代化、ヨーロッパのギリシャ‐ラテン的文化の世界的波及、名を明かさない宗教、普遍主義の顔をした自民族中心主義であると説明される)。世界ラテン化─遠隔-科学技術文明に対置される宗教的なものは聖性の経験─〈無傷なもの〉、神的なものの聖性(サクラリテ)、害されていない無事なもの─を根源の一つとする。もう一つの根源は、批判的理性・科学文明の根源でもある、基本的な信=信仰の経験である。
さて、宗教が、世界ラテン化、遠隔-科学技術的理性という、宗教的なものを根こぎにしようとしながらも共通の根源を持つ異母兄弟に晒され、脱固有化、非ローカル化を要求されるとき、おのれの「無傷さ」を守るために宗教は自己免疫性を分泌する。たとえば、非合理性や無知な暴力性、蒙昧主義は宗教の特徴として告発されるが、それは自己免疫的反応性の反動的残滓である。すなわち、自らが当の敵と同根のものをもっていること、ここでは全ての知の生産と遂行性が前提とする証言の遂行性、証言を無条件に信じるという基本的な信の行為の経験を自らの根源に持つこと、「自分がそれに結びついた部分を持っているその当のものに対する反動.......機械がまちがいなく生み出す解体、脱固有化、非ローカル化、根こぎ、脱固有言語化、脱所有」(デリダ)という作用を自らが持っているという事態に反動的に対応したことの隠蔽である。遠隔‐技術科学的な機械(脱固有化、非ローカル化、脱固有言語化を生み出す〈抗原〉)の侵入に対し、宗教は免疫的な反応を示しつつ、対立する機会を飼いならし、また自らの固有性と戦うようになる。
この自己免疫作用は補償作用にもかかわっている。〈無傷さ〉は前もってある何かではなく、何かしら害され、手を付けられ触れられたあとになってから初めてそうみなされる何か(事後的、遡及的に発見される何か)である。「無傷なものが抗原に対して自らを保全する」作用は既に一度害された何かを絶えず償うことである。そして、この補償作用は、自己免疫作用になる犠牲(供儀、いけにえ)という形で遂行される。先ほど見た通り自己免疫作用は自らの破壊、自らに対する反作用的対立・攻撃であるが、それは供儀(サクリファイス)による補償作用であり、自らが脅かす当の〈無傷なもの〉の生成を復元しようとする試みである(『信と知』の邦訳を担当した湯浅はここにバタイユの生贄と共同性を重ねる)。生が絶対的に価値を持つのはひとえに生以上の価値を持つとき、それはその生命が失われ、その喪に服し、その終わることのないもの中で限界のない亡霊性として生き延びるときだけであり、生の尊厳は生命存在の彼方にある。生き生きとした生命、今まさに生きている生は無傷なものとして救われるべきだが、それが無傷なものとして償われるのは当の生命が失われた後にのみである。この生の絶対的値打ち、生命の尊重は、宗教の行うディスクールの中で唯一「人間の生」にのみ関わり、そして我々に尊重や遠慮、自制を吹き込む絶対的な価格であるが、それが保たれるのは人間の生がそれ自身より価値を持つものの無限の超越を証言する限り、言い換えれば死後の神的昇華を証立てする限りである(この生命以上の生命、亡霊の超越は生ける生命の上に開かれる死んだ者の空間に充満し、デリダはこの死の空間を〈不在の現前〉としての代補性の諸次元、即ち機械文明の産物へと結びつける)。このようにして宗教は二重の要請、生命の絶対的尊重(「汝殺すなかれ」、中絶と遺伝子改変の禁止)とサクリファイス的召命(人身供儀)を求めることになる。
この亡霊性としての生残、代補性の次元は、死の欲動に結び付けられ、共同体に働きかけ、その共同性を構築している。デリダはいかなる共同体にもこの特徴が見受けられると述べる。即ち、いかなる共同体も、自分自身の自己免疫作用を維持して同じ状態に保つことをしないような共同体はありえない。自己保存の原理を破りつつサクリファイス的な仕方で自己を破壊するという原理(亡霊的な生き残り生の-超越(sur-vie)を目指して)を維持しない共同体はない。自己に異議を提起する動きを証し立て(証言は基本的な信にかかわる)、自己免疫的共同体は自分自身とは異なる自分以上のものへと開かれる。「すなわち、来たるべきもの=未来、死、自由、他者の到来あるいは他者への愛に、全てのメシア待望思想を超えているメシア性(亡霊化させるメシア性)の空間と時間に開かれたままとなる」(デリダ)。
このように『信と知』では宗教の条件に限定しながら自己免疫性を発見しつつ、全ての共同体の紐帯としての自己免疫性、「共─自己─免疫性」、「共に─義務として─自己─免疫作用をするもの」の共同体が見いだされる。
『信と知』の最後にデリダはこのように述べる。
「宗教の自己─免疫性は、指し示すことの可能な目的=終極を欠いたまま、自らに償いをすること〔無傷なものへと復元をすること〕しかできない。そういう補償が為されるのは、わたしたちがもはや知らないか、あるいは私たちがまだ話していない、さまざまな言語の中の明日のコーラ〔khora〕、つねに処女のままである、平然たる動じなさという根底なき根底の上において、である」
従って「償い」は現前可能な時間性、それが現実となることが可能であり、考えられ、約束される現在の遅延という意味の未来に置かれてはいないが、『信と知』での自己免疫性概念は亡霊的な生き-延びに期待する自己破壊による他化である以上、ひとつの自殺を前提とし、自らの死後に来たるものに期待する以上、ひとつの時間性、ある未来を要求しているように考えられる。
では『ならず者たち』の方ではどうだろうか。ここではデリダは、〈来たるべき〉は「現前なし」にではあるけれども、緊急性の、絶対的緊急性の厳命の、〈今ここ〉でもあり、〈来たるべき〉は民主主義の厳命を有限な時間の中で遅らせる権利ではないと述べる。デリダがここで取り上げるのは1992年、アルジェリア内戦の発端となった軍事クーデタである。このクーデタは、民主化(複数政党制施行)後初の国政選挙においてイスラム救国戦線(FIS)の過半数獲得が確実になったことに対し、世俗主義を標榜する軍部が介入、選挙過程を停止しFISを非合法化して政権を掌握したものだった。このクーデタをデリダは、民主主義(政体)にとって善いことのために、最悪の最も蓋然性の高い侵害に対して免疫化するために少なくとも暫定的に民主主義を停止するという主権的決定であり、一方で民衆(demos)が権力(kratos)を取っていたら(demosとkratosが一致していたらということはより望ましい形で民主主義が実現していたらということを含意する)、民衆は選挙による多数派において、民主的手続きによって、民主主義そのものを破壊していただろうと説明する。このクーデタは、民主政体が自らの存続のために、非合法・非民主的手段のために選挙という民主主義の根幹を破壊するか、さもなくば、民衆が、合法的で民主的手段において、非民主主義的な勢力に権力を渡すことによって民主主義そのものを破壊するしかなく、その意味でまさしく自己免疫作用の只中にあった。
さらに言えば、アルジェリアの歴史は再び世界ラテン化とイスラームの衝突の局面として読まれる。植民地化と脱植民地化の過程で、ギリシャ-ヨーロッパ的な政治思想(=フランスの共和制および民主制)が暴力的に押し付けられ、それが正確に民主主義の反対物(フランス領アルジェリア)を産み出したばかりか、植民地化の大義名分として用いられた民主主義の名の下に行われた独立戦争を招き、その末に生まれた新権力は、イスラーム原理主義に脅かされた民主主義を救済するために、進行中の民主主義を中断しなければならなくなった。民主主義はおのれを免疫化し守るために、自身の内部と外部に自身の敵を分泌しており、殺害と自殺の間でしか選択肢がなかった、とデリダは言う。しかも、殺害は自殺に、自殺は殺害に既に変貌してしまっていた。このように、敵、抗体と自己が分割できない状態から自己免疫性は生じる。
ここで自己免疫的過程は共同体的側面と同時に、つねにある転送であることが指摘される。転送という形象は時間の空間化/空間の時間化としての間隔化に属する。この間隔化には痕跡、転送、差延という言葉が切り離せない。転送という概念を介して自己免疫化は差延と接続する。この民主主義の転送を二つの方法でデリダは説明する。
まずひとつには空間的な転送、トポロジーとしての転送がある。それはつまり内部の敵を外部に排除する運動であり、他者の転送である。ところで、とある民主主義の形態が他の民主主義の形態よりより多く(少なく)民主的であること、例えば、多数決制と比例制という投票手段のどちらが民主的であるかを証明することはできない。しかしこのふたつの投票形式(複数の民主主義の形態)は転送=排除によって自らの民主主義的性格を保護している。デモスの力、民衆権力の力は、普遍的平等において、最大多数の最大の力である成人市民たちの多数派のみならず、弱者、未成年者、諸マイノリティや貧者、諸々の弱い人間に権利を認め、それを代表するように民主主義を拘束する。よって、ある民主主義は完全に全ての他者を平等に遇することも、民主主義の内部の人間に対してもっとも力を与えるという意味で民主的であることも、あるいは算術的に最大多数のみに力を与えるという意味で民主的であることもできない。あるいは二重化された意味の中で民主的であることを両立することはできない。よってある選挙法は常に他の選挙法よりより多く民主的でありより少なく民主的となる。この二つの互いに排除しあう選挙法の中で、民主主義がおのれを保護しおのれを維持するのは、おのれを制限しおのれ自身を脅かすことになる。この(戦線のどちら側にも正当性を要求できないことによる)回避不可能な転送は、同時にまたは代わるがわる、排除による他者の転送および他者の尊重である他者への連想を意味しうる。この二つの矛盾した運動が代わるがわる自己免疫化しあっている。
(この民主的であることの証明のし難さはこの少し前に、次のように端的に語られている。「真正かつ本来の意味での民主主義について語るため、誰が何を、権威を持っておのれに認めることができるのか、まさしく民主主義そのものの概念が、その一義的かつ原義上の意味で、現在的に、そして永遠に欠けているというのに?民主的自由の最悪の敵たちも、算数的多数派を確保した場合には、少なくとももっともらしいレトリック的模造によって......万人のうちでもっと民主主義的なものとして自己呈示できる」。最良の民主主義なるものを根拠づけるものはなく、また、代表制民主主義において民主的の根拠が選挙的多数性であることによって、イスラーム原理主義や、かつてのファシズム、ナチズムも「最も民主的」であると主張することができた。これはアリストテレス以来定義されてきた自己免疫的で倒錯的な数ある効果の一とデリダは言う。「自由と平等」、「数による平等と長所による平等」の二つの対について、まず自由と平等の名において人々は「数による平等」の法(選挙的多数)を受け入れるが、それによって後者の対を破壊するばかりか、結局のところ前者の対さえ破壊されてしまう)
もう一つには時間的な転送である。自己免疫は選挙、民主主義の到来を、より後へと転送=延期する。この日の繰り延べには終わりがない。なぜなら民主主義は自同性、自己性、固有性を欠落したものであるからであり、民主主義の理想とはこの欠落によって定義されている。他者の-他者への二重の転送は最初から民主主義に刻まれているがゆえに、民主主義は自由な車輪として自由な遊動を続けるが、この欠落によって民主主義は、来たるべき民主主義は、現前可能などんな民主主義にも適合不可能であり、本質的に遅延し続ける。この時間・空間的な間隔化、差延によって、民主主義は他者の他者性、非自同的で異質で非対称の他律の否認しえない経験へ導かれる。
民主主義がそれがそうであるところのものであるのは、差延において、存在の彼方において自己差異化し自己遅延する場所においてであり、それの固有性はただ自身と自同的なものに対して不適合かつ非固有なものとして、全ての特定の不完全性を超えて、終わりなき不完全性をもつことである。すべての特定の不完全性を越える不完全性というのは、たとえば、現実の投票権の問題など、ある制限を徹底的に緩和したところで、それは法、正義に対して常に不等な法律の歴史の全体であるからである。ここで先ほど見たように、脱構築が法と正義の間の揺れ動きであるように、民主主義もまた法律と正義の間にしかないものとして描かれる。
見てきたように『信と知』における自己免疫性は亡霊としての生き延びによって償われる可能性を強調した、メシア的なものとしての色彩が強く、『ならず者たち』においては自己の間隔化としての差延の側面が強調されている(『信と知』においても、自己免疫作用は自己を分割して互いの自己に対する反作用として行われると言われるが)。
Appendix 差延
差延概念に上手く説明を与えた例はあまり多くない。これは本人が差延は概念ではないと述べ、あまり明瞭な説明を与えたがらなかったからというのもある。高橋2015や廣瀬・林2003のような概説書では注意深く避けられているか、不十分な説明に終わっていると感じられる。例外的に東1999では差延と不可分の痕跡の時間構造について画期的な説明を与えている。差延は’67年の三部作から登場し、比較的初期デリダを特徴づける概念と見なされるが、後期デリダで繰り返し語られる無条件の他の歓待、他者の迎え入れやメシア的なものが条件としてまず自己自身の他化=変質を必要としていることを思えば、自己差異化の構造として語られる差延概念の位置が全時期を通して重要なものであったこと、デリダの著作がそれを鍵にした一貫性のある読解へと開かれたものであったことが窺えるだろう。ここでは、デリダ読解として代表的なカプート、へグルンド両名の差延解釈を引用する。
-カプートの場合、差延が何であるか、何を意味するかといった問いに対して一言で答えることができないことに注意をむけつつ、次のように続ける。
デリダが記述しているのは繰り返し可能性(repeatability, 恐らく反覆可能性も意味)の(を持つ)コードである。コード化されていることによって、コードの内部の印ないし痕跡は繰り返し可能であり、それらの印ないし痕跡が内部から意味をコードの効果として産出する。これらの印は最初から意味を持っているわけではなく、恣意的で慣習的な分節化によって意味を産生する。諸痕跡の間の差異、隔たり、空間化(spacing)の機能として意味や指示対象はある。意味、指示対象、シニフィエに先行する痕跡、印、シニフィアンの差異は何らかのコードを可能にする構造として、「差異の戯れ」「痕跡の戯れ」と呼ばれる。このソシュール言語学の系譜としての分析にふたつの改良が加わることで差延は生まれるとカプートは考える。
1.オープンエンドな痕跡の戯れ。反復による痕跡の変質。言語実践が好例だが、
コード、ラング、あるいはそれらの中のマーク、痕跡はある程度まで規則に従うものの、途中でそれまでの規則を裏切りだす。この反復可能性の諸効果は前もって予測もプログラムもできない。反復が「違った仕方で」繰り返すことは構造として可能なものになる。ひとが形成する法則はつねに痕跡に後から書き込まれるものであり、痕跡の戯れはいかなる起源的な規則、効果に先立つ準-起源として立てられる。しかしこの痕跡の戯れ、反復は偶然性を孕んで転位するがゆえに、前もって決定できるものではなく、ある起源よりも低位な準-起源、非-起源を構成するのである。印、痕跡の前にその意味が存在したとする本質主義、あるいはそれに見かけ上抵抗するが実際のところ意味を抑圧する慣習主義の双方を否定し、抑制不能な意味の開口部をつねに探し求める
2.非言語学的特徴、われわれは全ての行為に、何者かに、ルールがあるものに、痕跡を、印を発見できる。
-主に『署名 出来事 コンテクスト』で展開されたような記号の反覆可能性、コードの中の差異の戯れに結び付け、反復─自らに同じものの繰り返しは必然的に時間性の中で遅延している─に伴う必然的なマークの自己差異化に差延の概念を発見する。
-へグルンドの場合、デリダが差延を間隔化、「空間の時間化であり空間の時間化である間隔化」と呼ぶところを分析の出発点とする。へグルンドは、時間と空間の接合の場面を差延と捉え、そのための鍵として、刻み込みとしての痕跡を重視する。まず現前性、現在の瞬間はふたつに自らを分割し、生じるやいなや消え去ることになる。もし現在の瞬間が分割不能であるとしたらどうなるだろうか?もしそれ以上分割不能な現在の瞬間があるのだとしたら、それは未来に場所を明け渡すことすらできない。分割不能なひとつの存在者である瞬間はそもそも他化=変質することもないからだ。そのため時間化の、現前性の最小単位はいつもふたつである。デリダの時間性はこの時間の絶えざる継起という伝統的解釈にのっとる。今は消失することによって現れる。このとき、痕跡が、時間の継起を超えて残る痕跡が刻み込まれるとき、痕跡において時間と空間の総合が達せられる。それによって
1.5 カントの「統制的理念」のように受け取らないこと
「来たるべき民主主義」はカントにおける統制的理念として受け取ってはならないとデリダは警告する。統制的理念は現前してはいない理念であるが、私たちがそこに向かうべき理念である。来たるべき民主主義が統制的理念ではない理由はいくつかある。まずひとつには、統制的理念が誤用の結果、〈可能なもの〉の次元に置かれるようになっているからである。それは世俗的な意味で現実的に達成しうることではないが、無限の時間のかなたで達成されうるものだと捉えられる。来たるべきものの次元である不可能なものはもっと根源的に不可能である事態であるばかりか、予見不可能な到来として、他律的に来なければならない。それは自律的に接近してゆく目的=終末としての統制的理念とは異なるだろう。また、統制的理念の措定は、ここまで述べられてきた倫理的責任の引き受けを可能にする決定不可能の次元の決定を不可能にする。
-見てきた通り、(来たるべき)民主主義は具体的な内実を持たず決して何物にもならない。そのため、可能でないばかりかそちらへ向かういかなる努力もできない。たしかに、民主主義はその非固有性からいつでも別なるものに転化しうるし、その自己免疫性が他への開かれを証明する。しかし、そのような他への飛躍によって、他律的に獲得された別なる形態であっても、それは決して「来たるべき民主主義」とは呼びえない。他者によって不意に実現されたとて、その民主主義の形態は実現されたことによって、すでに理念的な民主主義ではなくなっており、また上に挙げたようなつねにある政体は他の政体より、より多くかつより少なく民主的であるような問題から、まず実現された政体が(部分的、進歩的にさえ)よりよく民主的であることはあり得ないのである。ここでは「この構想(来たるべき民主主義)」自体が他律的に達成されるのではなく、ましてや亡霊的生き延びとして経験不可能な未-来に実現されるのでもなく、この民主主義の他律性、民主主義の他律的転位、民主主義の他への飛躍といった自己免疫的構造自体が来たるべき民主主義そのものであると考えるべきだと私は考える。「来たるべき民主主義」の下では一般的には民主的ではない者が訪れるかもしれないが、「来たるべき民主主義」は一向にそれを問題にしない。「来たるべき民主主義」の下で何が実現されるかは、それが結局のところ劣っても優れてもいないものであることから問題外であるし、それは何らの理想や救済にもならない。むしろ”democracy-to-come”が何らかの訪れ(come)や自己変質のチャンスに開かれていることこそ、民主主義の根源的可能性として喜ばれるべきものである。それは他律的な救いでも、メシアでもない。差延の構造による、時間の暴力による変転こそが「来たるべき民主主義」と呼ばれる(べき)ものである。
-カント事典では、純粋理性概念たる理念は統制的原理としての使用、主観的原則としての格率として用いられるにとどまり、構成的に用いることでこの理念に直接対象が与えられるとすることはできないとある。カントは、悟性概念が可能な経験的意識に属し、一切の(可能な)経験の知的形式として、それを適用することはつねに経験の中で示すことができなければならない一方で、理性概念は経験の内部に制限されないとする。理性概念はそれ自体経験の対象ではないが、概念的な把握に役立つものである(B367)。理性概念の原理は、われわれによって遡及において起こるべきことを要請する理性の原理であり、これを構成的に利用すると、超越論的仮象を生じさせてしまう(B537)。統制的理念は魂、世界、神の三つである。これらは、世界の現象を説明づけるにあたって役立つもの、現象から遡及的に要請される概念であるが、これらの概念を積極的に用い、あたかも実際に認識に到来可能なものとして扱い、それによって客観的実在性をこの概念に付与することは、誤謬を招く。端的に言えば目的論的な存在者であり、また絶対的な非現前である。
-『テロルの時代と哲学の使命』所収の対談ではデリダは三点、統制的理念と〈来たるべき〉を呼ぶことを躊躇する理由を挙げる。
まず前置きとして、カントのテクストから離れた統制的理念は可能事の秩序の中にとどめられ、ひとつの可能的な理念にとどめられている。有限な時間の中で現実的に達成されえるものではないし、無限に延期されるが、無限な歴史の果てに到達しうるものとして扱われる理念であり、それは目的論的終末の次元で捉えられる。
1.〈不可能なもの〉はこのような〈可能なもの〉に対置される。後者は、理論的・事実確認的・遂行的秩序であるが、〈不可能なもの〉はこれに対し異他的なものではない。しかし不可能なものは欠如態や到達不可能なもの、無期限に遅延させうるもの、それは告知されており、私に先立ち、そして今ここで、ヴァーチャル化できない形で、潜在性ではなく顕在性において私を捉え、そしてある禁止命令として私に襲い掛かる。それは「地平」において待ち構えるものでもないが、私を沿ってしておくこともしないし、先延ばしもしない。不可能なものは理想ではなく現実にやってくるリアルなものだが、他者と同じく、縮減も固有化も許さない。
2.顕在性において決定=決断されるべくとどまるものに関する責任は、決定不可能なものについてなされなければならない(統制的理念は現象の秩序や現実での実践における判断を可能にするようなものであることから、統制的理念からは責任は生じない。書いてはいないが、不可能なものについて決断を下すときのみ責任が生じるという点においてその両者を区別する旨の発言だと考えられる)。
3.カントは統制的理念を、悟性のすべての規則がそこを目指して一点に合流する、一個の理念(虚焦点)として考える(RkVB672, 第二編第三章、超越論的弁証論への付録、純粋理性の理念の統制的な使用について)。しかし、統制的理念を使用するためには、必然的な幻想、全てが収斂し無限に漸近していく消失点、普遍性の規則へ無限に向かっていく漸近という形象のそれぞれについて問うことから始めなければならない。
そうはいいながらもデリダは、統制的理念は究極の留保であり、他の留保と違ってある種の尊厳を失わないものであり、「いつの日か私が降参しないともかぎりません」と(お茶目に)述べている。なお、ほとんど同じことが『ならず者たち』第一論文第八章で述べられている。加えて、ここでは「統制的理念について「次善」と言えるものなら、次善の手立てとしては、統制的理念は、おそらく究極の予備手段として残るということは残る。この最後の手段がアリバイとなる恐れはなくはないけれども、それはある尊厳を保持している」と明言している。