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研究室

10階のマシンルームには、パソコンやサーバーがたくさん立ち並んでいた。それらの機械の発する熱はまるで温風機か暖房で、非常に暑くなる。

そのままだとコンピュータのCPUが熱暴走するため、マシンルームには特別製の強力な冷房機があちこちに取り付けられていた。

その冷房から発せられる冷たい風が、コンピュータの廃熱を打ち消すというか、必要以上の寒さをもたらし、部屋は冷蔵庫の中のように寒かった。

バックスは汗で濡れたシャツを脱いで、持ってきていた別のシャツに着替え、さらには部屋に用意してあった防寒着を着込んで中に入っていった。

「アイスランドという割にはごみごみしているな。」
部屋のあちこちには、コンピュータの基板やパーツでごった返しになってい
る。おまけにLANケーブルまで、まるでジャングルの草木が生えているかのように張り巡らされているため、足に絡んで思わず転びそうになる。


案の定、LANケーブルが足に引っかかった。
「イエローケーブルだったら、足を痛打しているな。」
――イエローケーブルとは、LANケーブルの一種の厚さ12ミリの同軸ケーブルで、電気を通す中身の銅線の周りに、堅い被覆が巻かれており、被覆の外側の色が黄色なので、そう呼ばれている。あまりに堅いため、それを束にして人を殴ると殺人もできるほど、と言われていた。ただし、旧世代のシロモノで今は使われていない。

「おーい、Dr.!いるんだろ?アポ取ってたバックスだよ!」
しかし、コンピュータの廃熱ファンの音がうるさくて、声が通らない。
しかたない、部屋中探すか。

思いながらバックスはDr.の顔を思い浮かべていた。
Dr.は長いあごひげに、長く垂らしたボサボサの髪。年相応にしわくちゃで、
白衣の姿以外見たことがない。
時々瞑想するような顔をして考え事をするので、
「だんだんリチャード・ストールマンに似てきたな。」
部屋を歩きながら独りごちた。

「まあ、ソフトウェアの自由より、自分の研究の自由がいいだろうが」
――リチャード・ストールマンとは、GNUという真の“フリーソフトウェア”
を求めてフリーソフトウェア基金という団体まで作った人物で、Linuxなどの
フリーソフトウェアの制作に多大な影響を与えている。
ただし、ここでいうフリーソフトとは、“無料のソフト”ではなく、“自由な
ソフト”という意味で、日本人の感覚とは少し意味が異なる。

「でもDr.って、Linuxを嫌っているんだよな。未だにFreeBSDを使っている
し。若い頃カリフォルニア州のバークレーにいたんだったっけ。」
――BSDとは、“バークレー・ソフトウェア・配布物“の意味で、カリフォル
ニア州工科大学バークレー分校で制作されたOS、-Linuxの親戚に当たる-、を指す。FreeBSDとは、BSDの中でも無料配布されているOSだ。

Dr.が呼んでも返事しないし見つからないので、ブツブツと文句を言いながら
探しまわった。
と、それらしく人物の背面を見つけた。あの長い白髪によれよれの白衣、間違いない。
「おい、Mr.、いや、Dr.D!俺だよ!」
・・・返事がない。
「おい!」
多少イライラしながらDr.の正面に回った。
そしてギョっとした。

Dr.はおよそ似合わないグラサンをして、耳にはグラサンから出ているコー
ド、おそらくイアホンをしていた。
――白衣にグラサンか!ここは部屋の中で蛍光灯の明かりしかないのに。
おまけに気分良さげに鼻歌まで歌っている。
「なんじゃ、バックスか。」
グラサンをしたまま、Dr.はバックスに答えた。
「Dr.、何って格好だよ。」
あきれ果てて言葉を吐いた。
「なに、ホレ、これがおまえさんの取材のネタじゃよ。」
とグラサンを指さす。
「すると、これが新しい発明か。HMDといったら、もっとサイバーなイメージかと思っていたよ。」

――HMDとは、”ヘッド・マウント・ディスプレイ”の略で、頭に取りつける
ディスプレイのことを指す。
「グーグル・グラスみたいにか?あれはワシの趣味じゃない。むしろこっちの方が、マトリクス見たいでかっこいじゃろ?」
どう見てもゼイリブに出てくるグラサンだな。という感想を、思わず言いそうになったのをこらえて、
「ああ、キアヌ・リーブスもびっくりだな。で、どのヘンが新発明なんだ?」
「そうじゃな。こいつには、ゴート・アンテナという新開発の小型アンテナがついている。アンテナは8方に向いていて、周りの空気中の電磁波をキャッチし、8本のアンテナの電磁的共鳴を利用して、電磁波中の符号空間を電子的に解読して、グラサンの中CPUに伝達するんじゃ。ソフトウェアによる統計的解読じゃなく、電磁式の解読じゃから、CPUを食わずに高速で無線LANやスマートフォンの通信を解読できる。」
「へぇ、そいつはすごい!CIAも御用達だな。ゴートって、スケープ・ゴー
ト?」
「いや、ゴート・アンテナは日本のヤギ・アンテナからヒントを得たんで、その日本人にちなんで命名したんじゃよ。」
「ふーん、ヤギねぇ。でも、これって公式発表できないんじゃないの?」

せっかく熱帯地域を我慢してやってきたのに、無駄足か。Dr.も人使いが荒い
ぜ。
「まあ一般向けには発表できまい。ブン屋向けじゃないな。ワシは別の件で、おまえさんのネットワークを頼って呼んだんじゃよ。」
なんだか無駄足の上に面倒そうな話になってきたな。空回りして、少々イヤ気が指してきたが、新しもの好きのバックスは、グラサンを触ってみる。

「どうやって操作するんだい?リモコン?」
「音声じゃよ。小さい受音マイクがついとる。」
「ふーん、何かソフトは入ってんの?ゲームとか?」
「まあ、色々と。ワシはさっきまで音楽プレーヤーを立ち上げとったが。」
と、急に、「チャンチャーラー・ラー・ラー・ラ・ラララ-」
とイアホンからなり出した。

「なんだ、急に何かが立ち上がったぞ?」

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