【浪人旅行記】会津地方の旅 その1 ※駄文
午前3時半にタイマーをセットしたエアコンが熱風をぼわっと吹き出す音で目を覚ます。僅かな部屋の明かりがスチーム式の加湿器がもうもうと吐く蒸気をぼんやりと照らしている。一瞬なぜこの時間に起きたのかと勘案し、ポンと思い出す。
(旅行に行くんだったな。)
一応4時に起きる予定なので布団からは出ずに部屋が暖まるのをスマホを眺めて待つことにした。青白い光が目に痛いので瞬きをしながら目を慣らすとTwitterのホーム画面が見えてくる。閑散としたタイムラインには報道系のツイートがポツポツと流れているだけだ。
(旅行に行くのか。)
旅行当日の朝の気だるさというのはどうにかならないものか、まあどうにもならないだろう。考えるだけ無駄なので、微かな気力を振り絞って枕元に置いておいたヒートテック(極暖)の上下を布団に引きずり込む。徳利襟に首を通すと爽やかな洗濯洗剤の香りで少し目が覚めた。すると少し布団から出る勇気が湧いてきたので、この火種を消さないうちに飛び出さんと布団を蹴飛ばし、半分転がり落ちるようにベッドから這いずり出る。旅行モンスター誕生の儀式だ。
(いい調子だ。)
意志通りに体が動くことにある種の充足感を覚えながら、出かけるための準備を始めた。旅行という名の現実逃避に。
お初お目にかかります。キタノーと申します。茨城県の真ん中、関東平野の端の、山がボコボコとした辺り、笠間というところに住んでます。始めたきっかけなんてどうでもいいのですが、皆さんご存知の通りTwitterの雲行きが怪しいもので、駄文とかをドバドバ垂れ流すプラットフォームを他にも用意すべきと考え、この度noteを開設しました。公害で訴えられないか心配です。本当に駄文を垂れ流すだけなので、閲覧は自己責任でよろしくお願いします。今回は自己紹介がてら先日の会津旅行の回顧をさせていただきます。
そんなこんなで身支度を終えて家を出る。悩んだ末に今回は愛機のD750は家にいてもらうことにした。良い写真を撮りたいのはやまやまなのだが、正直身軽でいたい。それに、しっかりとしたカメラを持ってくと良い写真を撮ろうと張り切ってしまい気が休まらないのだ。あくまで今回は気休めの旅にしたい。スマホのカメラは決して一眼レフに勝らない、そう確信していながらも、スマホの手軽さに抗うことができないのだ。本当の愛より手軽さを求めてしまうのは、セックスフレンドを作る人の心理なのだろうか。外に出て胸いっぱいに息を吸い込む。時刻は午前4時半、摂氏0度。今日は立春、決して暖かくはないが軒先の咲き始めの白梅を見て、少しずつ春がこちらへ来てるのを感じる。しかし東の空すらまだまだ暗い。昨晩は母が突然恵方巻きを買ってきたものだからびっくりしたが、ご利益だとかは無視して食べやすく輪切りにした。さて自転車のメンテナンスを忘れていたので駅まで歩くことに。毎度のことである。
タイトルにもある通り私は浪人生だ。一応まだ現役の高校生ではあるものの、4月からは無職となることが確定している。ほぼ1年前、高校2年の終盤にして不登校になり、高3には進級できたものの、5年間を過した愛すべき母校に別れを告げ通信制高校に転校した。自分でも何故学校に行きたくなくなったかすら正直あまり見当はついてない。ただ自分の性格が人間社会に向いてないことは前々から気がついていたものの、誤魔化し誤魔化しやってきたのが破綻したんだろうなとは考えている。前の高校のカリキュラムのおかげで殆どの単位は取得済みで通信制高校ではなんの苦労もしなかった。しかしこの1年間、無気力の渦の中、不安と焦燥感がしんしんと降り積もる精神状態だった。やっと今頃になって諦めもついてきたものだが、依然として自分の脳内の不透明感は拭えない。常に思考がぼんやりとしている。何か一瞬楽しい気分になってもすぐに底に引き戻されるので、どうもぐだぐだだ。恵まれた環境にいるにも関わらず人並みに生きれないこと、両親には申し訳ない。こんな私を憐れみ旅行に行かせてくれる、つまり金銭的に支援してくれることも本当に感謝している。こんな私がこんな良い思いをしても良いのだろうかとも考えてしまうが、身勝手ながら旅行の時だけは全て忘れるようにしている。旅行中だけは私は私じゃなくて良いからだ。知らない土地の知らない環境に置いて私は旅人Aである。普段の生活圏における自分自身のキャラクターを脱ぎ捨てなんのしがらみも無い存在に一時的に変われるのだ。実際には何も変わってない訳だが。旅行趣味は何かと高尚な物に思われがちだが、私にとってはただの現実逃避なのだ。愚かな私を許して欲しい。
午前5時頃、笠間駅に着くと既に人の影、2,3人の高齢者の方々。こんな朝早くからご苦労様だと思い暖房ぽかぽかの待合室に入れ違いで入ると新鮮な煙草の匂いが鼻腔を刺激した。皆さんご存知の通りJR東日本の駅構内は全面禁煙である。机には空き缶とクシャクシャになったトイレットペーパーの塊(怖)。こんな早朝にぽかぽかで自販機もある待合室を改札外に解放すればまあこうなるのは目に見える訳だが。こんな私だって最低限、常識的な社会規範は守って生きてる。私の人生の誇れるところなんて今まで1度も故意にゴミを不法投棄しなかった事くらいなものであるが。人生の先輩なのだから、もう少し相応しい振る舞いをして欲しいものだ。注意できるほどご立派な人間じゃないし代わりに捨ててあげるほどお節介じゃないので見なかったことに。5時22分、水戸線上りの1番列車で小山へと向かう。
今回使う切符はJR東日本が発売している「週末パス」。範囲内のJR東日本線の普通列車や一部の私鉄、第三セクターに乗り放題の切符だ。土休日の2日間で有効、大人8880円。18切符より1日あたりの値段は高く、土休日しか使えず、事前に使用日より前の日に購入しなければいけないなどの点で18切符には劣るものの、通年で販売しており、18切符と違い特急券を買い足すことで特急・新幹線に乗車できる、つまり普通の乗車券と同等に使用できるなどの点では使い勝手のいい仕様になっている。どちらも一長一短なので上手く活用しよう。
いつも通り南側のボックスに腰をかける。もう少しすれば明るくなって筑波山も見えるだろうと期待したのだが、私が思うよりまだ日は短かったので結局見えることなく小山に着いた。いつも私がこの列車を使うのは決まって東京に出る時だ。水戸線の上りと下りの1番列車はそれぞれが同じくらいの時間に上りなら小山、下りなら友部を出発し、同じくらいの時間に終点に着く。そこで東京への所要時間が短い小山駅を経由する方に軍配が上がるわけだ。湘南新宿ラインに乗れば新宿方面にも行けるし改札内にNEWDAYSがあるのも非常に助かるしこの時間に友部のNEWDAYSはやってない。まあ自動車があれば友部駅に出て常磐線の上り始発を使う方が遥かに早いのだが。しかし今回使うのは宇都宮線ではなく、両毛線だ。両毛線のホームは他の在来線ホームから少し離れた位置にある。小山駅6・8番線ホームだ。7番線は端の方の切りかけでかつては荷物用ホームだったらしい。しかしここは不思議と寂しくなる場所だ。新幹線ホームの真下、無機質なコンクリの空間を吹き抜ける風が足元を通る。スっと足先の血管まで冷えるような感じがする。どんな旅行にだって少なからず不安が付きまとうものだが、こういう場所はそれを増幅させる。それが悪いというわけじゃないし、旅の醍醐味とすら思ってる。孤独・不安との対峙が自分自身の心の在り所をハッキリさせるような、上手く言語化できないがそういう風に思ってる。そういえばこの場所は新海誠監督作品の「秒速5センチメートル」の「桜花抄」に登場することは見た人はご存知だろう。中学一年生の主人公が小学校卒業の際に引っ越してしまった想い人に会うために放課後、新宿から栃木の岩舟へと向かうというストーリーになっている。まあ大した距離でないが、たった12歳の少年にとっては大冒険に違いない。何度でも言いたいが、この映画は「寂しさ」の描写が見事であると言わざるを得ない。小田急線の通勤形電車(5000形)→埼京線の通勤型電車(205系)→宇都宮線の近郊型電車(115系(小山電車区))→両毛線の近郊型電車(115系(高崎電車区))と主人公の生活圏から離れていく(地方へと向かう)につれての鉄道の変化がエモい(突然の語彙放棄)。田舎の夜闇の中、遅延しながらも雪風を切り裂いて東北線を北へ北へとひた走る115系。どんどんと減っていく乗客。そして寒風吹き抜ける冬の小山駅の両毛線ホームである。
時間の経過と共にどんどん深まる孤独感。ちっぽけな少年に対してあまりにも過酷な試練と言わざるを得ない。見てるこっちの胸が締め付けられるような静かで暴力的なまでの「寂しさ」の描写。そして冬の寒さの表現の緻密さがこれを更に増大させている。薄暗い中にぼんやりと滲む光の描写が綺麗だ。ここで主人公は彼女への思いを綴った手紙を風に攫われてしまう。私がこの場所に抱いている印象はこの映画の影響も強いのかもしれないなと今思い出した。
えっと何の話だっけ。そうだ旅行の話だ。
気が付くと東の空が明るい。紫苑色の空に、雲が朝日に照らされ茜色になっており何とも不思議な光景だ。今日は土曜日、小山6:30分発の高崎行きの列車は伽藍としており、ジャージを着た部活と思われる学生がちらほら。如何にも土曜日の早朝の光景だ。制服のスカートの下にジャージを履いている女子生徒をけしからんと言う人もいるが、こんな寒い中、生脚を晒されてると見てるこっちが寒くなってくる。むしろ女子こそしっかり身体を暖めるべきだというのに。男子なんて褌一丁でそこら辺に放り出したって死にやしない(諸説あり)。それに女子の柔肌がからっ風に曝されカサカサになっては可哀想だろう。むしろこのズボラな感じのスタイルも日本的でkawaiiですよね、うん。
両毛線と言えばの211系。この顔を見てるとかつての水戸線の415系のステンレスカーを思い出して懐かしくなる。よく笠間駅に見に行ったものだが、運転台が低くてすぐ横に縦に大きく乗務員扉の窓があるのでホーム横で手を振ると運転士さんが気づいてよく手を振り返してくれて嬉しかった。E501系やE531系が来ると少しガッカリしたものだ。ロングシートの端に座るが、2駅しか乗らないのでうっかり寝てしまわないように気をつける。こういう時駅メモに集中すると良い。
栃木市に入り、高架線になると栃木駅に到着。老兵の211系には酷な急坂だったろう。お疲れ様である。しかし何故栃木駅は高架化されているのか、はて謎だ。平野をトコトコ走るのがよく似合う両毛線がこんなところでいきなり高架駅になるなんて、馬子にも衣装というやつか。それとも211系を虐めたいだけか。確かに211系は可愛いいから加虐心が湧いてしまうのも理解できなくはないが、流石にそれでは栃木市民の趣味が悪いと言わざるを得ない。水戸線も下館駅とか高架化しないかな、と高架線を走るSLもおか号を想像して笑顔になる。ここで東武線に乗り換え、見事2分乗り換えに成功。やったね。
北関東で東武線に乗るのは初めてだ。地下鉄みたいな顔をしている車両だが、こんな北関東の田舎なのでワンマン運転。東武日光駅行きの電車である。こんな早い時間だが、アウトドアな感じの格好をした乗客が多数見られる。日光でウキウキなホリデーを過ごされるのであろう。日光は私も好きだ。たまに親に日光のステーキ屋に連れってもらうことがある。父の運転で、キラキラと煌めく中禅寺湖の湖畔を夏の深緑の木漏れ日を受けながら走り抜けるのがたまらなく好きだ。中禅寺湖のほとりにさかなと森の観察館という施設があってこれが特に好きである。湖畔の閑静な森の中の公園のような場所で、広い池の中にサケやマスが飼育されている。彼らを見てると不思議と心が落ち着いてくるのだ。とても美しい魚だ。国立の水産研究・教育機構の広報施設なので勉強になる展示も多い。日光に行かれる時はぜひ立ち寄って欲しい。
鄙びた長閑な平野をトコトコ走っていくと日光の山々が迫ってくる。下今市駅に到着。SL大樹号の拠点駅だったか、構内に客車の姿が見える。「いまいち」という地名を聞いて、駅周辺に目をやるとそんな発展してる感じはしないし確かにと納得。会津方面へは折り返す線形になっているのも個人的にちょっとイマイチだ。新藤原行きに乗り換える。サンキュー対面乗り換え。
先程の列車にいた5人くらいの若い青年のグループとまた一緒になる。楽しそうに談笑しているが少し考えて欲しい声量だ。私も友人といるとついつい愉快で気が大きくなってしまって声まで大きくなるので気持ちは分かる。注意したくなるが、そこまですることでもないように思える。そのぐらい許してやれよと私の中の悪魔か天使かが囁くが聴覚が敏感な私はやはり不快に感じてしまう。瞬きでモールス信号でも送れないかと考えたがよく考えたらモールス信号を私は知らないし大体相手だって知らないだろ。こういう時注意してくれるお節介なうるさい爺さんでもいればいいのだがこのご時世だ。いつの時代だって若者はバカなものだが、それを叱れる大人が少なくなってしまったのではなかろうか。ヤンチャな若者に喝を入れるのが大人の務めではないだろうか。しかもそんな「叱られない若者」がインターネットというツールを手にしてしまったのは悲劇と言って差し支えない。回転寿司の件を見てつくづくそう思ったものだ。如何せん、人は常に快楽のために攻撃対象を求めている。ネットリンチとはよく言ったものだ。一連のこの事件は現代社会の闇が凝縮されてるように感じる。くわばらくわばら。
日光の山々を左手に見ながら進む。段々と木々が増えてきて深い林のようになってくる。太く真っ直ぐな杉が逞しく、厳かに林立している様に思わず目を奪われてしまう。隙間からチラチラと見える青空が遠く感じる。「進撃の巨人」に登場する巨大樹の森のような感じだ。実際にはそこまで大きくは無いが、静かな奥行きがあるように感じてしまう。そうして列車は鬼怒川が削った谷間へと進んでいく。少しずつ視界に白色が増えてくる。雪だ。日差しの入りにくい谷間だからか雪が良く残っている。これから行く雪の世界への序章のように感じた。そうして列車は鬼怒川温泉駅へと到着する。先程の若者たちもここで下車した。楽しい旅行になること祈ってるよ。発車した電車はより狭い谷間の斜面の急勾配を上っていく。川の両岸には立派なホテルが連続している。しかしその多くは廃墟だである。どのホテルもいかにも好景気の香りを残しており、そして流れてしまった月日を感じさせる。そうして目を凝らしてると営業中のホテルか廃墟かを見分けるゲームが始まる。これは廃墟だろうなんて思ったらよく見ると人がいた。すまん。しかしこんな所を観光資源にして東武鉄道は大丈夫なのかと心配になるが、まあ都心の輸送需要があるから大丈夫だろう。そんなこんなで終点の新藤原駅に到着だ。東武鬼怒川線の終点、ここからは野岩鉄道である。
山に囲まれて日差しが届かず、酷く冷えきっている場所だ。てっきりそこそこ立派な駅があるかと思っていたが、二面三線のホームにこじんまりとした駅舎があるだけの、これまた寂しい場所である。対面には会津高原尾瀬口行きの列車が発車の準備をしていた。私はここで下車して野岩鉄道の鉄印を貰う。久しぶりの記帳だ。窓口に声を掛けると優しそうないい感じのお兄さんが出てきて少しキュンとする。と記帳をする前に野岩鉄道の乗車券を買わねば。会津高原尾瀬口は見送って後続のリバティ号に乗ることにする。さて今旅行初の人との会話だ。気合い入れていくぞ。
私「あっ、あの次のリバティ号に乗るので会津田島までの乗車券と特急券を、お願いします。」
駅員さん「ここから先の区間では特急券はいりませんよ。(*^^*)」
初見プレイを晒してしまった。そんなこんなで会津田島行きの乗車券を購入。ここで奇妙に感じることが。週末パスは会津鉄道の西若松〜会津田島の区間はフリー区間であるのに同社の路線であるはずの会津田島〜会津高原尾瀬口の区間はフリーエリア外であるということだ。そもそも会津田島以南までは電化されておりリバティ号も乗り入れるので野岩鉄道の路線のように感じてしまうが実際はそうなってない。どちらも第三セクター鉄道会社路線であるから会社の境界は県境の会津高原尾瀬口に置かれている。何かやむにやまれぬ事情があるのだろうか。さて乗車券を受け取る。
れ、レシート…。紛うことなきレシートだ。そこに入鋏印が押されている。車内で発行する時こういうレシート紙の切符が提供されるのは分かる。まさか駅で発券するのにこれはなかろうよと思いたくなる。有難みが無いなあと思ってしまうが、昔の人も硬券から軟券に変わった時同じことを思ったのだろうか。まあ効力が保証されているのならそれで構わない。そして鉄印帳にも記帳。
うむ、可愛い。駅員さんの対応も丁寧で暖かかった。寂しくも暖かい所だと感じた。
リバティ号を待つ。にしても寒い。空気は寒い。駅の待合室も全く暖房が聞いていない。大した広さの空間でもないのだから事務所のスペースに効いてるであろう暖房を分けて欲しい。駅構内には自販機は無かったので、私はホット飲料を求め自販機探しの旅に出ることにした。割とすぐ近くにあったわ。隣の建物は旅館さんだろうか、ありがたい。さてホットコーヒーを…と思ったがSuicaが使えない。仕方ないので財布を出す。しかし小銭が全然ない。あと10円あれば買えたのに。仕方ないので千円札を出そうとする。無い。野口がいない。樋口と福沢しかおらん。いて欲しい時に限っていないのは何故だろうか。しかし野口を常備してないという旅行初心者ムーブをかましてしまうとは。バスじゃなくてよかった。ここで買うのも諦めたく無かったので新藤原駅の駅員さんに両替を申し出た。すいません…。そういえばこの前稚内空港でもバスに乗ろうとしたら野口がいなくて空港のカウンターで両替を頼んだなと思い出す。何も反省が活かされていない。こうして私はやっとホットコーヒーにありつくことができた。取り出し口から缶を取り出す。あちゅい。でも熱いのがこの上なく嬉しい。蓋を捻ると気持ちの良い開栓音と共にコーヒーの香りが踊り出す。鼻腔が幸福成分に満たされる。この幸福は脳に素早く届く。火傷をしないように気をつけながら啜ると今度は口腔が幸福成分に満たされる。そうして飲み込むと熱いものが食道を伝って胃に落ちていく、そして熱エネルギーがじわじわと上皮組織から染み渡るのを感じる。正直食べ物、特にコーヒーのの美味しさってシチュエーションが大部分を占めるなと感じてしまう。それだけここは寒く、コーヒーは温かい。旅行中という特別感は幸福をさらに増幅させる。150円の缶コーヒーがこれ程までの快楽を生むとは。やはりこういう時旅行に来て良かったと感じるものだ。そうやっていたらリバティ号が来た。こんな辺境には少し似合わない奥山清行デザインの特急型電車が涼しい顔をして新藤原駅に滑り込んできた。いよいよ本格的な銀世界を足を踏み入れるんだなと思い、私は軽く武者震いをしたのであった。
さて、ちょっと長くなってしまったのでここで一旦切ります。まさかここまで読んでくれるなんて、そんな貴方に感謝。旅はまだまだ続きます。では。
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