2023年有馬記念振り返り
このエッセイは有馬記念当日に投稿した「有馬記念前夜」に加筆修正した物になります。コミケのみでコーピー本としての頒布予定でしたが、やはりこちらでも公開することにしました。それではどうぞ。
私の乗るときわ号は交直セクションを通過し、取手駅を通過し利根川に差し掛かった。ジョイント音がトラス橋を震わせる。空砲のようなその衝撃が、明日の中山で行われる聖戦を思い不安定な私の心に、強く、楔を打ち込んだ。勝とうが負けようが、彼は明日の有馬記念を最後に引退してしまう。私はこの物語の結末を納得して受け入れられるのだろうか。
いつだって私の心の中には去年の灼熱のグランプリがある。果敢に飛ばすパンサラッサの、たった二、三馬身後を追走する彼の姿は一心不乱にもがいてるようにさえ見えた。鬣は荒れ狂い、自身の前を行く存在に憤慨しているのか、誰もが暴走していると思っただろう。しかし違った。するすると四コーナーを回ってパンサラッサを捕まえたと思えば、直線に入り彼は突き抜けた。仁川の曇天に、艶やかな黒めの鹿毛に、白地に青二本線のバンテージ。それ以降あれほど鮮やかな競馬を見たのはイクイノックスですら無い。それほどに当時の心身を病んだ私にとって彼のレースは輝いていたのだ。今もこうやって私の心を痛いほどに強く焦がしてくる。故に、このレースに魅せられた事を悔やむ日すらあったのだ。
私の中で宝塚での彼の存在が膨らみ続けるから、期待値が上がり続けてしまう。凱旋門を走ってからの彼には、言ってしまえばガッカリすることが多かった。もちろん生き物であるから仕方の無いことは重々承知している、当然だ。でも、どうしても私はあの日の鮮やかな光景を、もう一度だけ見たかったのだ。それは大差勝ちの日経賞ですら十分には満たされなかった。淀の下り坂で空中分解しながら後退していく彼を見た時の酷い喪失感は私を一時競馬から遠ざけるには十分だった。彼をフランスへと行かせた陣営を非難したくなる気持ちすら芽生えそうになっていた。結果など誰にも分からないのに。誰よりも凱旋門での勝利を望んでいたくせに。そんな傲慢なエゴイストの自分が醜く、恥ずかしかった。どれだけ頭で理解してても、心は最強馬たる彼を求めてしまう。幻想に囚われ現実を受け入れられない酷く憐れな青年、結局私というのはこういう人間であったことを再認識させられる日々であった。二十三年のオールカマー、そこでの敗北で諦めがついてしまったのか、ジャパンカップの敗戦は素直に見れた。適性を鑑みればよく頑張ったと。悪くないレースだった。負けた相手が古今無双レベルの強者どもで良かった。やっとこの幻想を忘れられる、もう苦しまないで済む、そう安心したものだ。しかし競馬の神様はまだ彼に微笑むようだ。公開枠順抽選、栗田調教師が開いたクジには「二枠四番」。私の中に激情が一瞬渦巻いた。また、夢を見れる。私は懸命に自分自身の手綱を引き締めた。傷つきたくないなら、期待しすぎるな。
千葉県へと入り、複々線となった常磐線に家々やビルが絡みついてどんどん都市へと膨らんでいく。夕闇、照明に照らされる居酒屋だとかカラオケなんかの看板が、おびただしい人々の営みの灯りが、車窓に流れる。都心へと近づくにつれ数を増していき、光の海となり、その中をときわ号は進んでいく。普段なら面白く見れるその景色が、今日ばかりはうざったい。私はスマートフォンに目を落とし、枠順抽選後の騎手のコメントを見ることにする。私のヒーローに跨る彼は、横山和生騎手はなんと言っていたか。それによりこの精神的苦痛が緩和されるかは全く分からなかったが、これで苦痛が膨らもうと、明日が怖くなろうと、自分のことでありながら最早知ったことではなかった。記事を開き、スクロール。文字の沼に手を突っ込み、何かを探す。私の心をどうにかしてくれたら、それでいい。すると何か暖かい物を掴んだ気がしたので、引き上げる。すると引き上げた文字列が私の中にするっと入り込んできた。
横山和生騎手「もちろん内目の枠は良かったですが、タイトルホルダーと走るのが楽しみですし、今からワクワクしています。(ラストランということは考えず)今は目の前のことに集中しています」
画面の中の横山和生騎手の表情が目に入った。微笑だにせず、真っ直ぐな視線。本当に何を考えているかが私に分かるはずもないが、心がほぐれていくのを感じた。胸の底が落ち着いて、心地よい重みを持つ。そして暖かさが、血流に乗って全身を満たしていった。列車の自動放送が間もなく柏駅に停車することを伝える。インバーターが電圧を下げていき、モーターが回転数を落とし、列車は速度を下げていく。ホームに滑り込むと流れる蛍光灯がチラチラと私の頬を照らす。いつも通りの和生騎手のコメント。そうだ、いつだって和生騎手は彼だけを見つめてる。答えはずっと前から知っていた。降りるためにスマートフォンを閉じて胸ポケットに閉まった。私はデッキに出て、扉が開くのを待つ。これからも彼の人(馬)生は続いていく。競走馬としての期間は、天寿を三十年とすれば短いものだ。私は真摯に彼という存在に向きあうことができたのか結局分からないが、ふと
「無事に帰ってきて欲しい」
という想いが零れ落ちた。扉が開いて、私は緩行線のホームをめざして歩き始める。柏駅の階段を上りながら、肩が震えるのを堪えた。これは明日に取っておこうと。
最終レースも終了し、冥色の西の空には月が煌々と上っていた。照明が照らすターフを、師走の風が吹き分ける。光を跳ね返す芝の煌めきがまるで海のようで、どこまでも続きそうな大海原の中山競馬場を私はぼんやりと見渡していた。多くの馬たちの蹄跡が刻まれたコース。その中には勿論彼のものもあるはずだ。手入れにより芝が蘇りれば消えていくだろう。でも私の胸には、永劫消えないだろう蹄跡が、確かに刻まれていた。西陽を斬り裂いて彼が最終直線へと飛び込んできた時、私は今までの全てが救われた気がした。誰が勝とうと彼が先陣を切って直線に入ってきたんだと、彼が彼たる走りをしてくれたんだと、充足感に私の胸は張り裂けそうだった。この言葉を軽々しく使っていけないのは勿論理解しているが、今日だけは言わせてもらおう。そこに「人馬一体」があった、と。思い返しただけで感極まり目の奥が染みるのを感じた。寒風に頬が痛くなっても、今日は心地いい。そして彼が、宝塚記念の優勝ゼッケンを纏った彼が姿を現した。今の西の空よりも暗くて、艶やかな毛並み。
「とても綺麗だよ。」
不意に言葉が漏れる。こんな日が来てくれたんだと。こんな奇跡みたいな光景が見れたのがひたすらに嬉しい。ああ、でもやっぱり悔しいな。立派な三着、でも三着は三着だ。結局は競馬、どうしても考えてしまう。そうして関係者によるスピーチに移り、横山和生騎手の番。彼の言葉に心を向ける。
「勝ちたかった!っていうのがもう本音です」
やっぱり答えは最初からそこにあった。
「勝てなかったですけど、すごいかっこよかったと思います。…の走り、存分にみんなに見せてあげられたかなと思いますし、寂しいですけど、そこに乗れてすごく幸せでした」
もう二度と君が走る事の無いターフに、寒風が年の瀬のセンチメンタルを運ぶ。涙が、乾ききった頬を伝った。
ありがとう、最後まで私に夢を見せてくれてありがとう。さようなら、私の英雄。その名は、タイトルホルダー。
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