小学生の頃。

ネガティブの塊(だった)わたしは、小学校に進学する。

覚えていることは全然なくて、ただただ辛かった日々だった。学校はつまんない。テストはだいたい80点くらい。良くもなく悪くもない。仲良く接したいっていう欲もない。とにかく人が嫌いだった。

だから、たまに訪れる遠足や修学旅行などのイベントはしんどかった。仲良しは仲良しと組む。人数合わせになったり、同じく大人しめの人たちと組む。
クラスの輪の中に居場所なんてなかったし、求めてもなかった。

心の居場所は、小学校の2階の隅にあった、向かい合う音楽室と図工室、そして図書室。ノートの隅。

昼休みは、外遊びなどせず、真っ先に図書室に行った。本は、わたしの世界を常に更新し続けてくれた。怖くて読めなかった本(怪人二十面相シリーズとかはだしのゲン。みんな漫画だったから大好きだったけど)もあるけれど、6年間かけて、あの部屋にあったほとんどの本を読んだと思う。

音楽室は癒しだった。授業に行くと、クラシック音楽を聴くことから始まる。先生が今週の1曲を選んで、冒頭にかけてくれていた。ホルスト『木星』やドビュッシー『月の光』はきっとずっと好きな気がする。

図工室は光で、救いだった。今振り返っても、図工の授業が、あの先生が、あの教室がなければ自殺してたんじゃないかってくらい、図工というものに救われた。
図工の先生は、わたしをものすごく買ってくれた。近隣の小学校が一同に介する展覧会で、毎年、わたしの作品を選んでくれた。
思い返しても、いい授業を受けてたな、と思う。
一人一枚鏡を渡され、驚いた顔を描け、という。絵具の代わりはたぶん、黒いジェッソに砂利を混ぜたものか、黒のモデリングペースト。指で描いてゆく。その後に、ムンク『叫び』を見る。
逆のパターンもある。ピカソ『ゲルニカ』を見て、感じたことを描けと言う。手はもちろん、様々な素材。ボンドや木片、釘、ありとあらゆる端材たち。出来上がったものを見ながら、言葉にしろ、と言われる。

絵にしかぶつけられない衝動や自分の欲望、卑しい気持ち。それらを浄化できたのは全て図工の時間だった。手を動かし、自分と向き合う時だけだった。

あの時、わたしは確実に救われた。そう思う。


今日はここで。


ワカバ🌿