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長宗我部 長宗我部友親著 文春文庫(2012年10月発行)

「ちょうそべ」とルビがあります。著者によれば「か」と「が」の読み方については時に議論も起こるそうなのですが、当家で代々使われている「が」を用いたそうです。

さて本書は戦国時代に四国の雄として名を馳せながら、徳川幕府開設後にはその名を失ってしまった長宗我部家の歴史について、現在の当主である著者がまとめたものです。

戦国時代と言えば群雄割拠の時代。あちらこちらにドラマの主人公が居る、という感じの、ある意味で華やかな時代ですが、そんな中で長宗我部家は今ひとつ詳しいことを知りませんでした。

戦国無双をはじめとする武将たちを取り上げたゲームもそこそこ嗜む(どちらかと言えば不得意)のと、他であまり聞かない苗字なので、名前ぐらいは知っているという程度でしたから、いい機会と思い読むことといたしました。「当主が書く家の歴史」なら間違いもないでしょうから。

長宗我部家はもともとが大陸からの渡来人だったらしく、本書はその大陸から始まります。しかもその源流は「秦の始皇帝」にあるとのこと。実際には「秦河勝」が始祖とされているようですが、この人は「日本書紀」にも登場し、聖徳太子とも関わりがあったとされています。西暦にして649年ごろ。秦河勝は都で様々な協力をして、信濃の国を与えられるのですが、1156年になりの保元の乱で敗者となったため土佐へ渡ることとなり、ここから長宗我部家が始まります。本書の記述の中心は、この長宗我部家の栄枯盛衰を描いたものとなっています。

構成は下記のとおりです。

はじめに
   大陸より 一族の遠祖、秦の始皇帝
第一章 土佐 秦一族から長宗我部家へ
第二章 興隆 土佐内乱と勢力拡張
第三章 中興 長宗我部元親伝
第四章 暗転 長宗我部家の滅亡
第五章 血脈連綿 忍従の徳川時代
   家名復活 幕末以降の長宗我部
特別対談 磯田道史×長宗我部友親

最後の対談の副題にもなっていますが、まさに「一大叙事詩」といった趣があります。記述の雰囲気はかなり淡々と時系列にそって出来事を並べられていて、個人的な感想としては塩野七生著『ローマ人の物語』の書き方に似ている気がします。

また、著述に際して「元親記(1631)」「土佐物語(1708)」が主な史料となり、そこに長宗我部家系図などの資料を用いて補足している、とのことですが、どちらも江戸時代になってからの著作物であるうえ、著者自ら書いているように「土佐物語」は軍記ものなため相当な脚色が施されているだろうと思われます。

ただ、それらのバイアスがかかっていることを念頭に読み進めれば、四国での様々な武将の動きや、戦国時代の中でどのように「乗り遅れてしまったのか」が「流れとして」よくわかる本でした。

「四国統一」と言えばとてもかっこよく聞こえますが、実際には統一できていたのは僅かな期間であり、京を中心とした天下統一の動きの中にあっという間に取り込まれ、敗者として数えられてしまいます。その後忍従の江戸時代を経て明治になってやっと家名を取り戻していきます。本書では端緒を元親の跡を継いだ盛親に求めていますが、一読した感想としては四国の地理的条件、隆盛を極めた時代、そして情報収集力にあったような気がしました。

四国は瀬戸内海に面していることもあり、公益や防衛面でもとても重要な位置にあります。そんな場所を信長・秀吉・家康がほおっておくはずもありません。これが京から遠く離れた場所であるか京を支配する武将が定らない時代であったなら、四国内部で国力を高めていくことができていたかもしれません。

あるいは、京での支配構造(おそらく予想を上回る速度で天下の情勢が定まっていったのだと思いますが)についての情報を確実に収集し、そのなかで四国を一国としてどのように認めさせるかの戦略が練れれば、薩摩の島津のような立ち位置になったのかもしれません(明治維新の立役者という意味では達成されていますが)。

なんか、戦国時代の日本史を別の視点から眺めているような、不思議な感覚になりました。かなり読みごたえがあります(巻末の対談もおすすめです)。

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