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骨が語る日本人の歴史 片山一道著 ちくま新書(2015年5月発行)

おおむね、旧石器時代といわれた頃から江戸時代ぐらいまでで発掘された人骨をもとに、日本列島に暮らしていた人々の特徴の変遷をたどっています。
表紙見返しに書かれている概要は次の通り。

発掘された古人骨を調べ、当時の人の様子を明らかにする「骨考古学」。その進展によって、日本列島の歴史は大きく書き換えられねばならないことがわかってきた。実は縄文人は南方からやってきたのではない。大陸から渡来した弥生人が縄文人を駆逐したというのも本当ではない。そもそも「弥生人顔」など存在しない―旧来の歴史学に根強く残る誤謬を科学的視点から検証。人々の生身の姿を復原し歴史をひもとく「身体史観」を提唱する。骨考古学の第一人者が、日本人の実像に迫る。

本書では著者の考えに基づいて様々な言葉の定義がされています。また学校で習ったような「縄文」と「弥生」の時代わけについても、その根拠がいかに薄弱か、そして地域特性がいかに大きいかを史料などに基づいて解き明かしていきます。

本書は2部構成となっていて、第1部では「日本人の実像を探る」として発掘された人骨から読み取れる体格などの変遷を、第2部では「身体史観の挑戦」として新しい歴史の見方を提唱しています。

「骨考古学」という聞き慣れない学問の視点からの考察であることもあって、すべてに合点がいっているわけではないものの、納得できる事柄も多くあり、歴史を見る視点の一つとしての重要性は深く感じました。

がしかし

なんとも「高慢な文章」が鼻につきます。いままでの歴史教育批判をするのは構わないし、自分の信念に基づく主張をするのもよいと思うのですが、あまりにも頑迷な感じもうけました。
何よりも一番引っかかったのが、「人骨は史料」というニュアンスがあちらこちらに見られることでした。百歩譲って何千年も前の人骨を「恐竜化石」のごとく扱うのは許すとしても江戸時代の人骨にはもうすこし謙虚であってもいいかな、と感じました。

通常なら、こういう感じの文章は嫌いですし、途中で読むのをやめてしまうのですが、それでも最後まで読んだのはやっぱり、それなりに興味深いジャンルだったんでしょうね。自分にとって。

ただ、最近の帯は大げさですね。今回の購入動機の半分は「帯につられた」ことによるのです。


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