凸凹やっていく論
最近、仏教についてもう少し知りたいなぁーとか思いながら全然気分が乗らず、本も読めていない。
今日は、「もしかしたらこれって仏陀の言ってたあのこと??」とか、「これって老子が言ってたことよね??」みたいに日常の中で当てはめて考えてることについて書いてみよう。
かなり個人的な話なので、読み手がいないテイでダラダラと書くかな。
で、内容はズバリ、結婚について、やな。。。
・結婚はおそらく人生最大の修行&苦行&自分のことを深く知る場所だろう
これは、多くの人が痛感すると思うけど、結婚というやつは、全くの赤の他人が「家族」という契りを結んで、共同体としていろんなミッションに立ち向かっていくわけなんだけど、この「結婚」というやつが上手くいかず結局離れちゃう人も多いし、上手くいくことの方が少ないんじゃないか??と思えるほどに、尋常じゃない忍耐力が求められる。
というのも、今日もウチでは朝から大喧嘩だったのだ。だいたい定期的に大きな喧嘩がやってきて、日頃の不満をぶつけるのだけれど、人って変わらないし自分自身が変わることもできない。
結局平行線でずーーっと凸凹した状態のまま進んでいってる。
だから、おしどり夫婦とか、すごくうまくいってる家庭を見ると「俺なんて、俺の家なんて、、」と悔しかったり嫉妬することもある。
また、自分の主張も通らないことも多く、本来、人生で1番自分の主軸になるべき家庭が1番自分を苦しめる状態が続く。
嫁さん&嫁さん両親に言いたいことは山ほどあるけど、言ったところで改善されない。まさにグチャグチャな状況。
なんで俺だけこんな辛い思いするんだ。とか思う。
で、これを仏教的に言うと
因果応報
なのかなぁ。
自分がそうなりたくない、こうしたい、と心から思っていても
結局自分の中に今の自分を作り出してしまう要因が山盛りあるってこと、だと思う。
今まで育ってきて培った自分というやつの奥のそのまた奥底に、本来の家庭という場所で自分がどのような存在になるのか、が無意識にインプットされてて、自分の表層心理とは裏腹に全然違う方向に進んでしまう。
自分に原因があるのもわかるし、因果応報というか、自分の心がそういう状態だから家庭も混沌とする、ってことなんだろうな。
○鏡の理論(職場のNさんの話)
昔一緒に仕事してたおじさんでNさんっていたんだけど、この人の話してたこともめちゃくちゃわかる。
この人は糸島市で邪馬台国の鏡の研究をしてる方なんだけど、
鏡の理論、というのを研究されていて
自分の今いる世界は自分が投影された姿である
ってことをいつも言ってた。仕事場で、たまに結婚生活の愚痴を聞いてもらってたんだけど、
嫁さんを許せないのは、本当は自分の中にその許せない部分があるからだ、的なことで
つまり、自分が小さい頃に親から受けた教育やらなんやらのなかで、自分自身が納得がいってない部分に、普段の生活の中ではなんとか折り合いをつけたり、反面教師として糧にして自分なりに答えを出したりしてなんとか乗り越えたつもりで生きている。
で、結婚とは、自分が1番許せない部分、自分が1番頑張って乗り越えた部分をちゃんと出来ない相手がパートナーになるように出来とるらしい。
つまり、自分が嫌だと思って自分なりに頑張って乗り越えてきた部分を、相手の中にイヤでも見つけてしまう。
これでもか、と言わんばかりに、相手が自分にとって許し難い行動を見せつけてくる。
で、相手のことを許せない、ムカつく、と
だけど、それは相手が悪いのではなくて、自分が本当に自分を許せてないからである
みたいなことを常にNさんは言い続けてた。
つまり、結婚の、家庭の問題というのは、自分の問題でもあるってことなんやな。
ちなみにNさんは離婚経験があるけど、元嫁とは別居しつつも仲良くご飯とか食べてる不思議な関係だったみたい。
もちろん、相手がとんでもないキャラで人権侵害とか凄いこともあるし、自分1人だけの問題ではない。
旦那と嫁が、2人とも修行して乗り越えないといけない部分がたくさんある。
それと、自分が怒れば相手も怒る、逆に、相手が怒ってても自分が怒らず穏やかにしていれば、相手も穏やかになる、という意味でも鏡の理論なのであり
これもなかなかに実践は難しいのだけど、よくわかる。
自分が相手に投影されちゃう。
だから問題も起こるし喧嘩も絶えない。少なくとも我が家の場合は。
なので、つまるところ自分自身の状態、というものに向き合わざるを、えない
世の中の全ての現象は自分の内面の写し鏡ってことになるわけで、この鏡の理論はかなり仏教的な考え方に近いのではなかろうか。
○陰陽、中道
これは老子的なのと、仏教にも似てるのがあると思うんだけど
物事が常に安定して良い状態、なんてものは存在しない
良い方へ行ったと思えば悪い方へ転じる
陰と陽を行ったり来たりするように世の中自体ができてる。世界の仕組みがそうなってるってことだと思う。
前にnoteでも書いたけど(こちら↓)
良いとこだけ持っていって悪い部分はナシ、なんてことはありえない
表だけの紙なんてないのと同じで
表があれば裏がある
光が刺せば影ができる
表裏一体なんだな、だから、喧嘩ばっかりしていても、結婚ってそれなりに良い面もある、と思えるかどうかだと思う。
これは、良い面をみる努力とかもしないといけないし、逆に良くしすぎるのも良くない。適度に良い状態と悪い状態を作っておいたほうが、物事の摂理には合っているってことだろう。
ウチの家庭の場合は、そういうことにしている。
あと、結婚ではなく自分という視点で考えた時にも自分自身が常に良い状態ばかりじゃなくて、世間一般では悪いと思われている状態にあえて寄せることもコツだと思う。
社会的に見て立派な趣味とか仕事とか良い面サイドを持っておく反面、誰にも言えないような自分だけの領域とか、人に言えない趣味(悪趣味なものも含めて)とか悪い面サイドも合わせ持っとくことで、自分のバランスがとれる、的な感じで心がけてる。これは「DOLL理論」とでも名付けておこう。
とにかく、世間一般の物差しではバカにされたり咎められたりするような価値観に重きを置くようにしてる。
で、これも肝心なんだけど、
仏教の中道
つまり
良い悪いを行き来するけど、極端に片側に偏りすぎてはいけない、というのも大事だ。
どちらかに極限まで偏ると、例えば悪い方に極限まで行くと家庭内暴力とか、もっと言えば包丁で刺しただの、通帳もって夜逃げしただの、とんでもないケースに発展しちゃう。
だから、ほどほどに悪い状態にしておくのがコツだろうな。
で、良いのと悪いのを行ったり来たりしながら、結果的に真ん中、中道を進むのがヨシ、と。
仏教の解釈がにわかの初心者なので、違うかもしれない。
とにかく、そういった哲学的なことも考える機会としては
結婚
というヤツはとんでもない修行に次ぐ修行そのまた先も修行であり、自分の成長につながってるかはわからないけど人生を深く考える最適な場所かもしれん。
ちなみに、最後になるけど
なんだかんだで娘の存在が1番大きいし
娘が陽の光のようにバランスをとってくれてるからなんとかギリギリで保ててる。
あと20年くらいしたら
「ウチの親父も、ウチの家庭も、まあ大変だったんだろうな」
とか理解できるかもしれない。
娘にこれからも伝え続けたいことがあって
「ダメな姿をとことん見せる」
これかなやっぱり。
人生のなかで素晴らしい聖人みたいな人間に出会うのは奇跡的な確率で、世の中の大半は僕みたいに「凸凹」しながら生活している一癖も二癖もある人間ばかりだし、変なヤツも多い。
だから、「ウチの親父もダメなところたくさんあったけど、ちょっと良いとこもあった」
くらいに人間のダメさ、生臭さというものを見せつけて、背中を見せておくことが自分の使命だと思ってる。
今のところ、自分に似ずに、まっすぐ純粋に育っている。
素晴らしい。
親が凸凹で不完全で幼稚な考えだから、娘はそのぶん良い方に流れていってるのかもしれない。
だとしたらこれからも凸凹喧嘩してグチャグチャやっていくしか俺の結婚生活はないのかなあやっぱり。それでいいか。
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