老子②
老子とか荘子、道教とかでよく見かけるのが太極図です。
陰と陽のバランスとれてる、例の図です。
これの考え方にも僕かなり救われました。
老子①で書いたけど、
世間一般では良いことは良い、悪いことは悪、なんです。
本質的に悪は排除しようとする。
でも、老子が唱えてるのは
自分の中のよくない部分、陰の部分を大切にしようという考え方だと思うんです。
人間というのを、どうしようもなくダメなところがある生き物だ、と、あきらめに近いところから見つめて、
人間って、もともと善と悪を併せ持ってる存在だよねってところを出発点にした思想だと思うんです。
人間、良いものも悪いものも併せ持った存在なんだから悪いもの、悪いことだけをどれだけ排除しようとしても自然の摂理に反してしまう
だから、わるい面も適度に受け入れていく必要がある。
ここで間違えてはいけないのはこれは必ずしも悪行を肯定しているのではない
もちろん法を犯すようなことはしちゃいけません笑
そういう側面が誰にでもある、ということをまず自覚して、自分の中のわるーい側面もほどほどに認めながら
良い方に必死に寄せようと足掻くんじゃなくて自然に任せましょう、みたい感じだと思ってます。
違ってたらごめんなさい笑
一神教の神に懺悔したりしても、やっぱり救われない、なんか違うっ、俺はやっぱりダメなんだ!ってなっちゃいそうなところを、
「それでええんや」と、ダメさを許容しちゃうくらい強力な受け皿なんです。
立派な行動もあればダメな行動もある
良い感情も悪い感情もある
どちらもすんごく大切だよと説いてる。
こんなヘタレでもいいんだ!!って思わせてくれる笑
前に書いた、チーズとハチミツじゃないけど、正反対のものが混在してる状態
ダメなところもあるから、エエところが映えるんや、的な。
老子という名前からして、老人と子どもって真逆なのも凄い惹かれます。そういう意味ではないのかもしれないけど。
てなわけでして、
仕事しててストレス溜まって
「あーもう、全員死んだらいいのに」とか
「クソ〜っ!」とか思っちゃうこともあるけど
そういうドス黒い感情を、取り除こうとせずに、大切にしていきなさい。
そうすれば自ずと、自分の良い面も大切にできるよ。
みたいに捉えてます。
僕なんかは、これでかなり救われましたし、今の職場とかで辛い状況があっても、自分を極度に追い詰めずに淡々とやれるようになった気がします。
それから、自分の気に食わない部分も少し受け入れてあげることで、自分以外の気に食わないやつら(小言の多い上司とか笑)も少しは許せるようになる。
そんな状態を太極図は表してるんだと思います。
太極拳とかはこの陰陽の太極図が術理になっていて、シンプルに言えば
相手が押してきたらこちらは引く。
相手が引けばこちらは押す。
力でぶつかったらイカンと。
亀甲のおじいちゃんが毎回耳にタコができるくらいに言ってることです。
押すvs押すはアカンと
これはつまり
陽と陽なんてありえないってことだと思います。
こちらはヘタレだからまともにやり合ったら勝てるわけないでしょ、だから相手の出方に合わせなさい、と言うわけです。
相手と自分が陰と陽みたいに、ぶつかることなくやれってことだと思います。
人の内面も一緒で、良い感情も悪い感情も常に双方が押し合い引き合いをしながら普段生きている。
だから、良い感情だけ全部もらって、悪い感情はナシにしちゃう、なんてのはありえないよと。
良い面も悪い面もどちらかが欠けたらバランスが崩れてしまうし、どちらも大事なんです。
この観念を覚えてからは、いくぶん生きるのが楽になりました。
善に全振りしなくていいから変な正義感もなくなるし
悪い部分も受け入れてあげることで、偏執的な悪どい考えも薄れます笑 これを排除しようとすればするほど逆に強くなっちゃうもんです。
受け入れれば薄れる。
「相手を〇〇してやろう」
「間違えてるから正してやろう」とか
「ちゃんと〇〇させなきゃ」みたいな不必要な「我」というものより、自然の摂理に流れを任せてある意味自分の我を諦めることで良くなることもあるよ、と老子は言ってるように思います。
これはnoteにこれまで書いてきた内容(オレオレ理論)とも非常に似ていて、日々これ実践です。
その点で、障がいのある人や子どもとかは邪念がなくて純粋だから自然に近いし接しやすい
逆に健常者同士だとエゴとエゴ、お互いの物差しがぶつかってなかなかこれがうまくいきません。
職場のポンコツ上司とかに対しては「このやろう!」とか思っちゃう毎日です。
老子的には、そういう感情も、それはそれでいいもんなのかな、と勝手に解釈してます。
長くなりました。
だいぶ独自の解釈なので、違うかもしれませんが、自分が楽になってるので良しとします笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?