表彰式でチューニングをした話
3月4日。
「第39回 日産 童話と絵本のグランプリ」の表彰式に出席してまいりました。
会場は大阪府立中央図書館。
最寄りの荒本駅は初めて降り立つ駅でした。
方向音痴なので心配でしたが、矢印の通りにしばらく歩くと、
ありましたありました!
中央図書館、立派な建物です。
おどおどしながら受付を済ますと、
「受賞おめでとうございます」の言葉とともに、名前入りのコサージュと入選作品集をいただきました。
名前が。
私の名前が書いてあります。
妄想じゃないんだね。本当に受賞したんだ。
ちょっと、グッときてしまった。
コサージュは左胸に付けます。
うまく付けられず、お手洗いで鏡を見ながらしばし苦闘。
ふと鏡の中で自分の名前に目をやり、またもや胸がいっぱいに。
自分で名付けた、まだ何者でもない私の名前を、こうして文字にしてもらえるなんて。
「樺島ざくろ」というふわふわした私に、輪郭をつけてもらったような気持ちだ。
空を、いやお手洗いの天井を仰ぎ、しばし感極まっておりました。
コサージュを付けかけながら、涙目で天井を凝視する人物。
あやしい人ですね。
ロビーには絵本の部入賞の方々の原画が飾られており、
待ち時間に眺めておりました。
たった1枚でも引き込まれてしまうような絵も。
見たい! これ全ページ見たいんだけど!
そして作者の方々ともお話したかったなぁ。
ホールに入ると、指定された席に案内されました。
私は前から2列目。同じ列にはコウタリリンさんのお名前も。
え、コウタリリン? 大賞受賞の?!
思わず、「コウタリさんですか? 受賞作面白かったです!!」と前のめり&早口で話かけてしまいました。
ワンピース姿の上品な方でした。
さて授賞式。
私たち佳作受賞者は、名前を呼ばれると各席にて立ち上がります。
優秀賞の方々は壇上へ。
そして大賞受賞の方はスピーチがありました。
童話の部の大賞受賞のコウタリリンさんは、13回目の応募とのこと。
その間、佳作や優秀賞を何度も受賞されているわけですが、あきらめず書き続けられた強い意志にとても感動しました。
だって13回だよ! 本当にすごいことだと思う。
落選のたびにどどーんと落ち込み、結果に一喜一憂してしまう私。
わが身を振り返りました。精進しよう。
コウタリさんは誌面インタビューで、今後は「ほの明るいお話を書きたい」とおっしゃっていました。
なんて素敵な言葉だろう。
ほの明るいお話。楽しみです。
絵本の部で大賞を受賞されたうめはらまんなさんは、なんと銅版画で絵を描かれていました。
原画を拝見すると、たしかに銅版画。モノクロです。
それなのに、ちゃんと明るい光やかろやかな質感がわかる。どうして?
独特の存在感のある、印象的な絵でした。
うめはらさんは受賞スピーチの中で、
「あのおばさんにあのとき大賞をあげておいてよかったなと思われるような、受賞させてくれた方々に後悔させないような作品を作っていきたい」という意味のことを、きっぱりとおっしゃっていました。
超かっこいいよ、うめはらさん!
すっかりファンになって、思いっきり拍手をしてしまった。
授賞式では、審査員の諸先生方のお話を聞くこともできました。
図書ボランティアを10年以上やっていたことがありまして、ミーハーで大変申し訳ないのですが、先生方はスターなのです。
いつも図書室にあって、子どもたちが毎年入れ替わっても、ずっとそこで見守っていてくれる定番の本たち。
私自身も、読み聞かせをしたり絵を眺めたりしてどんなに豊かな時間をいただいたか。
その創造主たる生みの親の方から生でお話を聞くことができるわけですから、そりゃ震えますよ!
鼻息荒くメモを取りながら聞かせていただきました。
富安陽子先生は、『鏡の国のアリス』に出てくる赤の女王の言葉、
「その場にとどまりたければ走り続けなければならない」を引用してお話しされていました。
とどまりたいのに、走り続ける。
一見、矛盾するような言葉だが、その場に居続けたいと思うなら相応の努力をし続けることが不可欠。私もそうですとのこと。
おなかにぐっと力が入り、背筋が伸びました。
『まゆとおに』もスズナ姫も大好きで、私にとって先生は雲の上のような「あちら側」にいる完成された方というようなイメージ。
でもそんな先生でも、努力をされ続けているというのならば、いったい私はどれほどの努力を積んだら良いのだろう。
そもそも、居続けたいと思える「その場」にだって、まだ到達していないというのに。
書き続けるしかないのでしょうか。
あきらめず、ねばり強く、図々しく。
身がぎゅぎゅぎゅーっと引き締まりました。
吉橋通夫先生は、佳作受賞者に特化したお話。
私たちが、「なぜあと一歩賞金に届かなかったのか」について話してくださいました。
待ってました、そういうの!
そう、佳作の私たちは賞金がないのです。
私たちと優秀賞以上の方々との差、違いとして吉橋先生がおっしゃったのは、自分だけの視点があるか、ということ。
素材にオリジナリティはあるか?
登場人物に魅力はあるか?
ストーリーに意外性はあるか?
つまり、独自の価値観や新しい視点を持っているか? ということが大事だとおっしゃっていました。
自分をふりかえっても、よくある言い回しを安直に使ったり、どこかで聞いたことのあるような予定調和の終わり方をしてしまったり。
あるある、あります。
ある程度読んだり書いたりしていくと、定番の物語構文のようなものが入ってしまって、それが正解かのように思ってしまうのかもしれない。私の場合。
私だけにしか書けないものを。
その原点を忘れないようにしなければな、と心のメモ帳にアンダーラインを引きました。
高畠純先生、黒井健先生は、主に絵本の部についてのお話でしたが、物語を書くうえでも参考になり、とてもためになりました。
上手い絵ではなく「いい絵」を描きましょう、とおっしゃったのは高畠先生。
「上手い絵」については意見が割れることがあっても、「いい絵」と思うものは、誰が見ても共通することが多いそうです。
なぜだろう。不思議だ。
でもなんとなくわかるような気もします。
また発想について、真面目に思い詰めればいいわけじゃなく、もやもやしている時間も大事だとのこと。
読み聞かせで何度も読んだ「オレ・ダレ」や、愉快な「ペンギンたんけんたい」を思い浮かべて、あの絵もそんなふうに生まれたのかしらと楽しく思いました。
黒井先生は、佳作作品には、作り手に若干のあいまいさ・歯切れの悪さがあるとおっしゃっていました。
ズキッ! 私は童話部門ですが、大いに胸に刺さりました。
そう、自分でもあいまいなままの部分があったかもしれません。
いや、あるね。なんとなくごまかしたところが、ある。
また、才能・努力・運のうち、努力だけが好きなだけできることだから、とにかく書き続けましょうという言葉も勇気をもらいました。
努力というと辛いイメージがありますが、好きなだけできること、やっていいことなんだと思うと、ふっと気持ちが変わります。
画風が定まるなかで、「このような絵を描くために生まれてきたのか」と思った瞬間があるというお話も印象的でした。
吉橋先生からは講評で私の作品について、
「友だちへの思いやりを通して主人公の成長が見られる点が良かった」というお言葉をいただきました。
びっくりしました。
そうなんだ! そこなんだ!
とても参考になり嬉しかったです。
でもそこは意図して書いたものではないのです。
たまたま振ったバットが当たった感じ。
私はまだまだだな。
自分の作品が客観的に見てどうなのか、批評眼のようなものが甘い。
狙ってホームラン、でなくてもヒットを打てるようにするにはどうしたらいいんだろう。
やっぱり、読んで書き、考えるを繰返すほかないのだろうな。
帰宅して、そんな表彰式の感想を長女にしたところ、
「お母さん、行って本当に良かったね。表彰式ってチューニングするところだからさ」
と言われました。
チューニング?
「今なにが足りないとか、ここはこっちの方向でいいんだとかさ、『良さ』を考えるときの自分の基準とか指針みたいなものが、表彰式とかコンテストに出ると、少し定まる気がするんだよ。他の人を見たり、講評を聞いたりしてね。それがチューニング」
彼女は音大生で、コンテストやオーディションの場数に関しては私の先輩です。
なるほど、チューニングね。
音楽をやってる人のたとえだなぁ。
娘の言う通りだ。
私は、表彰式でチューニングをしてきたんだ。
この経験がいつか生きてきますように。
表彰式の最後に、「大賞受賞の方は、編集の打ち合わせがありますので残ってください」というアナウンスが入りました。
大賞の方は作品が出版されるのです。
くー! うらやましー!!
せめて次は壇上にはのぼりたいな。
うん、がんばろう。
駅へ帰る道には、朝ドラ『舞い上がれ!』ののぼりがはためいていました。
ハッ、そうかここは東大阪!
青空を背に、元気よくはためく舞ちゃんたち。と、
え、下の方にいるの、誰?
と思ったら、東大阪で活躍されている実在の方々とのこと。
楽しいタイアップでした。
うわー、なんか元気出る!
東大阪に背中を押され、自分の滑走路をいつの日かテイクオフする日を夢見る、ざくろなのでした。
(脳内ナレーション・さだまさし)
*授賞式では、賞状と記念品の置き時計をいただきました。
嬉しい。ずっと大事にします。
良い経験をありがとうございました。