妄想性パーソナリティ障害と思われる母との日常
私は子供のころから「母は何か変だな」と漠然ながらずっと感じていた。
大学生になり、さすがに日常生活に支障をきたし始め、なんとか母をカウンセリングや病院に連れて行こうとなだめすかしたが、頑なに拒絶され続けた。
今思えば、母も本能的に、自分が病気であることに気付いてたのかもしれない。
でも、ここで病名を突きつけられたら、自分が病気であることを受け入れざるを得ない。それだけはなんとしても避けなければならない、という本能的な拒絶反応に近かったと思う。
当時の母を思い出すと、その(病院を拒む)必死さは尋常ではなかった。
つい先日、あるきっかけで妄想性パーソナリティ障害について読んだとき、母のことがそのまんま書いてある、と思った。
この病気だったか、という腹落ち感と共に、この病気を抱える母の老後に対する絶望感に襲われた。
妄想性パーソナリティ障害の症状と言われるもの:
他社が自分を利用したり、傷つけたり、裏切ったりしていると感じる。
悪意のない言葉や行動に敵意、脅迫的意味があると感じる。
侮辱、中傷されたと感じると恨みを抱く。
母はずっと、誰かに嫌がらせをされていると訴えてきた。その都度相手は異なるのだが、嫌がらせをされていない事は1日たりともない。
でも母の話を聞いても、全く合点がいかない。母が嫌がらせだと主張する出来事は、私にはなんの意味もない出来事だからだ。母が説明する「嫌がらせの原因」を聞いても、なんの因果関係もないからだ。
でもそれを指摘すると激昂するのだ。
母にとっては、それらは「疑い」ではなく、「確信」であり「真実」なのだ。
それを否定することは、母そのものを否定することで、真実を捻じ曲げる裏切り行為なのだ。
さて、この母の老後の面倒をみる、というステージが間近に迫っている私は、この課題にどう備えるべきか。
まずは、もう少しきちんと妄想性パーソナリティ障害について、学ぶことから始めてみよう。
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