あれからどれだけ経ったのか

 1986年2月22日にフィリピンで起こったピープルパワー革命。3年前のベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺事件、そして86年の大統領選挙の不正などを受けエンリレ国防相やラモス参謀長ら国軍改革派将校が起こしたクーデター。フェルディナンド・マルコス政権に抗議する100万を超える民衆がエドゥサ通りに集まりました。

 3日後の2月25日、コラソン・アキノが大統領就任宣言を行うと独裁政権の象徴マラカニアン宮殿はマニラ市民に完全包囲されました。既にマルコスを見放していたアメリカですがそこに最後の手を差し伸べ午後9時米軍のヘリコプターが夫妻を宮殿から脱出させました。CNNのLIVEは正にドキュメンタリー映画。
その後マルコス夫妻とその一族は米軍クラーク空軍基地からハワイに向かい亡命したとされていますがこれには1項目加える必要があります。

 フィリピンからの米軍機が向かったのはグアムのアンダーセン基地。およそ3時間のフライト。ハワイまで直行するには約10時間ということを考えるとこの緊急脱出劇に一息入れたいという意味もあったのでしょうがなにより心配されたのが元大統領の健康状態。数日間のクーデターそして失脚、命懸けの脱出によるストレスは容易に想像出来るし持病もあったもよう。

 深夜グアムに着いた元大統領が運ばれて来たのは一般の市民病院だったことはあまり報道されていませんが現地は大騒ぎでした。グアムの人口の3割を占めるフィリピン出身者。アメリカ政府との蜜月によりグリーンカードを乱発したマルコスの人気はグアムでは絶大でしたが彼に基地内の施設を使用させないアメリカ政府の対応はマルコス政権の終焉を告げていました。メディカルチェックを受け亡命先のハワイに飛び立った彼でしたが再び故郷に戻る事はありませんでした。
 2022年,故マルコス氏の長男フェルナンド・マルコス氏が第17代フィリピン大統領に就任、くしくもルフィ報道最中の2023年2月8日に日本を訪問。
ここに思い出したあの日を✒️

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