見出し画像

もう父の日に目をつぶらなくてもいいよ

「パパ大好き!」って言えるようなお家に生まれたかったなぁと、中学生の頃から思っていたような気がする。

何かの話の流れで、父親のことが嫌いだと話すと、部活の顧問の先生から「なんか意外やね〜」と言われたことを覚えている。多分、周囲の目には、『父親と仲が良さそう』な人間として映っていたんだろうなと思う。

だからそういうイメージも苦しくて、父親のことを好きになりたいけど、好きになれない自分が悪いのかなぁと考えていた。


小中学生の頃は、なんとなく希望を持って、私から歩み寄ったときもあったけど、続かなかった。(なんで私から歩み寄らなきゃいけないの?)

父親のことは、嫌いというより、関心がない、といった表現の方が正しいかもしれない。父親も同じく、私に興味がないから。 


ほとんど家にいない人だったけど、単身赴任が決まったときは、すごく嬉しかった。父親が帰って来たら自分の部屋に逃げ込まなくても良くなるし、休日は父親がリビングにいない時間を狙って1階におりるようなことをしなくても済むから。そうやってる自分を、自覚しなくていいから。

でも、そのときぐらいだったかもなぁ。母親が鬱になったのは。ある意味、ホッとしたのかもしれない。どうにか保っていたものが、安心とともに、崩れ落ちたのかもしれない。

それほどに、母親にダメージを与えていた父親を好きにはなれないし、これからも正直関わりたくないなぁ、というのが本音。まぁ、向こうから連絡もないんだけど。

幼い頃から父親親族の愚痴を母から聞かされてきたから、私が実際に見てきたものより、母のフィルターがかかった世界での印象の方が強いのかもしれないなぁとは思う。
(母のことは好きだけど、私は絶対に自分の娘に母と同じことはしないと、心に決めている。でも、母がそうしないと、潰れてしまうことも分かっていた)

不器用な人なのかもしれない。
私への接し方が分からないのかもしれない。
でもだからって、私が何かきっかけを作らないといけないんでしょうか。
小中学生の頃と違って、今の私は、自分から父と関わりたいなんて、1ミリも思っていません。




毎年、母の日は楽しみにしているイベントだった。

何をプレゼントしようかな。
何をしたら喜んでくれるかな。

色々考えたらワクワクした。

母の日が終わると、今度は色んな媒体で、父の日に関する広告をたくさん目にするようになった。
興味がなかった。
自分とは関わりのないイベントだと思っていたから。


今年の母の日。
母親になった私に、夫が「母の日だから、ちょっとゆっくりしてきなよ!」と言って、外に出してくれた。
自分が「母の日」の対象になったのかぁ、と、ちょっとびっくりした。


例年通り、母の日が終わったら、今度は父の日祭りになった。

でも、見え方が変わった。


父の日は、父になった夫も含まれるのだ。


それが分かると、一気に世界が明るくなった。
私は夫に何をしてあげようか?
何をプレゼントしようか?
娘がもう少し大きくなったら、一緒にサプライズもできるなぁ。


今まで知らんぷりしていた父の日が、これからは、思い出に残るような楽しいイベントになっていくのかもしれない。


やっと父の日のイベントに、私も参加していいんだなって、なんだかちょっと、許されたような、ホッとしたような、そんな気持ちになった。

夫は、私の中で積み上げられてきた男性像や父親像を、ぶち壊してくれるひとだ。
私の世界を変えてくれてありがとう。


娘の父親が、夫で良かった。
娘の父親になってくれて、ありがとう。


時々不機嫌モードになってしまう私だけど。
これから改善していくから。
末永くよろしく。
いつも本当に、ありがとう。


父の日。
色々考えたけど、読書好きの夫に、本をプレゼントすることにした。


スヌーピー好きの夫が、本屋さんでチラッと眺めていたような気がして。
いつもプレゼントは、当日を待てずにフライングして渡してしまうタイプなのです。
喜んでくれて良かった。


私も読んでいるのだけど、チャーリー・ブラウンの人物紹介がまるで夫のようで、さらに愛しくなった。



こうして段々、実父の存在が私の中で薄れていくんだろう。
こうやって文章にできただけでも、良しとするんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?