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「はじめて、しもまち」始動。

7月19日(日)付の、にいがた市報中央区だよりにて、「はじめて、しもまち」のプロジェクトについて掲載されました。

今回そのプロジェクトのメンバーとして選定頂き、既に市内・県内で幅広く活躍している方と携わる事になりました。今もまだ、自分の立ち位置に困惑していますが、得意というか仕事というか趣味というかどれにでも該当しますが、【歴史】を軸にしもまちを発信していけたらと思います。ライターとより寧ろまち歩きを企画している側の立ち位置として、です。

僕は部類のラーメン、居酒屋好きなので、歴史以外にもラーメン店や居酒屋なども紹介していきます。(学生時は、年間200前後ラーメン食ってました(笑))

さて本題に。先日、例年よりかなり遅いですが新潟も梅雨明けしました。それに伴い、雨続きだった天候も回復したので、まち歩きに備えて下見へ繰り出しました。

柳都大橋を渡り、旧豊照小学校前を通過し、願随寺を目指し歩きました。

願随寺敷地内にある松。新潟島が長岡藩から幕府の天領へと変わり、初代新潟奉行に就いた川村修就は、砂防林の植樹に取り組み、在任中に3万本弱植えたと言われています。

願随寺敷地内を通って、日和山展望台へ。
首都圏に7年半在住していたせいか、幼い頃に行った場所を始め殆どの事が記憶から消えていましたが、ここから海を漠然と眺めていたら、ふと思い出す。驚きましたね…完全には消えていなかったんですね。

日和山展望台から市街地と海を眺めた後、いつものルートで日和山五合目方面へ。今は休業中ですが、まち歩きの後の疲れを癒す場としてもオススメです。また、住吉神社(かつての日和山)のある場所は、幕末の吉田松陰がここから佐渡を眺めたとされています。余談ですが、吉田松陰は寺泊にも足を運んでおり、佐渡出身の本間精一郎は吉田松陰の尊王攘夷運動に触れ、倒幕を志すようになります。

日和山五合目近くにある寺院には、このように「魚介供養塔」なるものが。初めて知りました。

引き続きまち歩き実施に向けて、あと数回ほど下見をし、本格的にコース設定をする予定です。

次回へ続く

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