最近の記事
エルフレスアレイ (オリジナルピアノ曲)
アメリカ合衆国で初期に造られた古い住宅を、現在もほぼ当時の儘で見ることが出来る場所があります。 それが画像の通り、フィラデルフィア市にあるエルフレスアレイです。 この曲は、そのエルフレスアレイの風景をピアノで表現した自作曲です。 ここでフィラデルフィア市は、ペンシルバニア州南東部にある大都市で、全米でも6番目に大きな街です。 そのフィラデルフィア市にあるエルフレスアレイの通りには、石畳の道沿いに32軒の古風な住宅が建ち並び、驚くことに今もそのうち29軒に人が住んでいます。 エルフレスアレイの起こりは、18世紀初頭に2人の地主が、フィラデルフィアの大きな通りの間に、小さな道を敷設したことに始まります。 通りのエルフレスという名前は、その当時、ここに住んでいた銀細工職人のジェレマイア・エルフレスという人の名前に由来しています。
- 再生
夕暮のリンダウのクリスマスマーケット
ドイツの小さな町リンダウのクリスマスマーケットの夕暮れをイメージしたピアノ曲です。 日本人にはあまり馴染みのない観光地ですが、画像のように素敵なところです。 灯台があるので、海に面する町だと思った方もいると思いますが、海ではなくボーデン湖です。 リンダウは、ドイツのバイエルン州の小さな町で、人口は約2万人です。 スイス、オーストリアの国境を臨むボーデン湖に浮かぶ島にあります。 リンダウは、欧州の観光地として有名で、島乍ら橋が架けられ鉄道も通っています。 国境に位置する為、中世の頃からボーデン湖の水運を利用した物流の拠点として栄えてきました。 13世紀には、神聖ローマ帝国皇帝のルドルフ1世によって、自由都市として認められる程の力がありました。 17世紀に三十年戦争でスウェーデン軍が島に迫るピンチが訪れますが、幸運にも難を逃れました。 その後、リンダウは19世紀初頭よりバイエルン王国に属していましたが、ドイツに併合されました。 また、リンダウは、有名なアルペン街道の起点にもなっています。
-
-
- 再生
ハロウィンの灯 (ピアノ曲)
ハロウィンの雰囲気をピアノで表現した自作曲です。 ハロウィンは、キリスト教のお祭りと思いがちですが、全く関係ありません。 その理由は、単純にキリスト誕生以前からある行事だからです。 古来は、ヨーロッパ北方民族であるケルト人が新年を迎える為の儀式でした。 ケルト人は、スコットランドやアイルランドに古くから住んでいた人たちです。 ちなみに日本人から見て、白人の人種の違いはほぼ分かりませんので、ケルト人は白人の一民族と理解して下さい。 ケルト人の暦は私達の現代使っている暦と異なり、ケルト人の新年は現代の11月1日に当り、その為10月31日が所謂大晦日になります。 さらに20世紀以前はハロウィンは、世界的にもマイナーな行事でした。 20世紀初頭にアメリカでアイルランドやスコットランドから移民して来た人達の影響により広まり、そこからアメリカ人により世界に広まりました。 ですから、今でもロシアや東欧、フランス等の西欧の一部ではハロウィンは、一般的に行われていません。 日本で広まったのは、戦後関係の深いアメリカの影響です。 現代は南瓜が、ジャック・オー・ランタンに使われていますが、南瓜が発見される以前の15世紀から16世紀までは、ジャック・オー・ランタンに蕪が使われていました。 更に大人が仮装するというのは、最近出来た習慣で、昔は子供だけでした。 このようにハロウィンは、一民族の伝統行事でありながら急に世界に広まって、然もかなり変化しており、今後も変わっていくと思います。
-
-
- 再生
ピッツバーグの夜 (ピアノ自作曲)
ピッツバーグは、アメリカ北東部ペンシルベニア州にある大きな街です。 この曲は、ピッツバーグを表現した自作ピアノ曲です。 ピッツバーグは、オハイオ川の支流となる川の合流地点に位置し、水と橋の都と呼ばれています。なんと橋の数は400脚以上もあり、その数の多さに驚かされます。 ピッツバーグ市自体の人口は約30万人でそれ程多くありませんが、ピッツバーグを中心とした経済域では、人口236万人にも及ぶ大都市圏を形成しており、画像の通り高層ビルが建ち並んでいるのが、ピッツバーグの中心街の風景です。 アメリカ北東部という位置的にヨーロッパからの移民が多かった為、街中で見るヨーロッパ文化を受け継ぎながらの独特な建築も美しく、アメリカで住みやすい街として上位にランク入りする街です。 またの名をアイアンシティとも呼ばれるピッツバーグは、19世紀後半にアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが、この町を鉄鋼の町として発展させました。 ピッツバーグの名は、初代チャタム伯爵ウィリアム・ピットに由来し、1758年にイギリス軍のジョン・フォーブズ将軍が名付けたものです。
-
-
-
-