ピノコを宿した40手前のおっさんが婦人科に通う話

記憶が曖昧になってきたので、忘れないうちに記録をしておく。

あの時は生まれて初めて頑張った。
文字通り命を懸けて頑張った。
それまではほぼ努力せずに、受験や就活も何となく決まってしまった感じで、挑戦はせず、だから挫折なんか感じずに過ごしてきた。
だけどあの時は頑張った。

だらだらと働き始めて小銭を持つようになると、友達とはもちろん一人でも酒を飲みに出かけるようになった。
節制という我慢ができるわけもなく、当然肝臓に影響が出るわけで、肝臓の指標の数値はすべて3桁以上になり、2~3年連続で要精密検査の紹介状が届いていた。

2018年も同じように飲んでいた。
11月の初旬。
確か金土と他県からの来客を接待し、日曜日だけ休肝日にして、月曜日に職場の健康診断を受けた気がする。
初めての胃カメラにもうドキドキだ。
発泡剤を口に含み、バリウムで流し込む。
すぐにゲップが出そうになりながらグルグルマシーンに乗ると、オペレーターが偉そうに「はい右に2回転してください」「はい次は斜めね」とか言いやがる。
どうしてもゲップが漏れ出ると即座に「何やってんの」と怒られる。
職場負担とはいえ、なんで金払っているこっちが怒られるのか、不満たらたらの健康診断だった。
着替えが終わり、ロッカーのカギを返すと、血液検査などの速報をもらう。
うん、やっぱり肝臓がだめだな、と思いながら仕事に戻った。

次の日火曜日。
自分が担当する水曜日の会合の準備をしていた夕方だったと思う。
健診センターから電話だと言われ、電話に出てみると、
「昨日の検査の結果、胸に影があり、肺がんの恐れがあります。本日、肺がん検査の紹介状を発送したので、届いたらそれを持ってすぐに大きな病院で受診してください。」
たぶんこんな感じのことを言われた。
肝臓じゃないのか。
最初に思ったのはそんなことだった。
でもすぐに、ああこれやばいよね、と思い、上司に報告。
とりあえず紹介状がなければ受診できないんだから、というもどかしさと不安でドキドキが止まらず、その日は疲れて寝落ちしたような気がする。

さらに次の日水曜日。
健診センターは同じ市内なので、普通なら紹介状は今日届くはず。
実家からは出ていたが、引っ越しの手続きを何年もしてなかったので、多分紹介状は実家に行くだろうと考えた。
自分が見る前に、親に見られるわけにはいかない。
幸い、会合の会場と実家はそれほど遠くはないため、親に見られる前に回収に向かう。
後輩に車を回してもらい、実家の郵便受けを開いてみた。
紫色の肺がんなんたらかんたらというはがきサイズのものだけが入っていた。

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