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アメリカの労働組合でインターンしてみた。

 タイトルの通り。去年9月にオハイオ州の某大学に進学したが、あんなに決意や覚悟を深々語っておきながら9ヶ月で帰るのはあまりに早い気がしたのでこの夏はアメリカに残ってインターンをすると決めていた。



 就活=インターンのアメリカでも、1年生から気合を入れて数ヶ月のインターンをするのは少数派。疲れて地元で休みたい人が多いのと、職歴や学内での経験が選考の基準になることが多いため相対的に不利だからだ。
 留学生が応募すること自体は、Curricular Practical Trainingという書類が学内で通れば国内生と同じ扱いになるので就労ビザがいる就職と比べて難易度は易しい。



 とは言いつつ、忙しい学期中に沢山の会社にエントリー書類を送ったり面接を受けたりするのは大変だった。実際、志望理由を満足できる状態まで推敲できたのは2社だけだったし。オルタナティブプランは無かったので、United Steelworkersから2ヶ月間インターンで採用との連絡が来たときは嬉しさより安堵が勝った。



 United Steelworkers(略してUSW)はペンシルベニア州ピッツバーグに拠点を置く労働組合で、アメリカ東部有数の規模を持つ。部類としては産業別組合に当たる。このタイプの組合は日本で一般的な会社別組合と異なりその業界で働く全ての労働者を組織していて、USWも組合の起源である鉄鋼業をはじめ、教育、ヘルスケア、運送業など様々な現場で会社や職種の隔てりを超えた広範な労働運動を展開している。


 労働組合への関心は先学期に労働社会学の授業を取ったときに生まれたが、アプリケーションに書いた心からの理由は去年の福島での体験だった。あの原発事故で、穏やかな生活を選択肢なく奪われる機会損失をした地元の人がいること、何百年も続く暮らしの歴史が一方的に断絶されたことの重大さを、何でこんなに無かったことになっているのだろうと一夏の暑さに原発再稼働が叫ばれる様を見て思った。
 大きい存在・遠い存在は、この場所で今日を生きてる一人一人が何に幸せを感じ、何に苦しんでいるかを知らない。一度きりの人生を誰もが心豊かに過ごすには、同じ境遇にある自分たちが自分たちを支える、守る、意見するというルートが必要だと思った。食べて働いて休む、そんな当たり前の生活のために必要な給与と待遇を集団の力で求める労働組合は、これをそのまま具現化する存在に思った。




 そうして始まったインターンは、本当にあっという間に過ぎ去っていた。業務内容は、以下の4つのタスクを時期とチームの予定によって組み合わせているような感じだった。1つ目は、ピッツバーグ大学のスタッフの組合結成のため、集まってきたサインが有効であると認証する仕事。2つ目は、ピッツバーグ大学の臨時教員の組合の有料メンバーシップカードを集めるためにキャンパスで待機したり教授を突撃訪問したりする仕事。3つ目は、今後組合結成が見込めそうな会社の事前調査をSNSでする仕事。4つ目は、会社の紙ベースの過去データをデジタル化する仕事。デスクワークからキャンペーンのオーガナイジングまで、かなり多種多様なことを経験させてもらった。





 アメリカのオフィスで働くとは、アメリカの大学で勉強する何倍もアメリカという国の文化や考え方を実感する機会だった。日本のオフィスはテレビドラマ×学校の職員室のイメージでしかないが、朝礼もなく出勤時間もバラバラ、全員個室で仕事、無論定時に帰宅という光景には驚いた。ジョブ型雇用とはこういう仕事範囲の完全な個別化・明確化と同義なんだろうなと漠然と思った。

 私はこのスタイルが圧倒的に好きだった。それは上司は結果でしか判断できない分プロセスをとことん自分に最適化していいから。例えば私は事務作業を音楽を聴きながらやっていたけど、粗相があっても音楽を聴いていたこと自体は責められなかったと思う。「私」に一番効果的な形でやれる自由は心地良かったし実際効率的だった。
 日本では見かけの程を取り繕うために無駄な遠慮や個人にとって遠回りな行為をしがちで私はそれがとても嫌いだ。でも、アメリカには忖度が一切無いという話ではなくて、時間と場所が自分のペースで流れる環境が整っているという後押しが大きいと思った。だから日本でも本当にそれを乗り越えたいと思うなら、気にしなくていいからね!って言う精神論だけではなく、自然にそうできるワークプレイスを作ることが重要だと思った。


インターンにすら個室が与えられるアメリカ式オフィス


  
 また、上記のタスクの2つ目と3つ目に当たるが、このインターン期間中にフェーズの違う2つのキャンペーンに参加できたのはとても幸運だった。特にピッツバーグ大学のスタッフのキャンペーンでは、ここ10年のペンシルベニアのパブリックセクターで最大の組合結成の結実に立ち会えた。


州議会での会見に勇んで臨む


 祝賀イベントや記者会見も多く開かれ、同席できたが、そこでも驚いたことがあった。1つは、アメリカのスピーチの上手い人の上手さがちょっとレベチなこと。大学生をやっているともスピーチ・プレゼンが苦手な学生とも出会うから平均点が高いという意味ではないが、最高値が凄すぎる。抑揚、言葉選び、笑いを取るタイミング、終盤にかけての盛り上げ方。大きな会議や会見で話すような人は皆スキルが恐ろしく光っていた。

 言葉一つでこんなに空気を作れる人がいるんだと思った。人文学は大学でも立場が低くなりがちだけど、彼らのように、本当に誰かの心を動かし、また一つにする感動的な言葉の使い手、世の中はもっと大事にした方が良い。


 そしてもう一つ、この一連のイベントで実感したのは、アメリカの人々の、「私は何があっても、誰にどんなことを言われても掲げた正義を貫く通すのだ」モードになった時の無双ぶりだ。映像には収めることができなかったが、大統領選挙の時のイメージまんまにスピーカーと聴衆が超、マジの全力でコールアンドレスポンスをやる。あまりの勢いの強さと集団での没入感に完全に引いてしまって私は声出せなかった。
 
 不思議と、初めて通勤時間帯に日本で電車に乗り、スーツを着た大人が満員電車から無表情でゾロゾロ歩き出す姿に恐怖を感じたのを思い出した。盲信的な偏り、機械的な協調、やっぱり文化の一番褒められるところと一番気味の悪いところは同じところにあると思う。


私も後ろの方でプラカード掲げてるよ


  有料メンバーシップカードを集めている時にも、「どうして年収の1%も取られるのに、自分に直接的に還元されるとは限らないのに登録するんですか?」とサインをした人に聞いてみたら「私にとってSolidalityとは人生で最も重要な価値の一つなんだ」というような回答が多かった。今は自分は大丈夫だけど明日は我が身かもしれない。だからこそ、困っている仲間に今手を貸すのは当然のことなんだ、と。労働組合に好意的な人は民主党支持者が多いのでリベラルな価値観が主とはなるにしろ、その志を持った人が最終的に8割近くになるのは日本ではまずあり得ないと思う。個人主義だからこそsolidalityのために動くし、逆に日本はコミュニティー優先だけど自己責任論が伝統的にあるこの互いの皮肉さ、今後もう少し深ぼってみたい。


キャンパステーブリングの様子。4時間座っても最高3枚だからほぼ仲間達とお喋りタイム

 労働組合は、会社ともNPOとも違う、本当に唯一無二の社会的な存在だった。例えるなら、労働者というポップスターを支える芸能事務所で、組合の人的リソース・組織としての経験があるから労働者は実現したいことを求められるし、労働者がいるから組合にお金が入る。事務所に所属する機会、バックアップをもらう選択肢が与えられていることは一個人の可能性を大幅に広げていると思った。一般的な批判の通り、組合に有利な搾取の構造にもなり得るのは事実だけど、労働者の権利を保障しエンパワメントをするには不可欠な存在だと確信した。

 そして働くという経験、街の中で自分の暮らしをするという経験は、間違いなくアメリカがどういう国なのかの解像度を上げてくれたと思う。カリフォルニアのは最低時給15.5ドルでもペンシルベニアは7.25ドルだし、道を歩けば2日に1回はお金を貸してくれと声をかけられる。アメリカの同年代と話してたらアメリカ社会やばすぎるとか、自分たちの世代は親以上に稼げないとか言ってる。でも、広場に行けば小さな花束を持って歩いている人がいて、困っている時に光の優しさで助けてくれる人が絶対一人はいる。バスが一向に来なくても誰も怒らないし堂々と電話している人だらけだから赤ちゃん連れも罪悪感一切無し。

 これだけ色々な角度からアメリカを見て現場で社会学をし、日本から他国へ出てみる意義を存分に味わった。実は、このインターンシップは通っている大学の卒業生の基金でサポートし、スポンサーや給料支給は全てそこが担ってくれていた。総合的に留学した意味を深めてくれる経験になったし、逆かまた大学に戻って見たものをディスカッションするのも楽しみ。2年目は学期中にも学外のコミュニティと接する時間を取り、社会学を実践的にやることを続けたいと思う。

 


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