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向かい風に立ち向かう勇敢な冒険者でありたい、令和3年


こんな状況で仕事を辞めるなんて、無鉄砲だったかもしれない。
横浜に残らないで実家に帰ったほうがよかったかもしれない。


夜ひとりで布団に入っていると、もう1人の自分が語りかける後悔と恐怖で胸が詰まることがある。よく考え決断したことでも、後悔は次から次へと湧いてくる。この期に及んで、と自分でも呆れる。
道を決めた今のわたしがすべてで、もしそれが間違っていると思うならいまから方向を変えればいいだけ。
心配や後悔なんてしたところでなにかが変わるわけじゃないんだから、今どうするか考えるべきだとは思うけど、どうしても夜にやられるときがある。


冷静に考えると。
どこを歩いても楽な道なんてない。戻ったから楽なんてことは全然なくて、むしろ辞めないと心と体はおかしくなるところだった。辞めたいというきもちはわたしのすべてだった。
なにもかもうまくいかず立ち往生してしまったら帰る場所がある。
人生に失敗なんてない。
違ったと思うならやめればいいだけ。

応援してくれる人がいる。
会いたいと言ってくれている人がいる。
近くの街に大好きな人がいる。


人はみんな人生の中で大きな選択をするときがあって、
迷ったことがない人なんて絶対にいない。
わたしの今の選択だって、決まるまで本当に苦しかった。迷って、苦しくて、たくさん泣いた。
それで決めたこと。



こうやって苦しみながら悩んで、小さな後悔を重ねたこと忘れないでおきたい。
誰かの大きな選択を見た時、その先のことを案ずることよりも、
悩んだ時間を労うことができるわたしでいたい。
よく決めたね、頑張ったね、と声をかけたいな。


まあ、人のことより、今はわたしだ。
もがいて立ち向かうことを、決して忘れないように。
いろいろなことを諦めたわけではない。


馬場俊英/人生という名の列車

せつなくもバカバカしく愛しい季節がやがて過ぎた頃に
列車が着いたのは「旅立ち」という名のターミナル
大好きだった友達も恋人もここでさよなら
パパとママがくれた切符もここまでさ
裕次は北へ 秀樹は南へ 淳子は西へと向かった
僕はというと駅のベンチでまだ行き先を決めかねていた
何をすればいいのか するべきなのか 
ろくに考えたこともなかった
旅立つ友達がみんな大人に見えたっけ 
あれは確か 平成の元年

それからの日々は必死だったので良く覚えていないけど
人生という名の列車は走った
同級生のジローがそのうち学校の先生になり
あいつなんかが先生でいいのかと 俺は本気で思った
いつしか大人になりわかったことは
大人もみんな迷っていたんだっていうこと
拝啓 先生 あの頃あなたも迷っていたんですね
前略 父さん母さん 
あなたたちもこの風に吹かれていたんだと
この向かい風に立ち向かっていたんだと
遅まきながら知った気がした あれは平成十年

人生の大きな選択の時、いつもこの曲が浮かぶ。
世代も性別も大切にするものも違っても、この歌は響く。まさに、ベンチに座っているところだ。

ところでこの列車の行き先を決めるのは一体何だろう
偶然か実力か運命か それとも神様の気まぐれか
地平線の向こうから吹き付ける風 水平線に朝の光
この戸惑いと不条理の世界 人間社会にようこそ
ウソつかず 誤魔化さず 
どんなときも人に優しく 決して腐らず
わかってるし気をつけてるし頑張ってる 
でも出来ないよ カトちゃん
でもどんなときも信じる事 決してあきらめないで
向かい風に立ち向かう 勇敢な冒険者でありたい 
平成十八年

立ち止まっていると感じる時も電車は止まっていない。

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