見出し画像

先祖の供養をどうすんねん…という話 シメ

この二年、先祖の供養ということについて、しまい作業を行いながら、あれこれ考えました。

驚くほどの数、神仏にまつわる物品を処分しました。
仏壇をはじめ、お盆に飾っていた提灯8セット、様々なお札、経本30冊ぐらい、仏具セット、掛け軸10本ぐらい、数珠やらなんやら数えきれないぐらい…。

無造作というか、出来るだけ感情面に心を向けず、機械的に作業をしていきました。
「今までありがとう。おつかれさまでした。」
と口の中でモゴモゴ言いながら仕分けを行いました。

生きている人々、供養する側の命が愛に溢れていれば、義務的ではなく、自然に湧き起こる先人に対する感謝の思いをもとに、身の丈に合った供養が出来るのではないか…。
少なくとも、自分はそのように供養の気持ちを持って生きていきたい、と思います。

結局のところ、愛が存在しなければ、どんなに形式に則った、また絢爛豪華な供養をしていても、社寺仏閣に、長年にわたって高額なお布施を納め続けていても、双方に感謝の気持ちや信頼関係がなければ、結局どこかで途絶えてしまう。

生きている子孫は、自分たちの代で供養が途絶えたことを気にしながら、すっきりしないモヤモヤを心のどこかに抱えて日々を過ごしている。

わたしのしまい作業は、かなり雑で無神経な部分が多々あったかもしれないけれど、とにかく「モヤモヤすっきりしない状態」を解消したいと考えていたので、そこをクリアできました。
これから先は、自分なりに出来る供養をしていこう、派手なイベント(法事とか)は行えないけれど、先人のことに思いを馳せながら生きていこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?