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仏壇を捨てました 先祖の供養をどうすんねん…という話 その5

ようやくジャンボ仏壇を運び出すところまで漕ぎつけた。

搬出人員は、アラフィフ運動不足筋力不足のわたしと、同じくアラフィフ腰痛持ちの夫の二人しかいない。
甚だ頼りないメンバーだが、手伝ってくれる人はいないのだ。やるしかない。

とりあえず夫が引っ張ってみる。

「ぎゃー!重たい!これはアカン無理無理無理!」

このままでは二人では持ち出せないということで、分解を試みる。

夫が「あそこにいる子孫の人(わたしだ)が良いと言ってるので失礼します。」とかブツブツ言いながら、バールを使って、見るからに重量のある観音開きの蓋を剥がしていく。蓋、めっちゃ重い。すごい立派な木が使われている。いかにも高そうだ。

以前人気番組だった「びふおーあふたー」的に言うと、
「亡きおばあちゃんが大事にしていた〇〇は…なんということでしょう!匠の手で新しい命を吹き込まれなんたらかんたら」
という流れだ。
しかしここに匠はいないし、元は仏壇である。あふたーするにも「元仏壇の蓋」なんて、微妙な感じ。目にするたびに「ああ、この仏壇を片付けたときは大変だった…」と後ろ向きな気持ちになりそうだ。やっぱりあふたーはやめておいた方が良さそう。

蓋が無くなると本体は一気に軽くなったので、二人で引っ張り出して仏壇を棚から下ろすことができた。

仏壇の後ろから何やら「卒塔婆」が一本出てきたが、気づかなかったことにする。

ついでに仏壇の下、地袋(天袋の反対、床の近くにある小さい押し入れのような物入れ)も開けてみた。
左のミニふすまを開けると、中には線香立てが、灰ごと入っていた。燃え残った短い線香も立ててある。多分祖母が動けていた10年以上前のままである。

こういうものを目にすると、いくら他の宗教を信仰しているからといはいえ、最近までここで寝起きしていた伯母と家族に対して色々思うところはある。が、そんなことをいちいち気にしていたら身が持たないので、無言で処分する。

右のミニふすまを開ける。

古すぎて壊れかけた位牌が二つ出てきた。

位牌…

位牌…

母あー!位牌は全部墓へ入れたんとちゃうんかあああ!

光の速さで母に電話。

わたし「ちょっとアンタ!仏壇の下にまだ位牌あるやないの!どういうこと!?」←激怒
ダメ人間母「えっ?知らんよー!そんなところにお位牌があるなんて、一度も見たことないし聞いたこともない!」
わたし「なんでお坊さん来る前にちゃんと周りを確認せんかったんや!もー!これどうすんの!宅急便で送るからそっちでお経あげてもらいな!」
ダメ人間「いや待って、宅急便はまずいでしょ!そもそも誰のお位牌?」

料金未納でお寺を解約され、エコバッグに遺骨9人分を入れて持ち運び、墓に流し入れた非常識人のくせに、宅急便はまずいとか常識的なことを言ってくるところが、いちいち腹立たしい。

わたし「よくわからんけど、ずっと昔の人ちゃうか。文政、とか書いてあるで。戒名は全然読まれへんし、名前なんかわからん。しかも全部で10人分ぐらいまとめて入ってるで。どうする?お墓か宅急便かどっちか選んで。」
ダメ人間「ええっ?今決めるの?ちょっと考えさせて…」
わたし「じゃあ宅急便な!決まり!」
ダメ人間「あっいやいや、お墓で良いです。お墓に入れといてください。お願いします!ハイ!」←即答

Googleで調べたら、文政という元号は江戸時代だそうな。

江戸時代…。

江戸時代に北海道に先祖が住んでいたとは思えないし、一緒に置いてあった別の位牌は「昭和+年」と記入されていて、位牌の板の質感や墨の濃さなどが同じような感じなので、恐らく昭和+年ごろに書かれたものだと推察する。

昭和+年の位牌には「☆田@@」と俗名が書いてあったが、時代不詳の8人分は戒名のみで、詳細情報は一切わからない。
ここにあるということは、多分、ずっと昔の先祖の皆さんということなのでしょう。そういうことにします!

発見された位牌10人分をずらあーっと並べ、
「皆さん、何年もしまい込んだままでごめんねー。あちらの大日如来さんに入ってー。この位牌は、お墓に入れるね!ちょっとばたばたするけど、これからお墓でゆっくりしてね。」
とまたまたお祈りする。

お祈りしていたら、ダメ人間から着信。
「位牌なんだけどね、その辺に、捨てるシーツとかあるから、できるだけ白っぽい布に包んでお墓に入れといてー。お坊さんが白い布に包んで入れたら良いって、こないだ言ってたからさー。」
さすがダメ人間、墓へむき出しで遺骨をそのまま流し入れただけのことはある。「捨てるシーツ」とか言うてるし。

ジャンボ仏壇を、夫と二人でなんとか車に積み込み、付属品は燃える・燃えないに分別し、位牌は祖母の白い肌襦袢(これしかなかった)に包み、家を出る。

ゴミセンターは車で10分ぐらいのところ、お墓はそこから5分ぐらいのところにある。

まずはゴミセンターに行き、車に積んだ元仏壇一式をおろす。
センターの人に「これ仏壇?」と聞かれて、法要が済んでいる旨を伝えたが、特に躊躇することなく受け入れてくれた。新聞紙にくるんだ卒塔婆も無言で引き取ってくれた。
ありがたい話である。わたしは、ゴミセンターの職員さんたちに深く感謝した。最後の最後に処分してくれるのは、職員さんなのだ。

車を空にして、お墓へ。
夫が、お墓の蓋をゴロゴロと押して開けてくれた。
二年前にじゃーっと入れた骨さんたちが「久しぶり!変わりない?」という感じでお迎えしてくれる。
「しょっちゅう開け閉めしてごめんねー。お騒がせします。こちらの位牌さんたち、おうちにあったので、これから一緒にお願いします!」
と言いながら位牌を中へ入れ、元通り蓋を閉めて、お墓を掃除し、おまいりする。

ようやく仏壇一式を片付けることができた。

仏壇を、小さいサイズに買い変えて、わたしの手元に残しておくことも考えなかったわけではない。それでもいいかなと思っていた。
ダメ人間は「あんたも嫁いでいて、☆田家の人間じゃないんだから、それはできないんじゃない?」と、まったく建設的ではない意見をドヤ顔で述べていた。
しかし、そういうなんの解決にもならない無意味な思想がこの状況(何年も仏壇閉めっぱなしとか、お寺を破門とか)を招いたのでは?と突っ込むと、
「あっ、そうね、まったくその通りです。よろしくお願いします!」
と即座に態度を翻した。
もう少し骨のあるところを見せたらどうなのか、ダメ人間。それぐらいの気概なら言うなや…。

結局処分することにしたのは、今やらなければ、誰かがいつか処分しなければならない、ということに気づいたから。
わたしがもし明日死んだら、家族の誰かが仏壇を処分しなければならない。
仏壇をゴミに捨てるなんて、誰だってやりたくない作業なのに、夫や子どもや、未来のその時に存在していたとしたら孫が、維持できなくなったタイミングでその作業をせざるを得なくなる。
自分には、残された人に処分をお願いするだけの力(はっきり言ってお金だけど)はない。力量不足である。

まあでも、家族や個人単位で、お墓だの仏壇だの神棚だの、所有していくということ自体が、今となってはおこがましいことなのかもしれない。
昔の人は仏壇や墓を所有し、維持管理していくことに重きを置いていただろうが、そこを重要視するあまり、自分の意志を消した人もいれば、負担に感じた人もたくさん居たに違いない。

今でも、お墓や仏壇、それに準ずるものを維持していることに誇りを持ち、維持できなくなった状況に陥った存在を貶すというか、「没落」「家が途絶えた」と表現する層も存在する。

わたしは、わたしなりの愛をもって、先人を供養していきたいので、「けしからん!」と非難される行動かもしれないけれど、これで良かったと思っている。

ちなみに仏壇の処分代ですが、粗大ゴミは100キロあたり1000円だそうで、1080円でしたよ〜。意外とリーズナブルでした。


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