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『ショーシャンクの空に』を見た

最高だった。
私の貧しい映画体験の中で、間違いなく最高の時間だった。

※以下全部ネタバレです
※ ✕ レビュー ○ 備忘録

彼らは壁に名前を彫る。

 ……ってタイトルのレビュー絶対あると思う。本当に隅から隅まで巧妙でメッセージ性に溢れた作品だった。

 まずアンディー。最初に全てを失った男。
 裁判での言葉少ななやり取りだけで、彼が聡明だと分かる。本当に賢い人間は『みっともない嘘』を吐かない。本当に冷徹なのか、本当に「やってない」のか。いかにも理性的な彼が妻と愛人を蜂の巣にした、というのも面白いけれど、この映画ではそんなに無茶苦茶なことは起きない。
 あるべきものがあるべき場所にある。
 彼は無実だった。無実の罪で、全てを奪われた。

 そして、語り部として登場するレッド。若い時分に人を殺して刑務所に入った。彼は塀の中、調達屋として、泥臭く狡猾に生きている。老獪して悟ったフリをしている。いわゆる『古株』で、中身を暴けば劣等感の塊みたいなキャラクター。彼が『理想的な凡人』として魅力的だから、この映画はずっと魅力的だ。もし私が刑務所の中で彼と友人になれたら、塀の外でそれを自慢すると思う。自慢する相手がいればだけれど。

 アンディーは凄く育ちが良くて物事を分かっている。理不尽に感情が勝てない事を知っている。知識と理性で身を守っている。
 最初はそう思うだけだった。
 とんでもなかった。
 確かにそれは全てを守る鎧だったけれど、彼はそれを最大限『武器』として扱い、文字通りの風穴を開けた。

 アンディーが囚人税理士としての初仕事の報酬にビールを要求するのが良い。そのビールを皆が飲むシーンで、1人シラフのまま笑っているアンディーが良い。それを見て『普通の人間の気分を味わいたかったんじゃないか』と思うレッドが良い。
 レッドはアンディーを自分と違う人種だと思っている。言葉通りの意味で、言葉以上に強く。

 中盤でアンディーは、ただの税理士に戻っていく。きっと元の生活と同じように仕事をして、元の生活以上に情熱を持って、自分の置かれた環境を改善していった。彼にはその為の力があった。

 ブルックスの仮釈放で、初めて『施設慣れ』という言葉が出てくる。この概念は本当に色々な場所に言えると思う。普通の社会に生きる普通の社会人だってそうだ。暮らした場所はその人の居場所になる。
 良くも悪くも、そこでしか生きられなくなる。
 そうじゃない人もいるけれど、それはきっとひと握りで、そのひと握りにも期限がついている。若さって名前の期限が。
 ブルックスにとって、50年ぶりの施設の外はどんなにか恐ろしかっただろう。そこは本当に広くて、騒がしくて、どこまでもひとりぼっちの世界。
 そんな世界で、力のないちっぽけな個人が生きていけるはずがないんだよ。
 アンディーが6年間毎日手紙を出して整えた図書館を、ブルックスは知らない。ブルックスが管理し続けた図書館が、彼の指名した後継者によってどんなに綺麗になったか知らない。
 彼は生きていた。「ブルックスここにありき」と書き遺した小奇麗な部屋じゃなくて、ボロボロの図書館で生きていた。生きて死んだ。レッドの「ここで死なせてやりたかった」が本人にとっても『希望』だったんだろう。その希望は叶わなかった。
 彼は物語の中で何も特別じゃないけれど、何も特別じゃないからこそ私達は痛みに寄り添える。心に残って離れないキャラクターだった。
 アンディーは、寄贈本に混じっていたレコードで『フィガロの結婚』を刑務所中に流す。フィガロの結婚、物語を聞き噛っていれば「なんでこれ?」と違和感を覚えるんじゃないかと思う。ここで恋愛喜劇。私も詳しくないしイタリア語も全然分からないので、どのシーンで流れる歌なのか知らないけれど。
 でも、やっぱり詳しくない私には、なんだか鎮魂の音楽のように聞こえた。
 レッドは歌詞なんか解りたくないと言った。同感だった。歌詞を全く解れないことが、彼等を自由にした。

 アンディーの生活は、囚人とは思えないくらい順風満帆だった。帆を張る船は泥舟だったけれど、着々と前進していた。彼の持つ能力によって。
 その力を利用する者がいた。ノートン所長だ。持ちつ持たれつのビジネスパートナーのようにして、所長とアンディーは「汚い金の流れる川」をうまく渡っていった。所長の私腹は肥えに肥えた。

 そこに現れるのがトミーだ。彼も死ぬ。良い奴ほど死ぬ。彼らは狡猾になる事に慣れていないから、不運に抗う術を持っていない。
 アンディーの冤罪の真相が、トミーによってもたらされる。それを聞きつけた所長によって、妻子のために高校卒業資格を取ったトミーは、出所まで間もなかったトミーは、それはもうプチッと殺される。アンディーが理由無く懲罰房に入れられていても、口封じされるなんて考えすらしなかったんだろうな。彼は良いやつだったし地頭も良かった。そして正しい倫理観を持っていた。さらに言えば正しさは暴力の前に無力だ。
 所長は聖書を掲げているのに悪人過ぎるんだよ。死ぬまで他人に裁かれなかった。自害は罰というより逃走だ。彼は逃げ切った。そういう奴だった。
 何もかも甘くない。
 正直触れたくない序盤のレイプ事件を含め、この映画はきちんと『甘くない』。人間はあっさり死ぬし、悪事を働くし、賢い他者と敵対した悪事は永遠には続かない。始まった事には終わりがある。その終わりは必ずしも理想的じゃない。

 こんな感じでアンディーは、最初に奪われ、自分の力で取り戻し、それを再び奪われた。アンディーはレッドに出所後の夢と思い出の場所を教えた後、「頑張って生きるか、頑張って死ぬかだ」と言って立ち去る。
 直後、彼がロープを入手したと聞いたレッドは、アンディーの自殺を嗅ぎ取った。流石にそろそろ、何もかもに絶望しただろうと思った。
 読みは外れる。レッドはアンディーの事になると、言い当てるのが下手になる。

 アンディーは脱獄した。ロープは荷運び用だった。いやほんと、全部キレイに回収して脱獄した。彼の趣味も仕事も言葉も振る舞いも、全部が脱獄によって噛み合った。最高に気持ち良かった。書類の上にしか居ない『スティーブンス氏』はこの時のためにあったんだ。汚い金の川を渡る為の名前は、汚い川(下水道)を渡り切ってシャバに生還したアンディーの本名になった。

 レッドの「カゴに閉じ込めちゃいけない鳥もいる」という言葉がしみじみと響く。この世には圧倒的な「持つ者」がいて、レッドはアンディーが眩しかった。彼は自分の持つ希望を正しく恐れていた。「安寧」という名前の希望だった。それを得るだけの力がレッドには無かった。アンディーとは違って。

 アンディーは主人公だった。彼がいなければ物語は動かなかった。
 でも、この物語はレッドの物語だった。最初から『アンディーと出会ったレッド』の物語だった。

 実を言うと私は最後に裏切られるんじゃないかと怯えていたんだけれど、友は再会を果たした。

 レッドの希望は叶った。握手は交わされたし海は青かった。

 こんなに血なまぐさい物語の最後にこんなに爽やかな余韻があるなんて凄くない……? 凄い……。

 最後にもう一回言いたい。
 最高だった。

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