下手な先輩
中学生で吹奏楽部に入ってた頃のことです。
これ何があったんですか?っていう話ですよね。(自分が書きたいだけだな…)
今は、ざっくり書きます。3年間のそれぞれの出来事は後々書こうかなと。
先生、同級生とはいるだけで楽しかったし授業はきちんと受けてた。
この部分ではとても充実した学校生活だった。
でも学校終わりになった途端足がすごく重くなる。
1年生の時は練習がダルく感じるから行きたくないという理由がほとんどだった。これはたまに起こる程度だった。
しかし2、3年生の時は違う理由でほぼ毎日僕を苦しめていた。
「後輩達が怖い…」
なんで怖いって?
僕は1年生の最初から吹奏楽部員として、ハードな練習を一生懸命頑張って練習していた。
少しでも上手になろうと思って練習していた。
でも、同期の人より全然上手くなかった。
金管楽器のチューバを担当していました。
指がうまく回せなかったり、タンキングをうまくできなかったりだった。
そんな基礎が危うい状態で2年生になり、後輩たちがやってきた。
僕にも一人だけだけど後輩ができた。活発な男子でとてもやる気に満ちていた。
基礎練の指導も演奏曲の練習も僕がすると、どこかで音が抜けたり、音が外れてしまったりした。
そんな僕に呆れてしまったのだろう。
当然だと思う。うまくない先輩と一緒に練習なんてしたくないはず。
僕は上手じゃない。そんなことは分かってた。
うまくなくてごめんね。何度も謝った。
でも少しでも頼れる先輩でありたい。
しかし、そんな気持ちは長く続かなかった。
気づいたら僕よりうまくなっていた。
ろくに挨拶もお互いしなくなっていた。
ほかの後輩は挨拶に応じてくれた。でも男女かかわらずどこか気まずい感じがした。
そこから、僕は自信とやる気を失くしてしまったのだろう。
後輩と一緒に練習なんてほぼしなくなった。
その結果、僕とその後輩だけ個人練習を1時間、部員全員で集まって演奏曲を練習を1時間するのが基本的な部活動内容となった。
僕がミスして気まずくなるのがすごく怖かった。
ほかの楽器・パートの人たちは、個人練習のほかにパートで集まって一緒に練習をしていた。
演奏は真剣にしてるようだった。でも覗くといつもにこにこしているように見えたり、パート内で上下関係なくゲラゲラ笑って雑談が盛り上がってるのが遠くでも聞こえた。
すごく楽しそうだった。
僕はそもそもまともにその後輩たちと会話をしたことがなかった。
僕はこんな気持ちを抱いた。
「僕がここにいる理由ってあるのかな?」
後輩より、同期より下手な僕が居続ける理由が見つからなかった。
居続けてもみんなの足を引っ張るだけだと。
だけど、みんなでうまく合奏できた時には互いに喜びあい達成感に浸ることができた。
「死んでもいいのかな」そう考えてたことも…あったかも知れない。
でも、本気で死ぬ気はなかった。無断で休むこともしなかった。
生きる理由なんていくつもあった。家族にも友達にも僕を必要としているから。
同期は僕のことをフォローしてくれたから。
心配はかけたくなかった。部活が厳しいということは、クラスみんなも先生方も知っていたから。
(母校では年々マイルドになっていて、引退した後もマイルドになったらしい)
ここではこうして長文を書いているが、担任との相談の時は「部活が厳しいですねー。」この一言で片付けてしまった。なぜ吐き出さなかったのか…
じゃあそんなに辛いならやめたらいいじゃん?
そうすればいいのかな。と考えてたけど何故か居続けていた。
というのも、この部活動、男子が壊滅的にいないのである。
当時は女子が約20人以上いた中で男子は先輩後輩合わせて手で数えられるほどしかいなかった。
「そんな中辞めるなんて部員の事を考えたことがあるのか?」
そんなことを言われそうだと思って、やめるということを言うことができなかった。
もし、辞めてしまったらチューバを吹く人が後輩一人だけになってしまう。
1年生の入部した時から「君は貴重な男子部員だからね。」周りの大人達にこう言ってくれた。
最初は誇らしく思ったが、後々に自分を苦しめてしまったようだ。
でも悪気はないことはわかる。
モチベーションを上げるためにかけてくれた言葉だから。
技術力があって、後輩と楽しく会話が弾むようなそんな頼れるような、憧れるような上手な先輩。
技術力がなくて、後輩になめられ、居続ける理由を見出せなかった下手な先輩。
すぐに辞めてしまえば楽になれる。
けれども、
辞めてしまえば確実に誰かが困ってしまう。
答えを導き出せず引退してしまったジレンマ。
なぜ気持ちを吐き出せなかったのか。
これらの問題の答えはなんだろう?
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