常磐道と流山市

埼玉県三郷市と宮城県亘理町を結ぶ常磐自動車道の中で最初に開通したのは1981年の柏-谷田部間の開通。起点側の埼玉県三郷ー柏が開通したのは「つくば科学万博」が開催された1985年に開通した。

①三郷ー柏間の不思議な構造

 三郷ICより常磐道に入り、江戸川に入り流山市に入ると、柏IC先まで長い堀割構造とトンネル区間となり、一度も外の景色を見ることのない巨大な構造物に囲まれる。初めて通った人は、なぜこんな構造になっているのかと疑問を持ったことのある人もいるだろう。それには流山市の歴史が大きく関わっている。

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        巨大なトンネル構造物だが厳密にはこ道橋の扱いである。

②高速道路の上の空間は・・・?

 本線を走っていると全く気付くこともない高速道路の上方空間、実は巨大な公園が整地されている。実は、常磐道を流山市を貫くのに対し、一筋縄と行かなかったのが流山市である。当時流山市は常磐道が市内を貫くと騒音や大気汚染で周辺の住宅地の環境悪化が懸念されるということで、その対策としてトンネル構造及び高い遮音壁に囲まれ、その塀も何度もかさ上げをされているというのには驚きである。(参考)PDF https://www.city.nagareyama.chiba.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/682/kinennsi.pdf

③もうひとつの不思議な存在、流山IC

現在こそ普通のインターと同じ構造になっている流山インターであるが、開通当時は「流山有料道路(普通車100円)」を支払わないと乗り降りすることができない特殊なインターで、日本テレビのニュース番組「憤激リポート」にも取り上げられている。実は流山インターは開通当初にはなく、1992年に開通した追加ICである。その証拠にインター番号が「1-2(当初は1-1)」と枝番になっている。 これは前途の通り、市内にインターができると市内の交通量が増え、環境悪化に繋がるとしていたが、開通後、やはり市内にインターが有るほうが便利ということもあり、地元がインター増設を請願したが、当時の日本道路公団はそんな自己都合な条件をのむはずもなく、地元負担になってしまったため、建設費を補うため、有料道路と扱いになり、現在は無料化した歴史となっている。

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④三郷ー谷和原区間が抱える現在の問題

常磐道はルート番号が「E6」の通り、国道6号線と並行する高速道路であり、起点の三郷から茨城県境(利根川)までは約10分でアクセスすることできるが、平行の国道6号線(江戸川境ー利根川境)でアクセスしようとすると、平日休日問わず、混雑時で約2時間かかることも珍しくない。    これは、国道6号線に平行する4車線及び幹線国道がないこと、また4車線道路にしては狭小区間およびオーバーパス(立体交差)の整備が少ないことが関連していることが関連していると思われる。      この区間は、常磐道に平行する「つくばエクスプレス」沿いに、完成4車線形の「都市軸道路」東京都足立区青井ー茨城県つくば市間の都市計画道路整備が進行中で、千葉県内では松戸市-柏市間が完成しており、現在利根川を超える橋の計画が進行中で、完成すれば常磐道に平行するバイパス道路が整備されれば、千葉県東葛地域の渋滞解消また、茨城県とのアクセスが向上すればより茨城県と首都圏の結びつきが強化され、発展することに期待したいと思う。

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