見出し画像

何度も生まれる人 HYDE LIVE2020 Jekyll&Hyde

2020年。そこそこ長く生きてきたけれど、今年ほど何もかもが変わってしまった年はなかった。新型コロナウィルスの感染拡大がこの先どんな結末を迎えるのか、自分達の身を守るためにどう対処するのが正しいのか、一年の半ばをとうに過ぎた今もあやふやなままぎりぎり平静を保って日々暮らしている。そんな時に、HYDE LIVE2020 Jekyll&Hyde開催の知らせが矢のように飛び込んできた。

2020年の始まりは初L'Arc~en~Cielライブで華々しく幕開け、からの激変

遡ること9ヶ月前。今年1月、L'Arc~en~Cielのアリーナツアーのチケットを手に入れて、私は7年前に楽曲を聴き始めてから初めて彼らのライブを生で観た。

しかもオープニングのhydeによるナレーション(参加した大阪城ホールはhydeが担当していた)のとおり圧倒的至近距離で。

過去のライブ映像を観る限り、広大な会場やド派手で大がかりな演出、ストリングスなどの同期の音が多い事もあって、ラルクにバンド感を求めてはいけないのだなと理解していた。もともとシンプルなバンドサウンドが好きだった自分の、唯一彼らにあったらいいなと望んでいた部分がそれでもあった。

それが、初めてのライブで叶えられてしまったのだ。

大阪城ホールはまるでライブハウスのようだったし、メンバーの熱量が肌で感じられるような演奏とhydeの波紋のように会場内に広がる歌声や雄みの強いパフォーマンスに腰を抜かさないでいるのに必死だった。

私はL'Arc~en~Cielのライブを、知ってしまった。

それが1月のこと。その頃既に武漢では大変な事態になっていたはずだけれど、まだまだ海の向こうの出来事。続く横浜アリーナや代々木の公演もライブビューイングのチケットを購入して、大阪の興奮と感動を追体験できる期待にわくわくして過ごす毎日だった。

それが、全部消えた。

中止発表の日、何の因果かHYDE CHANNELのデート企画という深刻さの欠片も感じられないニコ生配信があり、HYDEが艶々の顔ではしゃぎながら登場したのをべそをかきながら眺めていたのを覚えている。どうしていつも彼ばかり風が強く当たるのだろう、と。

その前後からほぼすべてのエンターテイメントの中止・延期の発表が続き、アーティスト達はそれでも私達の(そして自分達の)心の灯りが絶えないよう、過去のライブ映像配信にインスタライブ配信とさまざまな手で、音を声を届けてくれた。

そんな中でHYDEもニコ生配信やグッズ通販などのアクションは起こしてくれたけれど、ちょっと一曲歌ってみようかなんてことはなくて。ああ、中途半端な鼻歌程度なんて聴かせるつもりはないんだな、その時が来るまで待てるだろ?という事なんだね、と大人しくサイズの合わないグッズのマスクを購入したりして黙って待ち続けた。

もとから頻繁にライブに行ける状況でもなかったから、自分はそこまで涸渇しているわけではなかったと思う。けれど、あるけど行かないのとないから行かないという選択肢すらない、というのでは全く違うのだ、と思い知らされた。

いつまで続くのかわからない自粛、我慢。もしかしたら前と同じようにライブハウスでロックバンドのライブを観る事はもう諦めなくてはいけないのかな、という半ば疲れて投げやりな思考。それでも年始めにあのライブを経験してしまった今、それがこの先奪われてしまうとは考えたくなかった。

LIVE EXの無観客配信ライブに光を見た

ネットのインタビュー記事でHYDEが無観客配信ライブに興味はない、と語っているのを見た直後にLIVE EXの発表があったのは7月半ばだったか。

Zoomでファンの顔を客席に映すという演出に一抹の不安を覚えつつ観た放送は、最高のひと言だった。たぶん本人が一番楽しんでいたし、カメラを存分に利用しつつ客席までステージの一部のように転げ回って歌い煽り跳びはねるHYDEは、限界近くまで来ていたこちらの瀕死の心を一瞬で甦らせてくれた。この日のMAD QUALIAは今までに聴いた中で一番激しく胸に刺さった。持ち時間の制約も、USツアーのように効率的に手持ちの最強な札を使って魅せられる結果に繋がったんじゃないだろうか。

こうして皆の顔を見ると安心するねと柔らかく笑うHYDEに、またやられた、とこちらもテレビの前で笑うしかなかった。負荷がかかるたびにこの人は鮮やかにかっこよさを更新して跳躍力を増していく。

LIVE EXの感動が薄れる間もなく観客を入れての5日間のライブ日程を知らせるメールを見た時、どうしてか涙が溢れてしまったのを覚えている。眩しかった。前を照らしてくれる光のように感じたし、やっぱりライブが必要なんだね、とその無邪気な初期衝動にさえ感じる行動力(もちろん周到にリサーチや打ち合わせを重ねて、いけると確証を得てのゴーサインだったろうけど)に妙な愛しささえ感じての涙だったかもしれない。

発表からライブ当日まで、何だかあっという間だったように思う。つい忘れそうになってしまっていたけれど、ライブ配信が始まって客席にまばらとは言えない程度に観客がいるのを見た時に少しの不安を感じたのも事実。けれど、発表があった時からそこに関しては、踏み切ったからにはHYDEは最悪の事態が起きても全部受け止める覚悟はできているはずだと思っていたから、すぐにその気持ちを打ち消した。

見たかったもの全てがつまっていたAcoustic day

不穏なSEの後、初日がスタートした。

私の観たかったHYDEの理想のライブがそこに全てあった。

ゆったりと音に身を委ね、音を束ね、リラックスして歌うことに集中している姿。余計な演出は一切ない、たまに客席をいじる様子も穏やかで恥ずかしくなるような煽りのMCもない。ライブビューイングやテレビ番組のようにせわしなく切り替わることもなく落ち着いたカメラワーク。初日は感慨や抑えきれない興奮もあったのか随分荒々しいHORIZONだったけれど、それすらニルヴァーナに繋がる演出みたいだった。

一年以上、長いUSツアーも共に過ごしたメンバーだからできたのだろう曲のアレンジ。私の大好きなANOTHER MOMENTはツアーの間中ジャンプソングにされたりエアダンサーに世界観をぶち壊されたり散々な目に遭ってきたけれど、ここへきてまさかこんな繊細なアレンジで華麗に甦るとは思ってもみなかった。SET IN STONEはきっとメンバー皆が自由に意見を交わして変化したのだろうな、中東の妖しい色を纏ってHYDEが自在に声を操る様子は圧巻だった。

これだ。照明も紙吹雪も大がかりな舞台装置も衣装さえも要らない。HYDEの声と表情の微かな変化だけで、目の前のPCのモニターは消えて夕暮れと夜の間のオレンジと紫の空の下、異国の路地裏になる。

多幸感に包まれたまま終盤に入り、再びギターを持ったHYDEが歌ったL'Arc~en~CielのI'm so happy。全くの想定外だった。hicoのコーラスでこの歌を聴くなんて思っていなかった。両目からぼろぼろと涙を流してI love youと連呼する彼を見ながら、どうしてもこの人はドラマチックになってしまうんだな、と泣いた。ソロ再始動時にフェスでHONEYを披露したしたたかな彼と、MMXXで何年振りかで絶唱した歌を今ここで歌う彼。これに関して未だにHYDEから受け取って感じたものをうまく言葉で表せない。けれど誰かの言葉に置き換えるのがもったいなくて、今はこのままで大事に持っておきたいからTwitterをやめた。ツイ廃だったからいつまでも離れていられるのかはわからない…。

私が観たのは初日と2日目、どちらも本当に良かった。Acoustic dayは現地の方も配信組もそんなに印象は変わらない演出だったのではないかな?少なくとも私はライブを観に行ったのと同じような余韻に浸りながら視聴を終えた。

ANTIツアーの狂騒も過ぎ去ったNEOTOKYOの片隅に夕暮れ時集まった男達の、ひと時の手慰みについ熱が入ってしまったようなセッション……そこから、夜が更けて彼らが本来の異形の姿を現しサバトが始まる、かのようなRock day…!

臍の緒を引き摺って産声をあげるHYDE

私が観たRock dayの配信は最終日。アコースティックライブがあまりに良かったからおそらくANTI FINALの延長線上であろうと予想したRock dayは正直観なくてもいいかと思っていたけれど、チケットは購入していたから割りとフラットなテンションで開演を待った。

実は、去年のツアーファイナルが私には最高のライブだったとは思えなくてずっとモヤモヤしていた。もちろん歌もパフォーマンスも最高だったし、ファンがHYDEを思って激しく暴れる光景にはたしかにひとつの愛の形を見たけれど。観客も演出の一部だと言い芸術的なカオスを作ろうと何度も煽るMCには興ざめだった。カオスなんて先に言葉ありきでそこめがけて作り込むものじゃないのにそれに芸術的という飾り文句までつくから、端的に言ってダサいなとしらける気持ちを抑えるのが辛かったし、ファンが灯したスマホのライトを眺めて僕の大事な人の光だと言う最終日のMCには後ろめたさがあった。

そんな私を呪いで石にする勢いでどアップのHYDEが禍々しくSET IN STONEを歌い始めた。そこからMCなし。一切なしで畳み掛ける。激しいのに歌がうまい。MCがない分曲間の繋ぎに入る演奏が気持ちを途切れさせないばかりかどんどん高められていく。だんだんHYDEが狂気じみてきて怖くなってくる。それでも、カメラのスイッチングを的確に捉えながら寝そべったり妖しく舌なめずりしてみせたりする様子に、正気を保っていることを確認して安心する。新曲3曲が辛そうだったのは歌い込んでないからブレスのタイミングが定まってなかったせい?ORDINARY WORLDで伸びやかに歌う様子を見ればスタミナ切れというわけでもないのだろう。MAD QUALIAでファンを映すスクリーンの前で癇癪をおこしたように“はねちゃ”を煽るその姿に、こちらの生ぬるさを暴かれたようで号泣してしまう。あまりにも生命力が強すぎて爆発してしまうんじゃないかと思った。毎回私の何かを激しく刺激するDON'T HOLD BACKの嗚咽のような叫びは、思いどおりにならずどうしてと泣きわめく子供のようだった。

BLOODSUCKERSは、きっと深い意味はない。激しいのをもうひとつ噛ませたくての選曲、だと思っておく。ものすごく時空の歪みを感じたけれどそれはまた別の機会に。

ANTI FINALがORDINARY WORLDでしんみり終わるのが嫌で、旅は続くのだから力強く道を照らすAFTER LIGHTをオーラスにしてほしい、とライブ前にぼやいていたのだけれど、その希望も曲こそ違えどここへきて叶ってしまったし、カオスを演出するためならMIDNIGHT CELEBRATIONでこそ使うべきだと皮肉ったエアダンサーも、見透かされていたかのように最後ウニョウニョステージで揺れていた。

蓄光の液体の飛沫でどろどろに汚れたHYDEが喘ぎながら息も絶え絶えに上半身を剥き出しにして、スタッフの不手際か何かにぶち切れながら始まったMIDNIGHT CELEBRATION Ⅱ。空のボトルをイントロのブレイクに合わせて床に叩きつけるHYDEの背中があまりに美しくて、今も脳内でスローモーション再生できる。頭から血にみせた赤黒い液体を浴びほとんど表情もわからない状態でのたうち回るHYDEに、最初はエンゼルハートという映画の大量の血液が降り注ぐ中でのセックスシーンを思い出した。けれど膝をつき叫ぶ獣じみた姿を見ていたら、産声だ、と。腰辺りで不格好にぶら下がるツナギの袖が臍の緒に見えて腑に落ちた。この人は今また新しく生まれたんだ。こうやって、コロナの影響を受けて海外進出の追撃も絶たれツアーも儘ならない状況でも、新しいエンターテイメントを生み出して鮮やかに過去の最高のその上を見せてくれる。配信ライブだからこその映像のインパクトを最大限活用した演出。全盛期にテレビに出まくっていたから、というだけでここまでカメラを効果的に使えるわけではないと思う。これは本能なんだろうか?最後、倒れて動かないHYDEの回りにカメラを向けて群がる無機質なスタッフには、呆然と傍観者でいるしかなかった自分の姿を見た気がした。LEDスクリーンに映るファンも、退廃的な近未来の世界観に笑えるくらいぴったりだったし、ORDINARY WORLDの演出はもう二度と普通の世界には戻れないと知っていてなお祈る聖職者のようで。そのどれもが配信だからこそ観ることができた演出だった。

どんなに顔を汚しても、HYDEは輪郭、動き、汚れ方までも美しいからその本質はひとつも損なわれない、と改めて知ったライブでもあった。

VAMPS活動休止後の黑ミサ幕張。その翌年のHALLOWEEN PARTY。今回の配信ライブ。

アーティストとしての死、に近い状態に追いやられようと彼は何度でも生まれ直すかのように立ち上がる。こんなに強い命の光を私は知らない。

既にコロナを警戒しながら暮らす日々が普通の世界になりつつあるこの日常で、私は今日もHYDEの歌を聴くことで夢を見る気力を得る。

あ、ダークで混沌とした曲がhicoのキーボードによってラウドロックに寄りすぎず絶妙なポップさと華やかさを纏うことに、改めて感動したこともつけ足しておく。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?