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自己紹介日記 ~前編~

はじめまして。 京都大学森里海連環学教育研究ユニットのプロジェクト、RE:CONNECTでコアメンバーをしている高屋と申します。今回は、私の自己紹介を記事としてまとめます。


よくありがちな生き物好き人間

小さいころから生き物好きな少年でした。物心つく前から動物園が大好きで、「パンダを見るために上野動物園に行ったのに、結局アジアゾウの前からずっと離れない」ような子どもだったと親からは言われています。

小学生のころは昆虫採集が極上の娯楽でした。

春になると祖母のキャベツ畑にモンシロチョウの幼虫を捕まえに行き、自宅で成虫になるまで育てました。夏はアゲハチョウ・セミ・カマキリを追いかけ、小学校のプールではミズカマキリを捕獲。学校帰りにはザリガニを捕まえるために寄り道し、夕方はカブトムシを捕まえるために設置したトラップの見回り・・・と大忙しの季節です。

秋になると、もうすぐ生き物に出会えなくなる時期が到来することを寂しく感じつつ、赤とんぼを追いかけました。もちろん、夜は自分で捕まえたコオロギが自宅の玄関で大演奏会です。冬になると、公園でミノムシ探しやカマキリの卵探しなど、冬だからこその楽しみもありました。

そして、また次の季節に備えて勉学に勤しみます。当時、買ってもらった生き物図鑑を何度も何度も読んでいました(背表紙もなくボロボロになった図鑑はいまでも大切にしています。ちなみに、背表紙がないのは飼い犬におもちゃにされたためです)。

今まで飼育した動物も、昆虫だけでなく、メダカ、フナ、ナマズ、ドジョウ、トカゲ、カメ、セキセイインコ、ニワトリ、ウサギ、モルモット、チンチラと多種多様です。

でも、ほとんどの子どもは生き物好きですし、生き物好きな人がそのまま大人になる・・・という話も、生物好きコミュニティの中ではよくある話です。

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Tシャツの柄も、もちろん生き物。本日はワニです。

Boys be ambitious ~ 少年よ北海道へ旅立て~

やりたいことが見つからない・・・という声を聞くこともありますが、私の場合、自分の好きなものは明確でした。

高校生になっても、やっぱり生き物大好きです。年齢を重ねるにつれて、周囲の友人の関心はスポーツやアイドルに変わっていきました。小学生のころは自分と同じように生き物好きだったのに。

生き物への想いに関して、徐々に周りとの温度差が広がっていくことは当時の私も実感していました。でも、なぜ自分だけは生き物への興味が衰えないのか・・・それは、30歳を迎えたいまでもわかりません。単純に生き物が好きなんですよね。

大学進学の決め手も生物でした。当時、北海道でヒグマの研究をするか、沖縄県でマングースの研究をするか悩んでいた私は、一人旅で訪れた北海道の大自然に心を奪われ、北に行く決意をしました。専門は何ですか?って聞かれて「ヒグマです!」って言える自分になりたいって思ったのも理由のひとつです。

大学では色々あって、結局ヒグマではなくアライグマの研究をしました。ちなみに、ヒグマはクマの仲間。アライグマはアライグマの仲間。名前は似ていますが全然違う生き物です。この辺りも語り始めると止まらなくなるので、今回は封印します。

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ある日の調査風景。北海道の冬はダイナミックで好きです。

ご存知の方も多いと思いますが、アライグマは本来日本に生息する生き物ではありません。北米原産の外来種です。

アライグマに興味をもったきっかけは自分の中の「正義感」が関係しています。いま思えば恥ずかしくなるほど単純な思考回路ですが、外来種であるアライグマが日本の固有種である生き物を捕食していて問題になっている・・・と記載されている本を読みながら、「日本にしかいない貴重な生き物を守るためには、自分がアライグマの研究をしなければ!」と決心しました。

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ちなみに、「胃内容物解析」という形でヒグマと関わりました。

でも、アライグマのことを勉強すればするほど、自分の中での「正義感」が揺らぎ始めます。

そもそも、アライグマはペット目的で輸入されました。当時、アライグマが主役のテレビアニメが流行したことがきっかけとも言われています。しかし、犬や猫などの「家畜化」された動物とは異なり、アライグマは「野生動物」です。子どものうちは可愛いのですが、大きくなると牙も生え、爪もするどくなってきます。発情期を迎えるころには、野生動物としての自我が芽生えてきます。

大きな飼育ケースを用意したり、傷だらけになりながら世話したり、そんな覚悟を持ってアライグマと向き合える人は少なく、結局多くの人々が飼いきれなくなったアライグマを野外に放してしまいました(※現在、アライグマの飼育は外来生物法により禁止されています。許可なく飼育した場合、最大で3年以下の懲役、300万円以下の罰金が科せられる可能性もあります)。

元々、可愛がるために輸入されたのに、いまでは「外来種」として厄介者扱い。彼らの生態だけでなく、アライグマが日本で野生化している社会的な要因を知るにつれて私の中の正義感が揺らぎ始めました。

当時、特別な許可を取った上でアライグマの調査をされていた研究チームに所属させていただき、実際にアライグマの捕獲に携わっていました。そして、どのような場所でアライグマが捕獲されやすいのか?アライグマ以外の動物の錯誤捕獲(混獲)をどう防げばよいのか?という研究をしていました。

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アライグマの足跡は特徴的です。

アライグマを捕獲する際は箱ワナというトラップを使用します。捕獲した個体は薬剤で眠らせ後、適切に安楽死させます。幼いころから多くの生き物を飼育してきたということは、それだけ生き物の死に向き合ってきたということでもあります。

生き物を飼育されたことがある方には伝わるかもしれませんが、「きっとこの子は明日まで持たないだろうな。」という感覚がふと生じる瞬間ってありますよね。

生き物が生き物でなくなる雰囲気を感じとるような肌感覚が私にはあり、アライグマを捕獲する度になんとも表現できない感覚を覚えました。そして彼らが眠る姿を見るたびに、頭の中でもう一人の自分が問いかけます。

「自分が考えている正義って・・・何だろう?」

そして、自分が導き出した答え

結局、頭の中の自分の問いかけに答えることができぬまま大学の4年間はあっという間に過ぎました。

周囲の友人たちはリクルートスーツに身をつつみ、次々と社会人になっていきましたが、私は大学院への進学を決めました。もう少しだけ、アライグマの研究を続けたいと思ったからです。

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この人の研究室で勉強したいと思えるラボに出会えたことにも感謝です。色々な調査を経験できました。写真は外来ニジマスの調査中。

そろそろ大学院でのテーマを決めなくてはならないとなった時期、アライグマがどのように日本にやってきて、どのように分布を拡大していったのか解き明かしたいと考えるようになりました。それには理由があります。

大学院になり英語の論文をガンガン読んでいる先輩の背中がカッコよく見え、私も背伸びして外来種やアライグマに関する論文を読んでいました。そのなかで、野外で定着してしまった外来種を全て捕獲することにはかなりの労力がかかるという事例を数多く知りました。

確かに、海外の事例では、ある島から外来種のネズミを全て除去したり、日本でも外来のハエを沖縄県で根絶した事例があります。ただ、全体を俯瞰する視点で見ると、外来種の除去が成功した事例はごくわずかです。そもそも、成功した事例にも多大な労力がかかっています。

島全体に飛行機で殺鼠剤をまいたり、捕獲トラップを仕掛けて毎日のように見回りをしたり。時間も人手も必要である以上、お金も必要です。例えば、沖縄の外来バエの事例では約169億円もの費用がかかったとされています。

当時から日本の少子高齢化問題が叫ばれており、社会保障費や防衛費に対して国の予算の大部分が充てられる中、生物関係・・・そして、外来種の対策にまわせる予算は潤沢ではありません。莫大な費用を投じなければ外来種を除去できないにも関わらず、現実的な課題は山積み。中途半端な対策をしてしまうと、いつまでも外来種の捕獲が続いてしまいます。

その事実を知ったとき、これまで自分が向き合ってきたアライグマたちの存在した意味を考え始めました。そして、ひとつの答えを生み出しました。

それは、「第2のアライグマを生み出さない」ということが大切なのではないかということです。

一度、野外に定着した外来種を除去することはかなり困難であるため、そもそも新たな外来種を野外に定着させない取り組みが必要です。新たな外来種の定着を防ぐために、過去の外来種に学び、彼らがどのような理由でどのように連れてこられたのか。そして、どのように分布拡大していったのかひとつひとつ明らかにしていく作業が必要なのではないか。その先に、いまアライグマの研究をする意味があるのではないだろうか。そう考えるようになりました。

また、自分がこれまで抱いてきた正義感も揺らぎ始めました。というのも、アライグマの調査を通して外来種の駆除に肯定的な人や否定的な人、そもそも関心が無い人など、様々な方々と知り合うことが出来ました。

多様な価値観を持つ方々と交流するなかで、絶対的な「正義感」というか、どんな状況でも当てはまるような「正しさ」ってないんだろうなぁ。としみじみと実感するようになりました。

例えば、在来の生態系であったり、農作物であったり、何かを守るために外来種の駆除に肯定的な人たちもいれば、倫理的な問題から駆除に否定的な人たちもいます。

きっとお互いが「正しい」と思っている価値観があるからこそ、その価値観を守るための「正義感」が生じてくるのかもしれません。別にどちらが正しいということはないと思うのですが、両者の溝はなかなか埋まりません。

将来を見据えて伝えることの大切さ

春から秋は北海道の大自然のなかでフィールドを満喫し、冬は雪で真っ白になった札幌でデータ解析をしながら、大学院での生活はあっという間に過ぎていきました。そして、北海道に来てからの時間を振り返りながら、研究だけなく教育に対しても興味を持っている自分がいることに気が付きました。

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さて、誰の足跡でしょうか?

というのも、人ってある程度の年齢を重ねると新しい考え方や価値観が大きく変化することはないかな。と思う自分がいて、外来種のような多様な価値観が混ざり合う問題の解決のためには、これから自分の価値観を確立していく若い世代に対してアプローチが大切なのではないか。そう考えるようになりました。

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人生に悩みはつきものですね。どう生きるか。正解はありません。

少しでも、「生き物って面白い」「都会もいいけど、自然もいいね」って思える人たちが増えれば、きっと彼らが親になった後に育てる子どもも同じような気持ちになるかなと。そんな人たちが構成する社会って、なんだか良いな・・・ってまだまだ20代前半の若造でしたが、そんなことを考えていました。その後、ご縁もあって高校教諭(理科・生物)として勤務させていただけることになり、私の社会人生活が始まります。

後編へ続く

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