俺の人生の振返り 1-1





「いつも泣いて帰ってきて!男だったら勝つまで帰ってくるな!!」


いつからだろう、外から帰ってくると大体母の怒鳴るようになったのは・・・・。


ああ、そうだ・・・・・、3才の頃からだっけ・・・・。

何がきっかけかは忘れたが、近所の悪童どもに、いじめを受けていた。


そのイジメが強烈で、悪童が道端で立小便をし、道路の小便を舐めさせられたのだ。

ここから、所謂


いじめっ子といじめられっ子の共同創造

いじめられることでしか、他人と関わることが出来ない人生の始まりだった。


家の中が一番安全なのに、両親は外に出てみんなと遊べという。


しかし、ある意味

力のある者が強者、力なき正義は無力

が子どもの世界でもある。親は男だったら自分で乗り越えてみろ、そうしないと
ここでも生きていけないぞ、という親心のつもりだったのだろう。

しかし、その当時の自分は、親は自分を守ってくれない、
世界は誰も自分を助けてくれないのだと思った。

だからだろうか、テレビでいる特撮やアニメのヒーローに憧れた。


親父にウルトラマン80の変身グッズを買ってもらった時は

「これで僕もウルトラマン80になれる!!」

と本気で信じていたくらいだ。


その後小学校に進学するのだが、自分の周りの世界の認識はあまり変わってなかったと思う。


同じく3才の頃に祖母と散歩中に、川に落ちて溺れかけ
それ以来水恐怖症になったことがあった。保育園のプールの時間が本当に
嫌でシャワーを浴びるのも嫌だったほどだ。


しかし、思い切って水に飛び込んでみると、案外大したことが無いことが分かり
水恐怖症を克服することが出来た経験があった。

でも、そんな経験が「たまたまだったんじゃないの?」と思う位、周りの世界への
認識は歪んでいたと思う。

小学校に入ると図画工作の時間がある。


あれが、俺は苦手で、先生の言っていることも良く分からず
周りはもくもくとさぎょうをしているのに、自分だけなにをしたらいいのか
分からない、自分一人だけが周りから取り残された感覚を良く感じていた。

そして、実家。


家は小さいながらも兼業農家をしていて、家の手伝いをさせられることが多かった。


そこでも、うまくいかずよく親父に殴られた。


「見りゃわかるだろ!なんでテメエ出来ねえんだ!!」

「ただやりゃいいってもんじゃねえぞ!」

「おめえは、社会に出ても通用しねえ!!俺が社長だったら
オメエなんかすぐクビにしてやる!!!」


この時の世界は自分にとっては過酷だった。


とにかく生きたい、生きるために耐えなければいけない、そんな認識だったと思う。


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