学びのフィルターバブル
『フィルターバブル』というのは、ネットのサービスが検索履歴やクリック履歴を学習し、その人にとって「見たい」情報ばかりを流してきた結果、『バブル(泡)』の中に閉じ込められるという現象を指します。
わたしが初めてその現象を痛感したのは、東日本大震災における原発問題でした。
広島の生まれで、小さい頃から『放射能の恐ろしさ』を教えられてきたわたしは、もともと原発には懐疑的。
必要性や大人のしがらみを理解しつつも、「無いにこしたことはない」という、ゆるやかな反対派でした。
そして、方向性がそっちだったからでしょう。
福一以降は、どっと『絶対反対』『日本から原発は無くなる』という言説を目にするようになり、すっかりその考えが主流になったのだと感じたわけです。
ところが、実際には完全な反対派は以前として傍流であり、その時に『フィルターバブル』を実感しました。
原発の問題は深くて重いので、ここで簡単に議論をするつもりはありません。
記しておきたいのは、わたしの最初の『フィルターバブル』体験。
自分の(情報的な)孤立に気づくのって、難しいですよね。
ところで、仕事でMRIについて調べている昨今、やたらと理系の話題が入ってくることに、同じような『フィルターバブル』を感じています。
これまで、予備ノリ/タクミさんの動画を中心に紹介してきましたが、昨日流れてきた『天井を走るラジコンカー』の話題も、これまでだったらご縁のなかった情報。
わたしが見たのは、それを自作する人の動画でしたが、しっかり商品化もされてるんですね。
驚きです 😊
なんだよ、これ〜。
自分が子供だったら、絶対欲しがるヤツじゃん 😊
というわけで、ニュースのフィルターバブルは危険性が大きいですが、学びのフィルターバブルは、それはそれでいいんじゃないかと感じている昨今です。