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処方屋~心のゴミ出し手伝います~ vol.1 過去を悔やむ女

「おや、だいぶゴミ出しが進みましたね。
 そろそろ会いに行きましょうか。」

* * * * *

もう何年くらい、私は過去を悔やんでいるのだろう。
10年?いや、20年?
いやいや、おそらく25年くらいになるだろう。
悔やんだってしょうがない。そんなことはわかっている。
日常のだいたいは、過去の事なんか思い出さずに、幸せに生きている。
しかし、ふと、
「あの時、別の選択をしていたら、今はどうなっていただろう」と、思いにふけってしまう。
現状に不満があるわけではない。むしろ私には十分なくらい幸せだ。

優しい旦那と、かわいい子どもたち。
不自由のない生活。自分の好きにさせてもらっている。
私はとても恵まれている。
これ以上、何を望むというのだろう。
頭ではわかっている。

しかし私は時々、今の幸せを傍目に、過去をタイムトラベルしては、過去の出来事を後悔して悶々とする。
そして、今もいつものスーパーに向かいながら、過去のタイムトラベルが始まろうとしていた。

私の家の最寄り駅は急行電車が停車する大きい駅なので、駅に近づくにつれ、人が多くなる。
駅の近くの歩道は、歩行者と自転車が行きかい、とても歩きにくい。
信号待ちしてる間も、先に立っていた私を越えて、後から来た人が前に並ぶ。
信号を急かすように、我先に渡ろうとする人が、歩道をはみ出て道路に溢れている。
やっと信号が変わると、私の後ろで信号待ちをしていた人も、私を追い越そうと力が入る。
私は、歩くのがあまり速くない。
そして、このような競り合いも苦手だ。
前から後ろから、脇からも斜めからも、いろんな人のエネルギーに押されて、私は進路を譲る。
「あっ!」
進路を譲った反動で、その勢いのまま進路とは違う脇道に押し出されてしまった。
私は、情けないやら、悔しいやら、どんよりした気持ちになった。
信号待ちの時、私の前に人が立てないくらいギリギリのところで待っていたら、順調に道を渡れていただろうか。
進路を譲らない意思を持って強く進んだら、押し出されたりしなかっただろうか。
信号を渡るくらいのことで、後悔したりくよくよした気持ちになる自分も嫌になる。
でも、こんなことを引きずっても仕方がないことはわかっている。
気を取り直して、進行方向に戻ろうと思い視線を上げると、見慣れてるはずの路地に見慣れない建物があった。
「あれ…こんな建物あったかな…」
レトロでおしゃれな雰囲気。
前からあったのか、新しい建物ではなかった。
私はその建物がとても気になり、近づいてみた。
何かの事務所だろうか。中はあまり見えない。
あまりジロジロ覗き込むのも良くないので、私はもと来た道へ引き返そうと思ったその時
ガチャン”
扉の鍵が開く音がした。
キー”
鍵の音が開く音に、自分がこの建物に近づいた後ろめたさを感じ逃げようとしたら、今度は扉が開いた。
ヒャー
心臓がバクバクしている。
覗こうと思ったのがバレてしまう。
私は謝る準備をした。
しかし、人の気配はない。
何だろう。
勝手に鍵が開いて、勝手に扉が開いた。
壊れているのだろうか。
このまま扉が開いていたら不用心ではないか。
さっきまでの後ろめたさが急激に引いていき、代わりに心配な気持ちになっていった。
「扉が開いていることを教えよう」
インターフォンを押そうとしたが、インターフォンが見当たらない。
「どうしよう」
仕方ない。少しだけ中に入って声をかけてみよう。
私はおそるおそる中に入った。
玄関を入った後、さらに引き戸があった。
「すみませーん。どなたかいらっしゃいますか。」
返事はない。
仕方ないという気持ちと、興味が湧きあがる気持ちで、引き戸をおそるおそる開ける。
「すみませーん。ドアが開いていて心配なので、お知らせしにきました。」
まだ返事はない。
この建物の家主を探すように中を見渡す。
「わあ、すごい」
アンティーク調でとても素敵な内装。
書斎と言うのが適切だろうか。
大きな机とソファー、無駄な物はなさそうで、きれいに整えられている。
レースのカーテンが閉まっているが、日当たりが良いのがうかがえる。
エレガントな雰囲気なのに、リラックスできそうで居心地が良さそうだ。

「やっと、来ましたね。待っていましたよ」
ふと、私の背後から男性の声が聞こえた。
私はビクッとなって、心臓が飛び出そうになりながらも取り繕うように振り返った。
「す、すみません。扉が開いたもので、それをお伝えしたくて入ってしましました。」
再び後ろめたさが私に襲いかかる。
「勝手に入ってすみませんでした。」
大きく頭を下げて、その場を立ち去ろうとすると
「いいんですよ、あなたが来ることはわかってましたから。それに鍵と扉を開けたのも僕です。」
なに?この人、なにを言ってるんだろう?
私は混乱し始めた。
「え~、え~と…」
この状況を詳しく聞きたいけど、言葉が出てこない。
思考が止まってしまったようだ。
目の前の紳士は、私の動揺を見透かして
「まあ、落ち着いて。上がってゆっくりしてください」
私は、促されるように動くしかできなかった。
ソファーに座り、先ほどの出来事を振り返る。

横断歩道で押し出されて、
ふと路地を見たら、この建物があって
建物に近寄ったら鍵が開いて
立ち去ろうとしたら扉が開いて
扉が開いてることをお伝えるために、この建物に入った。
そしたら、この人が私がここに来ることを知っていたと話、
鍵を開けたのも扉を開いたのもこの人だと言った。

どういうこと?
一連の流れを振り返っても、まったく意味不明である。

「少しは落ち着きましたか?」
紳士は紅茶を私の目の前に置き、向かい側に腰かけた。
私は落ち着いていなかったが、「はい」とだけ答えた。
「良かったら召し上がってください」
「ありがとうございます。」
何から聞けばいいのか、私は頭の中を整理し始めた。
よし、一番聞きやすい事から聞いてみよう。
「私が来るのがわかったとおっしゃっていましたが、なぜわかったのですか」
「そりゃぁわかりますよ。最近あなたの様子をうかがっていたのですから」
「えっ!」
「直接見ていた訳ではありませんからご安心ください。」
「なら良かったです」
って良い訳がない。
私を直接見てもいないのに、なんで様子がわかるの?
ますます意味不明。
「どうやって見ていたんですか?」
「あなたのオーラはだいぶ薄くなっているので明け透けです。オーラが薄くなると、もう少しでこちらの世界に来れそうな人の気配を感じることができます。」
「こちらの世界って…まさか私、死んでしまったのですか?」
オーラが薄いとか訳のわからないことを言われているのも吹き飛ぶ程、自分が死んでしまったのではないかという恐怖でいっぱいになり、血の気が引いてきた。
ここにたどり着くまでに死が訪れるような場面があっただろうか。
今日一日の行動をもう一度振り返ろうとすると
「大丈夫ですよ。あなたは生きています。安心してください。」
良かった~。私は胸をなでおろす。
「あなたは、こちらの世界に適応できる素質があるので、この中に入ることができました。欲もだいぶ減ってきているようですし、こだわりもなくなっている。交友関係もだいぶ整理がついたようです。ある程度、あるがままで生きてますし。争う事もなくなっていっている。」
「・・・」
なんだ?褒められてるのか?
「ただ、過去を後悔することが多い。これが少なくなれば言うことありません。」
バレてる!
私が過去にタイムスリップして後悔する癖がバレてる。
「な、なんで知ってるんですか?」
「先ほど言ったように、私はあなたの様子をうかがっていたのですよ。わかって当然です。」
何を言ってよいのやら、何が当然なのかよくわからない。
あまりに当たり前のように言うので、常識がわからなくなる。
それを悟ったのか、紳士が続ける。
「あなたは一般的な人より常識の守備範囲が広いので、多少のことには驚かなくなっているようですが、まだまだあなたが知らない世界があるんですよ。」
紳士の言う通り、私は世界情勢や政治経済、表に見えない世の中の動きを学ぶうちに、私の常識はひっくり返った。
世間一般の常識とはズレが生じた。
当たり前の感覚がズレている。
いつのまにか善悪、裏表の両面から、物事を見るようになっていた。
例えば、世間で悪いモノとされていることでも、良い役割があるのも知っている。
悪いと言われているモノほど、本質は良いモノが多い。
悪名をかぶっている人ほど、本当は英雄であることも多い。
しかし、こんな感覚を持っていたとしても、近所づき合いをするくらいの常識を忘れたわけではない。
良いモノは良い、悪いモノは悪いということだって多い訳だから。
円満にやる為には大切である。
つまり、常識の守備範囲が広い。
ただ、今は私の守備範囲では追いつきそうにない状況である。

「無理もありません。頭で考えているうちはわからないでしょう。」
悔しいが、その通りだと思う。
紳士はティーカップを口に近づけ、紅茶を飲んだ。
つられて私も紅茶を口にする。

この部屋の空気感のせいだろうか。
頭で考えるとわからないけど、感覚で感じると「なんとなくわかる」
紳士が私の事を見ていたのも、なんとなく受け入れられる。
「こちらの世界」というのも、なんとなくわかるような。
「まあ、いいか」そんな気持ちになったりもする。
なんとなくだけど。

「先ほど、私のことを欲が減ってきたとおっしゃていましたが、なぜそう感じたのですか?」
「だってなくなってきてるでしょ?色々な勉強をしたり、色々な現象をみているうちに、あなたは欲の最果てを見ることができました。欲なんて持っていたって邪魔なだけだと悟った。こだわりだって同じです。不要ななものだとわかって、さっさと捨てたでしょ?」
「はい、心当たりがあります。」
「褒めてるんですよ。自信を持ってください。」
あまりにも知られているから、単純に喜べない。
悪いところも把握されているのだろうし。

「あとは、過去を悔やむ癖を捨てたらいいのに。」
ほら、きたきた
「私も分かっているんです。だけど、あの時ああしてたら今はどうなっていたのかなって。恥ずかしいこともたくさんしてきました。あんなことしなければ良かったと思うことだって、たくさん。」
「分岐点はあったとしても、あなたは常に正しい選択をしてますよ。」
「でも…」
「過去に傷つくこともあったでしょうし、思い通りにならないこともあったでしょう。」
「はい。」
「でも、いつでも結果はいいに決まってるんです。」
「結果はいいに決まってる・・・?」
「そうです、途中気に入らないこと、思い通りにならないことがあったとしても、結果はあなたにとって最高の状態を用意してくれているのです。」

私は振り返ってみた。
そしてわかった。
私が過去を悔やんでしまう理由。
それは、私の後ろめたさだった。
専業主婦で夫に食べさせてもらっている状況。
スキルアップの為にたくさん勉強させてもらっているのに、収入に繋がらない状況。
こんな私が夫に愛されていていいのだろうか。
そんな思いが、後ろめたさに繋がっていた。
そして、過去が変わっていれば、もっと優れた私になっていて、夫に愛される資格があったはずと思い込んでいた。

「養ってもらう。それの何が問題がですか?」
え?衝撃が走ったと同時に、許された気がした。
たしかに、何が問題なんだろう。
養ってもらうことに罪悪感を持たなくてもいいの?

「ご主人は、あなたを責めたことがありますか?
 家でどんなにゴロゴロしていても、あなたを嫌だとは思っていません。
 羨ましいとは思っているでしょうが。」
「そんなことまで見えるんですか…?」
「ははは、オーラが薄いですから伝わってきます。しかし、見えている訳ではありません。」
私は少しほっとした。

「今、幸せなんでしょう?」
「はい、身に余るくらい幸せです。」
「それならいいじゃないですか。あまり過去にタイムスリップしていると、今の幸せを否定することになりますよ」
私は、ハッとした。
たしかにそうだ、今の現状が幸せで満足しているんだから、何を悔やむことがあるだろう。

だけど私は、
「スキルアップの勉強にたくさんのお金をかけてしまったんです。それなのに全然結果がでなかったんです。それが申し訳なくて。」
「結果が出ない事に、何か問題でもありますか?
 それに、結果はいいに決まってるって言ってるじゃないですか。」
紳士は、またかという顔をした。
私は恥ずかしくなった。

「あなたがスキルアップの勉強をして結果がでなかったのは、こちらの世界からしたら良かったことです。何の為に失敗したのか。
うまくいかなかったおかげで、あなたは欲の果てを見て引き返すことができたんでしょう。
うまくいっていたら、欲のモンスターになっていたかもしれません。
だから、うまくいかなくてご主人も内心安堵してますよ。
最近のあなたはとても穏やかなので、喜んでます。
ご主人は、あなたが穏やかに笑っていてくれさえすればいいんだから。
もちろん、お子さんもね。」
うまくいかなかったおかげ…そんなこと考えたことがなかった。
私は言葉が詰まった。
あ~そうか。うまくいかないことも良い事なんだ。

思い返せば、うまくいかないことがたくさんあった。
医学部に行きたかったが挫折した…
教師になりたい時期もあったが挫折した…
「成功者」というものに憧れたこともあったが挫折した…
結局は、どれも「偉い・すごい」と思われたいという自己顕示欲が動機だった。
ただ、自分に酔いたいだけの動機。
うまくいってしまっていたら、紳士から指摘されたように、欲のモンスターになっていたと思う。
お金や承認欲求を追いかけ、本質を見ようとしない人になっていただろう。
行きつく先は、人間失格だ。
嫌なヤツだ。
今の私は、本質の探究一筋。そこに幻想の欲はない。
うまくいかなくて良かったと心底思う。
うまくいかなかったことで、欲が少なくなり、こだわりがなくなった。
調子に乗っているかもしれないが、うまくいかなくて良かったことばかりだ。
おかげで、「幸せだ」と胸を張れる環境に立っている。

溶けていく。
私の心の中のわだかまりが、スーと溶けていく。
それと同時に涙が溢れる。
頑張って止められるような涙じゃない。
悲しいとか、悔しいとか、そんな涙じゃない。
ただただ溶けていったわだかまりを流しているような涙。
そして、「ありがとう」という気持ちだけが残った。

「珍しくしゃべり過ぎました。」
紳士が言った。

考えてみれば、「うまくいかなかったおかげ」がたくさんある。
うまくいかなかったおかげで今がある。
今までも気づいてなかっただけで、「結果はいいに決まってる」ことがあったんだと思う。
だから、あの時にああしてたらとか、こうしてたらとか考えてもしかたない。
力づくでなく、なるように自然に任せる。
ただそれでいいのかもしれない。

「ところで、自己紹介していませんでした。」
と、紳士が言った。
あ、そうだった。名前を知らないで話してた。
私も上がり込んだきり、名乗ってなかった。
「まぁ、名前なんてどうでもいいんですが、一応ね。」

「僕は、処方と申します。
 詳しいことは、また今度話しましょう。」
紳士はそれだけ言った。
私が「私は…」と言いかけると、紳士は
「あなたのことは、潔白さんと呼びましょう。」
「はい?」
「いや~なんとなく、潔白さんがいいと思って。
 あなたの後ろめたさが無くなったから。
それにあなたは正しい人です。」
本当の名前を告げてないけど、まぁいいか。
褒めてくれてるし。

「処方さん、私そろそろ帰らないと。」
「はい。」

私は、おじぎをして処方さんの事務所の扉を閉めようとしたが
”キー”
自動で閉まった。

あっ!
いけない、買い物を忘れてた!

私は、今日の目的地だったスーパーに向かった。
いつもより足取りが軽い。

今日は不思議な経験をした。
思い返せば、夢だったんじゃないかとも思う。
だけど、気持ちはとてもすがすがしくなっている。
心のゴミがでた感じ…

潔白か~
私は昔から潔癖なところがあり、『許せない』物事がたくさんあった。
人でも物でも何かにつけ、自分の物差しで容赦なくジャッジしていた。
人と自分を比べたり、人と人を比べたり、そんな窮屈な自分も嫌いだった。
でも、処方さんは潔癖じゃなく、潔白と呼んでくれた。
他人をジャッジする物差しが、自分の中から無くなったようだ。
「潔白、気に入った。」
意味のわからないこともあったけど、どうでもいい気分。

心がとても軽い。
今日は、おいしいご飯が作れそうだ。

(処方屋vol.1過去を悔やむ女 終わり)




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