多様性をまだ知らず

多様性と均一化。

まだ多くの人は、「多様性」とは可哀想なマイノリティや弱者たちに同情することだと思っている。もしくは

余裕ある者による崇高な憐れみのことだと思っている。

まだ多くの人は、「多様性」とは差別禁止のことだと思っている。

多様性は「ある」のであって、「べき」の話とは違う。

多様性とは、自分の中に多様性を発見してゆくことだと思う。

たとえば、あなたは何度も生まれ変わり、すべての人の人生を経験するとしたら。この世の全ての人はあなたなのだとすると。どんな世の中をつくりたいか、見えてくるものがあるのではないでしょうか。

男であったことも女であったこともある私。大企業にも零細企業にもお世話になったことある私。馬鹿と呼ばれていたことも、先生と呼ばれていたこともある私。助けたことも、助けられたこともある私。なんでもできた私となにもできなくなった私。

私は何度か生まれ変わってきた。そして、同時に複数の人格を生きている。

そしてやっと、自分とは異る人がいることが分かる。

自分とは異る人も、自分も人間であることを多くの人はまだ知らない。

知ったらマイノリティはマイノリティではなくなり、弱者も弱者ではなる。

マジョリティや強者という餌に支配されなくなる。

自分の中の多様性を面倒みて仲良くさせてみよう。