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例えば彼女は”被害者”なのか。

こんにちは。栗原白帆です。『ミステリと言う勿かれ』第三話の中で菅田将暉さん扮する大学生の「整くん」のいじめに関するセリフが話題になっています。

「どうしていじめられてる方が逃げなきゃならないんでしょう。」
「どうして被害者側に逃げさせるんだろう。病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのはいじめてる方なのに。」

このセリフの前提は以下のようにまとめられると思います。
・いじめには加害者と被害者がいる。
・加害者は最初から最後まで加害者である。
・被害者は最初から最後まで被害者である。

もちろん、そういう場合もあると思います。
北海道で女子中学生が死に至るほど凄惨ないじめを受けていた事件をはじめ、多くのいじめ報道を見ると、そこには加害者と被害者がいて、被害者は多くの場合死を選ばされている。

私はそういった”いじめ”はいじめではなく「傷害罪」であり「脅迫罪」であり「恐喝」や「殺人(未遂)罪」「自殺ほう助罪」と呼ぶべきだと思っています。
日本はもっと”いじめ”と言う言葉を慎重に使った方がいい。
何歳であろうと犯罪は犯罪であって”いじめ”とは違う。
あいまいに”子どものしたこと”にすべきではありません。

犯罪と考えれば、加害者と被害者は明確です。
未成年の立場で被害者をそこまで追い込まずにいられない加害者の心のケアやサポートは絶対に必要だと思います。整くんの言う通りです。

それをふまえて、では実際の学校の話をしましょう。
実は学校で”いじめ”と訴えられるものの中には、加害者と被害者があいまいなものの方が圧倒的に多い。

例えばこんな事例があります。

3年間クラス替えのない科がありました。男女の比率は半々です。
女子の中に声の大きな、影響力のある子がいて、その子がクラスを動かしている。行事の際には中心となって動いてくれるし、他の子たちも動かしてくれる。パワーのある子なので、クラス経営の面ではとても助かる生徒です。

それで、もちろん裏がある。

特定の女子に対して巧妙に嫌がらせをしていました。
聞こえるように、しかし個人が特定できないような悪口を言う。
インスタのストーリーにも特定できない、でも読む人が読めばあの子だとわかるような誹謗中傷をする。
クラスメイトを集めるときに、その子にだけ声をかけない。
クラスのグループラインに入れない、行事の班決めでわざと孤立させる、などなど。
クラスメイト全員が従うわけでありませんが、なにしろ3年間同じクラスで過ごさなければならないので、抵抗するのも難しい。

もちろん担任は放っておかず、それらの情報が耳に入れば被害者の女子に声をかけますが、被害者は「大丈夫です」と言うばかり。そう言われてしまったら、それ以上踏み込むことはできません。それが学校です。
加害女子はやりたい放題でした。

ところが3年生になったとき、加害女子の横暴さかげんに散々我慢してきたクラスメイト達が反旗をひるがえしました。
加害女子は突然孤立し、彼女の意見が通らなくなったのです。
彼女は不登校になりました。

そのとたん、彼女の保護者が学校に訴えてきました。
「うちの娘がいじめられています。なんとかしてください」

事情を聴くと彼女は保護者に、自分がしてきたことは一切言わず、されたことばかりを並びたてたようでした。

保護者の中では完全に「うちの子はいじめられている」という図式ができあがっていて、これまでの経緯を伝えても逆上するばかり。
「なにがあったのかクラスにアンケートを取れ」、と言うので取りましたが、内容はこれまでの彼女の行動を裏付ける証言ばかり。保護者はこれにも激怒。学校に不信感をつのらせて県の教育委員会にまで訴えたようでした。

結局彼女は学校に戻ることなく転学を選択。
最後に保護者が言ったのが
「どうしていじめられた側が出ていかなきゃいけないんでしょうか」
でした。

こういう事例に出会うたび、”いじめ”の難しさを痛感します。

すべてのいじめに「加害者」と「被害者」というような明確な線引きがあるわけではないのです。

いま学校ではいじめとは「いじめられたと感じた方が訴えたらいじめ」という定義で動いています。そう定義づけたのは文科省です。

ある小学校のクラスに背の高い男の子がいました。
席替えである女の子の席の近くになった。そしたらその子がその男の子のことを「大きくてこわい」と訴えたのです。

訴えられた担任は愚かにもその男の子に「恐がらせるな」と指導したそうです。「いじめになるから、恐がらせるな」と。
彼は何もしていません。担任から”指導”を受け、しばらくして学校に来なくなったそうです。

いじめって何なんだろうと思います。
言ったもんがちなのか、とも思います。

繰り返しますが、私は誰かをいじめる人を擁護しているのではありません。
いじめられる側に我慢しろ、と言っているのでもありません。
ただ、いじめはあまりにも曖昧でどんなことでも”いじめ”になりうる。

完全におまえが悪い、と言えるときと、言えないときがある。
わからない。難しいんです。

教員は両方の言い分を聞きます。
聞いたうえで、公正であろうと努力します。
でも最後まで、正解がわからないことがある。

「どうして被害者側に逃げさせるんだろう。病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのはいじめてる方なのに。」

学校を去った彼女は、被害者だったんでしょうか。
私は今もわからないままです。




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