嫌な事からネットに逃げた

ここ数年で1番多くの物、人、事柄を失った気がする。失ってから取り戻すことはどう足掻いても難しい。足掻いて取り戻せるなら良いんだけど一度失ったらもう元には戻らないと思うし
無理やり取り戻して変な形のままギコちなく進んでいくのもまた違うのではないだろうか、結局は「その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを預けるな」という事だ。全くもって訳がわかりませんね。〜メンバーという言葉も聞かなくなったな。流行り廃りとは恐ろしいものです。

この現状、如何にすべきか!?という話がチラホラ至る所で、自分が居る場所でも、お茶の間でも医療現場の最前線でも等しく話されているはずだけれど、正直なところ自分には何が正しいのか分からない。だからこそSNSで鬼のように流れてくる話題の1つでも、ある人がこう言ってる、ある人はこう言ってたという、今のこの状況タダでさえ登り道なのに別れ道までご丁寧に用意されて、俺が大好きなSASUKEに例えると「そり立つ壁」の前で壁が登れずうな垂れる挑戦者の気持ちが今ならよくわかる。最終的には「お前はどうなんだ?!」と聞かれてるような気がしてしまう始末。俺の考えなど俺以外どうでも良いはずなのに。そんな事を思ったりするからあんまりTwitterとかInstagramとかで考えを言わないし言えない。これを逃げだと言われるなら、その通りだと胸を張る。俺は嫌な事から逃げる為にはじめたインターネットだった。インターネットの広い海はいつも馬鹿らしいことで笑わせてくれて、アホらしいことにうんざりして、大したことない事に感動して泣いたり、変な形かもしれないし歪かもしれないけれど確かにそこにある繋がりを作ってくれたりもしたと思う。本当に嫌な事から逃げた結果のインターネットだった。俺は別にTwitterで選挙をしている訳じゃないから自分の考えを全部さらけ出さなくても良いと思う。一方でさらけ出すのもまたインターネットだとも思う。この葛藤があるからこそ何も言えない。う〜ん、分からない!と言っちゃう自分がいる。でも批判と誹謗中傷をドッコイで考えてるような、人格批判みたいな事を平気な顔してツイートしてる人も見かけて心が痛んだ。ツイートする前に自分の顔が強制的に映る様になってたらどんな顔してそれ言ったのか分かるのになぁとか、平気な顔してたらそれはそれで怖いなぁとか考えたりもした。多分このモヤモヤは一生俺には付いて回るし、言いたいけど上手いこと言えないとか、今はそれについて触れたくないとか、そういう事を考えながら歳を取っていくんだと思う。

自分の考えを整理するとか心を整えるって事がシステム化出来てればどんなに楽だったかと、怒ったときはこうすればいいとか、悲しいときは、嬉しいときは〜みたいな。今嬉しい時に喜んでても、目立ちたがり屋だなとか不謹慎だとか小言を言われる始末である。わろた。喜んでんのにお通夜みたいな顔してイェーイとか言えんだろうが。まぁそれもその人の考えで、その人にとってはどうしても俺に伝えなきゃいけないことだったんだろうなと思う。ありがた迷惑ありがとうです本当に。

正直なところ何が言いたかったのかサッパリわからなくなってきてて、ただこの息苦しさというか、何というか、状況というか、気持ちというか、、グヌヌとなっているという事を書き散らして置いてもいいかなと思った。

来年の今頃サウクル終わった俺がこの文を読んで、めちゃくちゃ書くやん、読むのだるいな!とか言ってたら面白いな。多分読むことないけど。最近はタバコの本数が増えたとか酒の味がしないとかノスタルジーに浸るような事もせず、ただ面白くないという事実だけが残る2020年春〜夏はじめ。再び娯楽と繋がりとちょっとした感動を探してインターネットに逃げる俺もまた俺だなと思いながら、チャリを盗まれたので歩いて帰ってます。あとんす。

りゅうのひら

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