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『2021年、あいまいな日本の私』@外国人特派員協会

●はじめに


 今回はこのような機会をいただき誠にありがとうございました。
 私は3月22日に、東京都が原告であるグローバルダイニング対して発出した営業時間短縮命令とその根拠となるコロナ特措法が違憲・違法であるという訴訟を提起した弁護団の団長です。
今日は、私たちが何と戦おうとしているかを、いわゆる法的論点とは違った切り口でお話したいと思います。
 このプレゼンテーションは4人のナビゲーターに登場してもらいます。日本を代表する作家、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫そして大江健三郎の4人です。
 キーワードは「あいまいさ」です。

 戦後日本の「あいまいさ」は、日本社会に本当の意味で民主主義と法の支配を定着させることを拒んできました。今回のコロナ禍における、国会やジャーナリズムの議論の脆弱さや各種措置における法の根拠の薄弱さは、あいまいな日本の可視化であり、日本社会と私たち日本社会に生きる市民は、帰路に立たされているのです。


●「美しい」日本のわたしと、「あいまいな」日本のわたし


 本稿のキーワードとなる「あいまいさ」のナビゲーターとして、1994年に日本人二人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎に登場してもらいましょう。彼は日本人と日本社会の本質を捉える受賞スピーチをしました。タイトルは「あいまいな日本の私」です。
大江は、同スピーチで、約30年前に同じスウェーデンの地で殊勲された文学者に言及します。川端康成です。
川端は、1968年、ノーベル文学賞を受賞し、その授賞演説で「美しい日本の私」と題する講演を行いました。川端は、禅僧らが、月や雪といった自然を「友」のように思いやる言葉にし難い心情と神秘体験を、「日本人の心の歌」として紹介します。
大江は、川端のこの演説を、禅僧が歌によってしか表現できなかった「共有不能」で「内向き」な神秘体験をもってしか、「美しい日本のわたし」を表現できなかったのであり、外界との接続をシャットアウトしていると評論します。まるで“鎖国”のように徹底的に「閉じる」ことで、「美しい日本のわたし」を導いているといいます。


●「苦しい日本の私」


 次に、近接した別の演説(1993年ニューヨーク・パブリックライブラリーでのスピーチ)で、大江は「あいまいな日本の私」を語る上で、夏目漱石を呼び出します。
 漱石は、明治の開国=近代化によって流れ込んできた西欧個人主義に動揺する日本人としての個人、大江の言葉を借りれば「苦しい日本の私」をその登場人物との自己内対話において描きました。J・P・サルトルが「人間は自由という刑に処されている」と喝破し、E・フロムが「自由からの逃走」で論じようとした人間観です。


●「上滑りを滑っていくしかない」日本人


 漱石は、日本の近代化=「開化」の“上滑り”について、その独特の語り口で論じています。


 「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。…一言にしていえば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げたいのであります。」(中略)「ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せる度に自分がその中で食客(いそうろう)をして気兼をしているような気持ちになる。…こういう開化の影響を受ける国民はどこか空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。…虚偽でもある。軽薄でもある。」「これを一言にしていえば現代日本の開化を皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである」

としつつも、開化を拒絶するのではなく、「涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」と、ユーモアたっぷりに論じます。(『現代日本の開化』明治44年)
 漱石は日本の近代化が「上滑り」であり、日本の先行きへの悲観の打開策につき名案は無いとしつつも、「内発的であるかのごとき顔をして得意でいる」ことや、「戦争以後一等国になったんだという高慢」については極めて批判的に論じています。1911年、100年以上前の指摘は、現代の市民社会や左右の言論空間にとっても示唆的です。
 次に、ちょうど約50年前、「あいまいな日本」「美しい日本」に加えて、戦後レジームの中で日本を取り戻そうと命を賭して檄を飛ばし、死んでいったあの男です。

●1970年11月25日の衝撃と現代への「檄」


 2020年からちょうど50年前の1970年。当時、「最もダンディだと思うのは」というアンケートで、三船敏郎や石原裕次郎、長嶋茂雄といった名だたる芸能人やスポーツ選手を抑えて1位に輝いていたスター、三島由紀夫が、市ヶ谷の自衛隊駐屯地の総監室を占拠し、自衛隊に決起を呼びかけるも失敗し、割腹自殺をしました。暴力的クーデター自体は憲法破壊的であることは前提にしつつ、当日三島が『檄』のうち以下の部分は2020年の現代でも通用する本質的な問いかけを含んでいます。


「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、…その場しのぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。…政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね」られていることを「歯噛みをしながら見てゐなければならなかった」(中略)「法論理的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされて」きた。(中略)「われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った」(三島由紀夫『檄』1970年11月25日)


 現在、繁栄と言えるかどうかは別として、戦後日本、特に自民党政府は「経済成長」と「反共」のみをアイデンティティに一丸となっていました。しかしこの両者が存在しない今、何ら価値にコミットしない「ただ現状を保守する」現状維持政党と堕しています。少子高齢化はもちろんのこと、教育、働き方、税と社会保障、司法制度、皇室制度などこのままいけば行き詰る各種政策・制度についても根本的な改善をすることなく、場当たり的な「その場しのぎ」のパッチワーク政策を繰り出しているのです。政治権力は誰も「矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ」、あらゆる国家の基本的決定は「外国」(=アメリカ)に左右される。このどれも、現在の政治権力や国民は明確な回答ないし反論が可能でしょうか?
 三島は自決の一週間前のインタビューで、

「敵というのは、政府であり、自民党であり、戦後体制の全部ですよ。社会党も共産党も含まれています。ぼくにとっては、共産党と自民党とは同じものですからね。まったく同じものです、どちらも偽善の象徴ですから。」(『三島由紀夫最後の言葉』)

と語り、与野党、政府問わず、その偽善性を痛烈に指摘してました。この点も、現在の政治状況と全く同じです。自民党も立憲民主党も共産党(その他すべての政党)も、自身の目の前の議席やポジションという保身と権力慾、そして偽善にまみれています
 大江も前掲スピーチで「日本の経済的な大きい繁栄は…日本人が近代化をつうじて慢性の病気のように育ててきたあいまいさを加速し、さらに新しい様相をあたえました」と、経済的繁栄によって、日本人が何たるかが見えにくくなっていることを指摘しており、「経済=金」への関心が肥大化している戦後日本という三島と同じ問題意識を共有しています。
しかし、大江はここまでの問題意識を共有し「あいまいさ」との闘争を企図しながら、その根底で「あいまいな軍隊」を認める「あいまいな」日本国憲法秩序を「新しい日本人の根本のモラル」として肯定的にのみ受容し、日本国憲法自体の問題性にメスを入れません。この点で、大江の「あいまいさとの“闘争”」は、「あいまいさからの“逃走”」と言わざるを得ないでしょう。

●コロナ禍でも「あいまいな日本の私」


 漱石、川端、三島そして大江を横断すると、立場を超えて、我が国を憂う闘士たちが戦ってきたのは、「あいまいな日本の私」であることは間違いなさそうです。
そして残念ながら強調せねばならないのは、その「あいまいさ」は、2021年も“コロナ禍”という養分を得て、新たな妖気を放ちながら日本社会のど真ん中を堂々と闊歩しています
鎖国からの開国、そしていわゆる文明開化の途を歩み、二度の世界大戦を経験し、「近代化」や「民主化」という歴史的断絶を経験したはずの日本が、本質的には「あいまい」で居続けたこと。そして、自分たちにしか通用しないルールで“ガラパゴス的”な「閉じる」戦略を取り続けたことによって、100年前の漱石の危惧そのままに、結局は西欧由来の政治制度や価値の普遍性を「内発的」に獲得することなく、2021年を迎えてしまったのです。コロナ禍でも、法的根拠や外延も不明な「自粛」の「要請」等々、「あいまいな」権力行使のオンパレードでした。
 我々は西欧由来の政治制度という貸衣装を着て演じていただけで、日本型のリベラル・デモクラシーを構築するのは今なお最大の課題として残されているということになります。

●「あいまい」でいることの共依存


 しかし、この「あいまいさ」は、社会を成り立たせる上で都合のよい「あいまいさ」でもありました。
 市民にとっては、自分が完全に没落しきることのない概念の中に都合よく泳ぎ続けることができます。政治権力やエリートからすれば、あいまいさの余白をすべて自分たちの都合で埋めることができるからです。
 つまり、この日本の「あいまいさ」の源泉は、我々個人と政治権力のそれぞれがご都合主義の余地を残したいという共謀関係にあったのです。
「あいまいさ」のヴェールの中で進行していたこの社会の病理を、コロナ禍は炙り出しました。

●「あいまいな憲法」は生きているか


 ここで、どうしても看過できないのは、立場が真逆である三島も大江も、日本の「あいまいさ」と向き合うときに、「あいまいな憲法」に言及している点です。
 戦後日本のあいまいさを良くも悪くも支えたのが「あいまいな」日本国憲法であり、あいまいな憲法は結局は権力者の融通無碍の解釈を許し、我々主権者が主権を「横取り」されることを規律できない憲法であることはもはや2021年段階で明白です。あいまいな憲法で認められるあいまいな軍隊とは大江の言葉です。このあいまいな憲法が我々の権利を救済し、社会をより良く規律できるツールなのかということも、本訴訟を通じて明らかにしたいと考えています。

● あなたは「●●な日本の私」?


 最後に、漱石の前掲『私の個人主義』という講演の締めくくりを紹介して本スピーチを終えます。
漱石は、自身の個人主義に対する考え方が「幾分か御参考になるだろうと」言いつつも、自分の論が伝わったかもわからないが、もし意味不明な点があればそれは自分の言い方が悪いか足りないかだとして、

「もし曖昧の点があるならいい加減に極めないで、私の宅までお出下さい。出来るだけはいつでも説明する積(つもり)がありますから」

との言葉で締めくくります。
 この姿勢が肝要です。「曖昧な点」を「いい加減に極めない」姿勢をとことん貫くしかないのです。現代のご時世、家まで来られても物騒な場合もありますが、私も本訴訟を通じて、徹底的に“悪しき”あいまいさに決着をつけていきたいと考えています。“悪しき”と書いたのは、日本には“善き”あいまいさも存在するからです。

 この訴訟を通じて、日本のあいまいさと向き合い、あいまいさのヴェールに覆われて見えにくくなっている、見て見ぬフリをしているこの社会の様々な存在との連帯への一歩目としたいと考えています。


 ご清聴ありがとうございました。

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