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特措法改正に補償が必要ないのは「内在的制約だから」という誤り:過剰規制としての”一律”時短要請


内在的制約とは何か

今回の特措法審議で、西村大臣が改正特措法で命令&罰則をもって店舗に時短や休業をさせることは「事業活動に内在する制約であるということから、憲法29条3項の損失補償の対象とならない。」と答弁しました。


内在的制約というのは、すごく雑ぱくにいうと、人権も無敵かつ絶対無制約ではなくて、人権と人権がぶつかったり人権と社会的公益がぶつかったときに、制限されて調整される、そういう制約が人権には内在している、ということです。


今回は、飲食店を例にとれば、飲食店の営業の自由の行使によってコロナが拡大するかもしれないので、社会の公衆衛生や広く市民の生命や健康によって制約を受けるという関係です。


ただ、人権の制約の方も理由さえあれば無制限に制約してよいわけではありません。
たとえば、早稲田大学の長谷部恭男先生が以前指摘していたのは(2020年7月26日朝日新聞、長谷部・杉田敦対談)
「そもそも3密を生じさせるような店の営業の自由は憲法22条の埒外」という立論です。


このとき長谷部先生は奈良県ため池条例に関する最高裁判例(最大判昭和38年6月26日)に言及して、この立論を正当化していました。


奈良県ため池条例事件というのは、これまた簡単にいうと、土地の所有者が自分の財産権を行使して農作物等を植えようとしたけど、そういう行為はため池が決壊するおそれがあるとして条例で禁止されていたことについて、

①財産権の侵害だ!

②財産権が公の利益のために制限されてるから補償せよ!として争った事件です。


判決は、


①について
「ため池の破損、決かいの原因となるため池の堤とうの使用行為は、…憲法、民法の保障する財産権の行使の埒外にある」
②について
「財産上の権利の行使を著しく制限するものではあるが、結局それは、災害を防止し公共の福祉を保持する上に社会生活上やむを得ないものであり、そのような制約は、ため池の堤とうを使用し得る財産権を有する者が当然受任しなければならない責務というべきであって、憲法29条3項の損失補償はこれを必要としないと解するのが相当である。」


として、①②ともに退けました。


長谷部先生はこのロジックを今回にあてはめているし、西村大臣の内在的制約についても、この延長線上にあります。

内在的制約として制約されうる基準とは


しかし、果たしてそうか?ここからが私の問題意識です。

要は、内在的制約とは、
「その自由の行使自体に危険性(リスク)が内在している」と考えられる場合、それは内在的制約として制約されうる&補償が必要でなくなるベクトルに働きます。


一方で


その自由の行使自体に危険性(リスク)が内在していなかったり危険性が低いものに対する一律の制限は、規制が過剰であり、その「過剰」として内在的制約からはみ出た部分にはまさに「特別の犠牲」として補償がいるはずだろうと考えられます。

そうすると、長谷部ロジックはかなり粗いことになります。もっと細かく場合分けした方がよいでしょう。


①3密生じさせるような飲食店、感染症対策を全くしないor著しく不十分or営業するだけでそのようなリスクを生じさせる営業
➡こういう営業を制限するのは、そもそもその自由の行使にリスクがあるから、内在的制約といいうる=補償必要なし

②3密なし、感染症対策も適切に行っている、営業すること自体にリスクがない形態(一蘭とか、吉野家とか)
➡そもそも営業の自由の行使に伴うリスクが無いか極めて低いため、このような営業の自由の行使を罰則付きで一律制限するのは、過剰規制にあたる=補償が必要


つまり、西村大臣は「職種」や「時間」を限定的に解するから問題ないという趣旨の答弁をしていましたが、「職種」「地域」「時間」を限定したとしても、「営業の態様」という限定がなく、飲食店自体を「ひとまとめ」に捉える時点で、適切に感染症対策をしている店には規制が過剰の疑いがあります

特措法の目的に立ち返れ:生命・健康と生活及び経済への影響の最小化は同価値


そもそも特措法1条「目的」には、「国民の生命及び健康」と「国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすること」が等置されていることに沿って解釈すべきです。現在の解釈はあまりに前者の生命及び健康に傾斜しすぎており、論理構成も雑になっているように思います。


以上からすれば、、職種や地域という切り分けで「限定的」&「内在的制約」というロジックでだけは、一律「補償なし」という結論にはいたらないでしょう。
上記の内在的制約及び特措法の解釈の軸から考えれば、感染症対策を適切にしている事業者に今回の措置をとるとするならば、内在的制約を超えている部分については補償が必要なので、少なくとも補償の対象になりうる感染症対策及び店舗運営の形態といった基準を設けて公開すべきです。


また、補償とは論理必然関係にはありませんが、営業の自由の行使に伴うリスクが少なかったり適切な対策が取られている場合は、特措法で要請に従わない場合の「正当な理由」に該当すると解釈されるべだと考えられます。西村大臣の答弁によれば、この「正当な理由」にあたりうるのは、「ある地域にとって非常に重要」かどうかが指標となっているとされており(令和3年1月26日衆議院予算委員会)、これではあまりに主観的かつ非本質的であり、また、予見可能性もありません。決死の思いで営業をする事業者に対して、上記の論じてきた内在的制約との関係でのリスクある自由の行使か否かという観点から、適切な基準を提供すべきであると考えます。


まとめ


①そもそも適切な感染予防対策をしている店や営業形態から感染リスクが低い店への規制は過剰規制

②過剰規制部分については時短・休業要請するなら補償が必要

③補償とは論理必然関係はないが、補償しないとすれば、上記適切な対策を講じている等リスクが低い営業の自由の行使は特措法で要請に従わない「正当な理由」に該当すると解釈すべき

④特措法の法の目的には「国民の生命及び健康」&「国民生活及び経済への影響最小」とあることを解釈の軸にすべきこと

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