リストラーズの動画活動
あらかじめ申し上げておきたいが、今回はいつもの倍量はある。
いそがしい時にはオススメできない記事になり、申し訳ない。
が、筆者にとって残しておきたい気持ちのひとつを赤裸々に書いてみた。
リストラーズに出会ったのは、動画での活動が既にスタートしていたおかげだ。
今までなぜ知らずにいたのかと悔やまれるほど衝撃を受けた。
その魅力に捕らわれたファンならば、多少の差はあっても動画視聴の手を
止められない時期があったのではないだろうか。
やがて彼らが本来は「リサイタル」あるいは「歌謡ショー」という名の
ライブ活動が中心のグループだと知る。
話は少し変わるが、筆者はSNS超初心者。これまで全く必要とも思っていなかった。
ところがリストラーズのためだけにと言っていいと思うがXに飛び込み、
まだひと月も経過していない。
右往左往しながら漂流したのち、親切なリス推しさん達に拾って?いや、
導いていただいて、浮き輪をつけながらもおずおずとXの海を泳いでいる。
導いていただいてからのある日、声をかけられ、あれよあれよという間に
先輩ファンの湯川さんのnote記事で初舞台に立つに至った。
自身のnoteも開設していなかった時で、今より更に超々初心者。きっと連絡ひとつ取るにもSNSおんちの筆者のせいで手こずらせてしまっただろうと
申し訳なく感じている。
その時も今も大変お世話になっているかただ。
長々と個人的なことを書いてきたのは、この経験が筆者にリストラーズの
スゴさを更に気づかせてくれたことがあったから。
短い期間で知ったXは、短文がスピーディにやり取りされる。
誰かがポストした記事にハートマークを付ければ、読んだよ、賛成だ、
いいねという気持ちがすぐに伝わる。中には返信をくださるかたもある。
また流れが速いので否応なく、言葉は木の葉のように流れ去っていく。
ところが、noteは違う。
自分の考えたこと、気になることを文章にあらわし、この「電脳空間」に
ドン!と広げ置き、しばらくの時間 どんな反応を得られるかが全く分からないのだ。
自ら望んだとはいえ、心の内にある考えが八百屋の大根のごとく、魚屋の
烏賊のごとく晒されたまま。近寄ろうか離れようかと、ただ見られるさまに似ている。
正直これは、恐ろしかった。
いいのか、ダメなのか、立ち去るのか、無視なのか、ただ気付いてもらっていないだけなのか、全く分からない。
白状すれば胃が絞り上げられるような時間に耐えなければならないことに
気づく経験だった。
幸い湯川さんから、コメントがあるよ、大丈夫とDMいただき、共感して
くださるかたがいらっしゃると知ったあと、へたり込むように眠った。
前置き説明が長かったのはお許しいただきたい。
ここでようやくリストラーズの活動につながれる。
お・ま・た・せ♡ 行っくよーぉ♡
彼らが活動してきたのは、ダイレクトに観客の反応が伝わってくるライブの場だ。
ウケたのか、やり過ぎたのか、喜んでもらえているか、巻き込んでいるか、瞬時に読める場だ。観客からの豊富な反応があり、リカバリーもその場で
出来る。もう一押しが必要か、あるいは
「ちょっとサムい顔してる感じだねー♡」
と反応を逆手にとって更に盛り上げるのか。
(嗜好が偏っているので使いたいんです、ゆるしてください)
なりきり野村さんが歌うDESIRE(中森明菜)で、いつもは不動の大西さんがノリよく動いてらっしゃるのはなぜだ?さだかとは言わないが、この曲のアカペラ編曲を担当なさっていて思い入れが強く、盛り上げたい気持ちから動きにつながったのではないか。
Get Wild(TM NETWORK)を単独リサイタルで発表した動画の00:32ころから
いつも以上に会場を見透かし、観客の心の奥まで反応を読んでらっしゃるように見える野村さんの表情の移り変わりは何だ?
上に書いた二つの例は単なる筆者の思いこみかもしれないが、ライブは
ダイレクトに反応を読み、加減を調整できる場なのだ。
それが、今は、無い!
動画は、ライブではないのだ。
全世界を陥れた例の騒ぎ、さらに草野リーダーの海外赴任と事情はあったにせよ、この転換は彼らにとってさえ簡単な判断だったとは思えない。
実際、衝撃が走ったと彼らの手で書き込まれたものを読んだ記憶がある。
今後どう変えるのか、どう打ち出すのか、考えを交換しあい、要望・希望を伝えあい、出来るのか続けられるのかを悩んだに違いない。
聴く、見る、嗅ぐ、触れる、観客の温度を計る、空気を読む、それが出来ない環境への転換なのだ。
まるで閉鎖された箱の中の覗き窓から外の様子を窺い知るようなものだ。
あるいはライブに慣れた人がいきなりラジオでだけ話せと言われることにも似ている。
動画だけになれば、ネットの反応を知ろうにもコメントを読もうにも瞬時に返ってくるわけではない。
しかも最大の問題は作品を出してしまったあとでしか、その反応が分からないこと。そこには取返しのつかない時間差がある。
彼らの周りには、頼りになる先輩やアドバイスをくれる友人家族もいると
想像しているが、たとえ厳しい意見であっても身内に近いかたの意見だけでは、それまでのライブで読み取れる情報量から比べれば格段に不足する。
それを、
かれらは、
超えた!
(ここで音楽♪ ㊟リストラーズ持ち曲からお好みでお選びください)
超えたあと、幾万倍のファンを呼び寄せるに至った。
もちろん筆者の臆病な心や小さな体験からの考えだから、検討違いも甚だしいのかもしれない。
だがリストラーズメンバーにせよ、人には違いない。
変化を超えるには、力が要る。
頭脳が要る。運も要る。努力も要る。技術もアイデアも。
出来ることと出来ないことが、まるで違う世界に飛ぶのだ。
どれをもってしても捨て身に近い覚悟が要るはずだ。
そう思った時、前よりさらに動画が愛しくなった。
もっと深く、さらに丁寧に観ていきたいと思った。
彼らはすごい。
リストラーズはすごい。
多くの人にそう言わせる陰にあるものを想像せずにいられないでいる。
< リストラーズは奇跡の塊 出会えたことに感謝 >
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