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趣味と判断の間で @リストラーズ 

リストラーズが 「リストラーズをしていないとき」

その時間を 想像してみないファンは おそらくいない。
しかし、かろうじて みな封印している。

好きなら好きな分 知りたいという気持ちが起こる。
が 空想までは許されるとしても 知り合いでもない個人のことを あれこれ
探るのは 気が引けすぎる。下手をすれば 犯罪に近い行為にもなる。

推し活を経験するまでは、この真反対の心の動きに つねに翻弄されるとは
思っていなかった。

かつて ライブ活動オンリーだったころ、ライブ中の時間と空間だけが
可視化された活動だったはずで メンバーとも同時進行。
リストラーズメンバーと一緒に 時間と空間が共有されていた。

今や SNSや動画を通じて 24時間、ファンはいつでもリストラーズを見る
ことができ その世界観に入ることができる。
彼らが 本業や別のことに時間を使っているあいだも その影響力は ファン
サイドだけで ひろがっていく。
仕事量の再生産性を考えれば 効率の上昇は はなはだしい。

変化は これだけではない。

リストラーズを応援するとき、
いったいどこまでがリストラーズとしての活動で どこからが個人の行動と
捉えたらよいのか。
実は これが筆者にとって 悩ましい。

彼らが リストラーズの活動を趣味という位置付けになさっている以上、境目が曖昧になってしまうからだ。

たとえば野球。
順位予想を見事あてられたら、次の年に選曲権を得られるというルールを
作っていらっしゃる。ということは 結果が音楽活動に結びつくと考えてよいのだろう。

過去、その成果は ゲットワイルドの大ヒットにつながり、今もぶっちぎりの動画再生数を誇っている。

 
麻雀というものもある。
キャラ付けでもあり 本業でもある リーマンの日常。 
厳密に言うと これは 音楽活動には全く関連していない。そのため 彼ら
個人個人共通の趣味のひとつという位置付けになる。
麻雀が リストラーズの活動に関係あるのかないのか、悩ましいところでは
ある。

だが「推しが 推すものは 推す」という考えかたがある。
ということは ファン個人の判断に任されているのかもしれない。
ただ 音楽関連ではないというところで 自分としては線引きを決めている。

 
更に 仕事関連のセミナーへのお招き。
これには正直 本当に参った。最推しさんの発言だったので 心が揺れた。

が、これも結局 個人の判断になるわけで、自分のなかでOKならOKだし、逸脱していると思えば 逸脱にあたる。
結果、自分自身の判断で ノータッチに決めた。

だからと言って、今後 最推しさんのすべてをノータッチとするわけでは
ない。自分の線引きの範囲を明確に持つ オトナ同士として 線を引くことにした。
 
リストラーズの活動というものが変化していくに従って、自分で判断する
範囲が増えていく。
リストラーズメンバーが、音楽活動は 趣味というスタンスを取られている
以上、限りなく自由度は高い。

つまり ファン側が個人で判断する機会が増え、気持ちの整理が必要になる。
念のため添えておくが、正しいか 間違っているかということを言いたいわけではない。もちろん ジャッジでもない。
個人個人の これまでの生き方をベースにした価値観の問題なのではないかと思う。
 
どこまでを「活動」と思い、どこからを「個人の行動 」と受け取るかの判断の繰り返しになっていくのだ。
 
他に推したことがないので 本当の基準は分からないのだが、だからこそ
自分の判断力を駆使し 自分で考える必要があるのかもしれない。

ともあれ リストラーズの音楽活動は 多くのファンを魅了し続けている。
その音楽活動に魅力がある限り 自由度も広がっていくのだろう。

今日も 変わらず 最推しさんは 画面の向こうから笑いかけてくださる。
楽しげに歌い踊り、その表現力を惜しげなく世界に放たれる。

その姿を見るのが好きだから 推す。 


< どこか万年 大学生のよう  なぜか万年 一少年のよう  >

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