もう戻らない秘密基地

 1学期が終わった。初めて社会人として過ごした数か月は、今まで以上に自分の能力の低さが目立つ毎日ばかりで、それなりにしんどかった(とはいえ、もともと大して自信があるわけでもない)。まあ、端的に言うとこれから40年学校教員は厳しい。授業外で費やす労力が多すぎる。
 ただ、1年と少し前までの自分と今を比べてみれば、随分とマシになったものだともまた思うのだ。当時の私は今のように、住んでいる部屋の家賃を自分で払うことなど到底できなかったのだから。

 本題に入ろう。私を現実世界もしくはインターネットで知っている人間の多くは、私を一言でこう認識しているのではないか。
 ──「バーの人」──と。
 その通り、私は確かに自分を主宰としてバー企画を運営していた。──秘密基地バー「少年少女絶対領域」、旧・健常者お断りバー「社会に中指立てていけ」。Twitterにおいて、この店の営業告知は私が発信する情報のうち主要なもののひとつであったことは間違いない。もっとも営業は週に1回で、もともと自分がよく足を運ぶバーの間借りという形態ではあったが。最初は単発かつ不定期の企画として行っていたものを、私が恒常的な企画として本格的に始動させたのが3年前の7月。実際のところ、これらの企画の発信に対してはそれなりの反響があり、私は期待に胸を膨らませてカウンターに立ち始めたのであった。

 結論から言うと、私はもう「バーの人」ではない「少年少女絶対領域」は、昨年の6月に営業を終了した。原因は主に2つ。このうち1つは終了告知の時点で公にしている。高頻度で来店する客が、私個人に対する迷惑行為を働いたからだ。売り上げという点ではその人物は大いにこの企画に貢献していたが、セクシュアリティという点でこの社会においては比較的珍しい"属性"を有している存在と面白半分で関わり、悪戯に消費するという、自己満足ありきの傍若無人な言動を私に対して繰り返したのである(私はこれを"領域侵犯"と呼んでいる)。別に一人だけ出禁にして営業を続ければよかったのかもしれないが、客を締め出してまで店を開ける気力はもう私には残っていなかった。
 さて、もう1つの理由についてであるが──

 ──時効だし、もういいだろう
 私が店を閉めたもう1つの理由、それは、単純に集客や収入の面で惨憺たる結果に終わり、店の主たる私自身のモチベーションの維持が不可能になったからである(その結果、まともな収入が得られないので生活がまともに立ち行かなったことももちろん理由である)。
 Twitterではそれなりに反響があったと先に述べたが、実際のところ反応を示したうえでの来店は極めて少数であった(当然、その数少ない来店者各位には感謝してもしきれない)。このような企画が成功しない理由のうち大きなものとして、例えば次の2つが挙げられるだろう。1つに、イベンターのコンテンツ力のなさ、2つに、イベンターの人望のなさだ。
 私は自分のアピールポイントとして、特段優れた何かを持ち合わせているわけではなく、また没頭するほど好きなものも(少なくとも当時は)ない(好きだと思い込んでいたものならあるが、別に好きで触れていたわけではないことを後に自覚している)。さらに言えば、話が上手いわけでもなく(直接話をしたことのある人間ならこれはきっと理解できるはず)、酒が好きなわけでもない(そもそも私は極めてアルコールに弱く、檸檬堂の3%を半缶飲むと寝てしまう。だいたい消毒液の香りがして飲んだら頭が痛くなるジュースとそうでない普通のジュースなら後者の方がいいに決まっているではないか)。それでも、「心だけが置き去りにされて、身体だけが大人になってしまった者たちに捧げる、少し贅沢な修学旅行の夜」というコンセプトだとか、ろくに酒が飲めないなりに作ってみたオリジナルのカクテルだとか、ない知恵絞って考えたと思うんだけどな。まあ頑張ったなら結果はついてくるというのはあまりにも安直で愚かな考えだ。加えて、私は店を告知するのに使っていたアカウントで全方位を絨毯爆撃するようなツイートをしまくっているから、人望がないのは正直な話ある程度納得できる(とはいえ、「河原町でサ〇ン撒く」というようなツイートをしない程度のリテラシーは辛うじてある)。
 店を始めたのが3年前つまり2020年の上半期だから、当初は自粛ムードに無理やり店を開けているせいで人が来ないのだと考えていた。だが、同時期に自分と同じようにバー企画を始める知り合いが何人か現れ始めたのを機にその認識は崩れることとなる。彼らの企画は、不定期に行われる場合ですらコロナ禍真っ只中にあって店が満席になるほどの盛況を見せており(流石に全員が全員ではないが)、恒常的な企画でありながら3週連続でボウズを記録する(19時から翌1時まで開けていたのだが、6時間F〇Oのイベント周回をするだけで営業時間が終わったこともある)ほど閑古鳥が鳴いていた私の企画は、もはや「コロナだから」という言い訳が利かなくなった。単純に興味を持たれていないだけだったのだ
 そうするとどうなるか。私が店を開ける意義は失われてしまい、しかし自分からやるといった手前簡単にはやめると言い出せず、ただただ私の労力とモチベーションだけが削られていく。客入りがなさすぎて営業末期には半分どうでもよくなっていたが、ろくに繁盛しないくせして「バーの人」とだけ認識されている事実はあまりにも哀れである。かといって、わざわざこちらから誘わないと来てくれない奴とか、来ても「行かないと関係が拗れそうで面倒だから」とかで仕方なく来るような奴のためにリソースを割く理由は私にはない。そうして途中からは惰性で営業を続けて、約2年が過ぎた。
 そろそろ限界を迎えそうな気がした私は、店を閉める1か月ほど前から、週に複数回、まとまった時間で入ることのできる別のバイトを探し始めた。教育系に絞って何度か面接を受けた末、私はどうにか児童館の学童保育補助スタッフという職にありつくことができ、採用の通知が入ったタイミングで営業終了の告知をしたのであった。

 これが、諸々の顛末である。正直、店を貸してくれたオーナーには後ろ足で砂をかける(店をやめただけで縁を切ったわけではないし、本人が営業する日には今でも普通に足を運んでいるが)ような真似をしてすまなかったと思っているのだが、私は自分の気が触れる前にそうならないような選択をした。そして結果として、私は教壇に立つまでの数か月を児童館のスタッフとして過ごし、退職時には円満に送り出された(送別会までしてもらえるほど!)。児童館でのことは以前書いた記事の中に詳しいので、気になったら読んでみてほしい。
 自分自身を商売道具にするような形態で働く中で、私はいつも自分を周囲の誰かと比較し(というよりは、状況のためにそうせざるをえず)、その度に行き場のない感情に苛まれてきた。子供と関わる仕事のよいところは、そういうストレスがないことである(子供相手に自分をよく見せようとは思わないだろうし、もしそうしていたとしたら相当器が小さいことは間違いないであろう)。学校教員を天職だとは決して思わない……が、これまでもこれからも、きっと私はどこかで、子供たちから時に元気をもらうことになるのだと思う。
 ──「かわいい」を抱きしめて。──


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