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楽しかった不便な時代

高度成長期の真っ只中に、片田舎で生まれた私。
幼い時の記憶はわりと残っていて、今でも脳裏にその頃の映像が浮かぶ。

電気は来ていたが、山の中なので水道はない。
水瓶に湧き水が出る泉の水を汲んで使っていた。
そうこうするうちに、ポンプなるものがやってきて、泉からパイプを通って蛇口から水が出るようになったのは幼稚園時代。
その頃洗濯機もやってきた。
脱水はローラーを回して洗濯物がペッチャンコになるアレだ。

風呂は2日に一度。
毎日だと泉の水が無くなってしまうから。
風呂炊き当番も好きだった。
松の枯葉や杉の枯葉はよく燃えるので、拾ってくるのは子どもの役目。
パチパチ燃えている火を眺めて、弟と芋だのスルメだの炙ったり焼いたり。
結局炭になることが多かったけど、それを見てケラケラ笑った記憶がある。

トイレは外の離れたところ。
夜は暗くて懐中電灯を持って行ってた。
もちろん田舎の香水と言われる臭いも。
今なら公害になるやもしれぬ。

夏は蚊帳をつり、障子を開けて寝ていたし、冬は障子の向こうは木製の雨戸であった。
雪が積もると雨戸を開けただけで眩しかった。
でも、寒さも暑さもそう気にならなかった。
そのうちそこに、ガラス戸が現れ、次にサッシが現れた。

買い物も月に何度か両親と買い出しに出かけていた。
冷蔵庫はあったなあ。
小さめのやつで、ワンドアで中の冷凍庫には、霜がビッシリ付いていた。

あっという間に半世紀が過ぎ、世の中が便利になり、スイッチどころかアレクサで事が済み、買ったものは届けられる。
それはそれで助かるが、あの頃も楽しかった。

未曾有の災害が数年事に起こる。
その度に避難所で不便な思いをされている方が大勢いらっしゃる。
ふと、あの頃を思い出す。
物がなくて不便だったあの頃。
避難所の暮らしとそう違わない気がする。
それでも楽しかったのは、家族でが笑顔であったから。

そう、どんなに不便でも、結局は家族や大切な人が幸せで笑顔でいれば、なんとかなるものだ。
しかし、大切な人が不幸になったりすれば、ダメージは遥かに増幅する。

一刻も早く、被災された皆様が笑顔を取り戻せますようにと願わずにはいられない。


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