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美しさを導くもの

”世界の教養”にミロのヴィーナス登場。

これはさすがに超有名なので私も知っていたが、細かい出自は知らなかった。
ミロ島で発見され、その時点ですでに腕は折れていたようだけれど、没収やら転売やらでどんどん出世してルーブル美術館に寄贈されるに至ったという。

ヴィーナスは有名だから、彫刻にした人はいっぱいいただろうに、どうしてこの像がここまで評価されているのか。
しかも、完全体ではなく、壊れている。
それでも、島で発見された時点で、その美しさは認められたのだろう。
そして、その後も美しさに対する評価は揺らがなかったから、出世していったのだろう。

残された胴体や足だけでも艶めかしい。
腕も、折れているからこそ、その先の想像力が働いて、広がりが生まれている。
顔は、それ自体をみなが美しいと思っているのかわからないが、私には、顔というよりも、まなざしの角度、口の意志力が美しいように思われる。
いずれにしても、現代の女性についての美の基準とは違うだろうけれど、その複雑な多くの要素のバランスで美しさが評価されたのかもしれない。

そんなミロノヴィーナスの美しさについて、それ自体の価値を考えることなく、単に両腕がないということだけで、訴えた者を勝たせてしまう裁判の愚かさ。そんな顛末も、教養の一部なのかも。
裁判には、完全体こそが価値あるものと評価せざるをえない限界がある。
裁判で美は判定できないのである。


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