大阪時評④

「敢えて言おう、想定内であると」

 昨年11月に行われた大阪市長選挙において、知事を辞職して出馬した橋下徹氏が圧勝した。
 知事時代、財政再建の為文化予算の削減を宣言し実行した橋下氏に対する演劇人の反発は、少なくとも私の周辺では小さくない。加えて、ポスト精華小劇場としての役割も期待され、前回で取り上げたナレッジシアターもいつの間にか暗礁に乗り上げている(そもそもは前阪大総長・鷲田清一氏の任期満了退任による学内人事異動に始まり、大学・市の足並みが乱れ始めたのが発端とも言われ、実行委員長の平田オリザ氏も実質「降りた」状態らしいとのこと)。それどころか去る1月、ナレッジシアターを擁するナレッジキャピタル自体への市費投入自体も白紙の状態となるなど、情報が錯綜しており、全ての動きを把握している演劇関係者がおらず、結局来年度にならないと何もわからないというのが原状のようだ。さらに、大阪の演劇関係者なら馴染み深いであろう、市の舞台芸術活動振興事業助成金が平成24年度上半期以降凍結とされるという突然の知らせ。元々00年代における大阪の舞台芸術は行政側の文化政策の迷走に翻弄されてきた側面もある。さらに、かつて「文化は行政が育てるものではない」と公言したらしい新市長の就任は吉報とは程遠く、嘆く人もいる一方、元々自分達は行政の支援なぞ受けずにやってきたのだから、とここぞとばかりにアピールする何食わぬ顔の人や、単に実感が無く他人事にしか感じられない人も当然いるだろう。
 いずれにせよ、重要なのは自分達のレベル-つまり小劇場演劇にまつわる利害のレベルだけでこの事態を受け止めてはならないということだ。言うまでもないが、ここまで公的支援がゼロベースに戻されるのは大阪という都市の芸術文化環境から見て問題なのだ。
 去る1月9日、大阪市中央公会堂にてシンポジウム「大阪の転機に、アーツカウンシルを」が開催された(アーツカウンシル=以下ACについて簡単に説明すると、芸術文化に対する助成を基軸に、文化政策の執行を担う公的な第三者機関。そもそも大阪では07年頃から民間レベルで設立に向けての動き
があった。シンポ詳細含めこちらを参照⇒ http://osakaac.exblog.jp/ )。
 行政が「文化を育てない」のならば、こうした機関の存在意義は大きいだろう。ACの導入を指示したのが、周知の通り大阪フィルハーモニー交響楽団や文楽協会への補助金カットを実行している当の橋下氏というのが何とも皮肉だが、導入されれば大阪の芸術文化に対する先進的なスタンスを内外に示すことにもなる。だが当然、ACの導入に関してはこれから超えなければならない課題が山積しているはずだ。
 しかし、「ピンチはチャンス!」―当日配布されたプレスリリースにあった文言の通り、私はこの逆境の中で未来を-芸術文化の正当性・根拠を自らの手で新たに創り出そう/創り出さなければならないという強い意思を感じた。大勢のアート関係者や観衆でごったがえす公会堂の一室。その緩やかな連帯の中に大阪の舞台芸術関係者がどれだけいたのか私の知るところではないが(リレートークゲストとしてはNPO法人DANCEBOX代表の大谷氏が出席)、ヒステリックに反ハシズムだけを喚いていても状況の打開に繋がらないのは確かであり、突破口があるとすれば、自分達の劇団いわんや小劇場演劇というセクトを超えて、このように大阪の芸術文化という広い視座でこの事態への具体的なアクションを構想することにあるのではないだろうか。

(「とまる。」NO.15 より)

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