「わたし(たち)」

 最近、31歳になった。
 先輩方からすると、どうやら私たち以降の世代は大阪で演劇をするには不幸な時代に生まれてしまったらしい。扇町ミュージアムスクエア、オレンジルーム、近鉄小劇場、ナカジマ・リクロー…等々、輝かしい固有名詞の数々が象徴するようなかつての輝かしい大阪なんて知る術は無い。だけど、私たちはそこそこ楽しくやっている、と思う。確かに精華小劇場は無くなった。ナレッジシアターもどこへやら。でも、お金は無いけれど、結局皆それぞれがそれぞれで好きなことを好きなように楽しんでいる今がある。それでいいじゃないか、と最近は思う。
 さて、社会の過剰流動化が進んだ結果、良い学校をでて会社に入り(正社員)結婚して家を買い育児をして定年過ぎれば年金をもらう、なんて一昔前の日本型モデル(つまりは安定)が、今の若者には一つの夢であり幸福/成功のモデルになった感すらある。そしてロスジェネ世代以降そこから零れ落ちた人たちは、人生における「幸福」や「成功」を再定義しなければならなくなった。同様に安定のモデルからほぼ外れる演劇人にとっても、「幸福」や「成功」を再定義とまではいかなくても、年を重ねるにつれ自然とどこかで再考する時が来る。この街で演劇を続けることにおいての「幸福」や「成功」とは何だろう?TVに出ること?バイトをしなくてもよくなること?このままずっとお芝居を続けること?そもそも、この街にそんなものはあるのかしら?そこには当然無数の答えがあり、答えを探し続けながら私たちは年老いていく。
 社会学者達に言わせれば、劇団ないし小劇場演劇というコミュニティは、絶えず成熟と自己啓発と能力開発を強要する新自由主義的な市場競争のセカイという「外部」からのアジールー「現代的不幸(小熊英二)」」を回避する「承認の共同体(鈴木謙介)」として機能している側面もあるのかもしれない。しかし「外部」へのまなざしはそこにあるのだろうか。社会制度や政治に対する異議申し立てをしろと言いたい訳では全く無い。「仲間がいて楽しければ、もう社会変革とかはどうでもよくなってしまうのではないか(古市憲寿)」というわけだ。もしかしたら、私たちが本当に幸福になるためには社会を変えることが最も必要かもしれないにも関わらず、だ。
 だけど、もう一度繰り返すがー結局皆それぞれがそれぞれで好きなことを好きなように楽しむことが出来て幸福なら、それでいいじゃないか、と思う。たとえ社会が変わっても、その時私たちはもうこの世にはいないかもしれないから。
 ただ私はひとりで、幸福になれない/なれなかった人たちのことの方をぼんやりと考える。いなくなった、やめていったあの人について、今でもふと考えることがある。演劇が幸福に結びつかなかった理由について。余計なお世話、不毛なことだとは重々承知の上だ。ただ、無数のあの人たちが今この瞬間幸福でありますようにとぼんやりと思う。そして私はいつまで此処に居続けることが出来るのだろうかと考える。
 気がつけば私も現場で自分より下の世代と関わることが多くなった。彼らの目に私の背中はさぞ頼りないものに写っているだろう。今の私は夢や希望を与えることは出来ない、手渡すバトンはまだ見当たらない。ただ彼らにとって、演劇が幸福なものであるように願うだけだ…またしても余計なお世話だが。

(ウイングホットプレス 2012年10月号 より)

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