最近のお稽古ベスト3

設定変更大学入学の時から、時系列で書こうとすると

モチベーション下がっていくので、好きに書くことにしました。笑


ここ最近の、大きな気づきや変化を感じるお稽古のベスト3を書いてみる。


◎境目を無くす(分離に気付いてはやめる)

→セレンディピティをキャッチしやすくなったし、自分の中の争いが減った

◎与えると受け取るの境目をなくす

→与えることと受け取ることを、区別してると、どうしても『お返し』という概念から離れられないことに気付いた。しかし、設定変更していると、お返しなんて全く追い付かなくなるほど受け取るものが増えてく一方で。

そこで考えたのだ。受け取ることと、与えることの境目を設けているからしんどいのだ。どっちも同じにしてしまおう、と。

そしたら、自分の「与える」と思しきものに特別なものを乗せなくなったし、「受け取る」ものを過剰に重たくしなくなった。

感謝は尽きないけれど、それは受け取ったものは「即お返し」を考えるような、そういう等価交換的な「はかれるようなもの」ではそもそもないのだ。

◎理解しようとするのを諦めた

→これが、ここ最近の一番大きな取り組みかもしれない。というのも、私はずっと『理解しよう』と努めてきたから。

理解すれば伝えられるし、理解するからこそ的を得た実践ができるし、その先の確信を掴めるのだと思っていた。

しかし、一向に理解の対象がなくならない。

むしろ、理解すればする程、あらたな認識が広がって、理解することが増えてゆく。笑

それでも、それが楽しかったから悶絶期→理解の喜び→悶絶期→理解の喜び、と繰り返してきていた。設定変更の前からそういうもんだと思ってた。

しかしそれが少し前に、パンクした。笑

そして、「わからない」ことに降参した。

今回自覚した、私の執拗なまでの『わかりたい』は、元を辿ると女性性否定だったり、なんか芋ずる式で出てきたのだけど、長くなるのでまた別の記事で🍠


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