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暇を、潰す

 ラッセルの『幸福論』が登場するで有名な『狂四郎2030』アルカディア編であるが、読後感が中々に悪いので元気な時に読むことを勧める。実際その内容に目を通してから、私の心の中に満たされない隙間があることに気づいた。

幸福とは何か。何をすれば私は満たされるのか。寝る前にスマートフォンに指を無造作にぶつけて時間を潰していることに意味はあるのか。
きっと意味はないだろう。これはきっと「浪費」ではなく「消費」だ。ただ満たされないパッケージ化された概念を貪っているだけである。

インプットでもアウトプットでもない虚無の期間はポスト・フォーディズムの資本主義において無駄としかいいようがない。

 そこで、今さっき思いついたことを推敲もせずに書き殴ることにより、私のこの虚無の動作に“意味”を持たせたいと思う。

こうした動機で綴られる文章はジャンルとしては随筆に当たると思われるが、その中でも「暇を潰す」というのは無敵系の、何でもありのタイトル設定だと私は思う。既にお察しの通り、これまでもここから先も私の独壇場である。
誰も私を止めることはできない。かの大歌人、尾崎放哉もきっとこういう気持ちで咳をしたのではないだろうか。

 突然の告白になるが、私は前職では「口内炎のコンサルティング業」をメインに行なっていた。

その「突然さ」に対して謝罪をするつもりはない。告白とは得てして「いきなりなもの」であるため、なんの問題もなかろう。

準備に準備を重ねた、舗装路を通ってきたような打ち明けはテンションが上がらない。対象にサプライズを悟らせては負けである。
意外性は相手の判断力を鈍らせる。そのためには場所も時間も選んではいられない。バス停でも、映画上映中でも、結婚式当日でも何でも構わない。だが兎にも角にもその場にいる誰もが予期せぬタイミングでのカミングアウトが重要であることは、皆の知っての通りである。

もちろん、告白を今までしてきたことのない意固地な方はここでいう皆に含まれていない。また、その方々に向けて発信することは今後一切何もない。それは非常に角が立つ言葉遣いである為できればこれ以降は用いないように心がけさせていただく。

では、話を戻してその業務は具体的にどんなことをするのかと言われれば「そこまで考えてなかった」と返すしかない。私はストイックだ。自分の発言の弱点に真摯に向き合うことをモットーとしている。

 そういえば最近、“モットー”という言葉は何語なのか分からなくて夜な夜な歯痒い思いをしている。私が高校生の頃に使っていた英語の教科書は、文章の両端に日本語で初見の言葉の意味が記載されている親切な設計であった。

その語句欄において、「モットー」は「モットー」とそのまま載っていたような覚えがある。トートロジーかと思ったことを鮮明に記憶しているから間違いない。ただ一方で私はこの「モットー」という言葉をあまり使わない。

多分死ぬまでに数回口に出せればいい方だろう(「口に出す」という言い回しに引っ掛かりを覚える場合、もう既に手遅れなのでそうした方々も救済することはない)。将来私が遺言状を書くことになったとしても、この判然としない単語は絶対に使わない。それくらい私との彼との関係は薄い。夜中に携帯電話をポチポチいじって、偶然に偶然が重なり、初めて自発的に捻り出た貴重な語句なのである。ムカシトンボと言ってもいい。

果たして「モットー」は何処からきて、これから何処へ行くのか。この後は時代と共にどんどん廃れていき、やがては死語となってしまうのか。私が子供を産んだ時、愛する我が子に「モットー」と名付けたら父は悲しむだろうか。

特段キラキラネームでもないのに、「悲しむ可能性がある」という発想になるのはこの言葉にセンスが感じられないからなのだろうか。自分の両親が名前においてセンスを求めているならそれはそれで悲しいが。

 さて、たっぷり時間を稼いだところで、業務内容を強いて挙げるとすれば、不意に唇を噛んでしまい発生した“口内炎の子供”をどう成長させ、独り立ちさせるのかを考えるビジネスというくらいの姑息療法は思いつくだろう。

 コンサルティング業務というのは多岐にわたる。高校受験編と大学受験編、自動車免許取得編の三本柱でやっていけたら弊社にとってどれほど幸せか。ただいくら一生懸命勉強して賢い大学に入り、就職活動をこなしたところで最終的に口内炎はチキン屋になる未来しか残っていないことは揺るぎない。セミのように儚い生き物だ。私はきっと友達にはなれないだろう。彼らはLINEをやっているのだろうか。

(念のため注釈を入れるが、「チキン屋」というのは一種のネットスラングのようなもので、あまり深い意味はない。)



 ちなみに、今回の話は基本的に嘘なので「そのコンサルティング業務っていうのは詰まるところ歯科衛生士のことなのか?」などと真剣に考える必要は一切ない。私はプードルだ。群れ一番の野心を備えた気高いプードルである。


 以上が今回の内容である。
本当のことを言うと私はウエハース星からやってきたウエハース姫である。“みんなみんな生きているんだ友達なんだ”という歌詞は、私のような菓子を想定されて書かれたものなのだろうか。貴方はそこまで考えが及んだか。及んでいないのならば、それが人間の発想の限界である。

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