乳ガン闘病の日々

8月以来の日記。2か月半ぶりになる。
あっという間だった。
盛夏から秋へ。季節もうつろいだ。

9月5日に入院が決まり、7日に手術となった。
きっと暇な時間がたくさんあるかもしれない。と呑気に「資格の勉強でもしよう」と思っていた自分。しかし現実は持参した本二冊もろくに読めず、お手紙もやっと三通書けたくらいの慌ただしさだった。

毎日毎日、次々と看護師さんと担当医の出入りがとにかく多くて 名前を呼ばれると同時にサッとカーテンが開けられるのに慣れることがなかなか出来ずに、毎日閉口していた。

4人部屋で、私より1日前に入院している主婦の方がいらした。彼女は抗がん剤治療を一週間する予定だった。
日に日に彼女が弱っていく姿に恐怖を覚えた。。
私は人一倍繊細で敏感なHSP。
食事の咀嚼音を含めた生活音を出さないように無意識に気を遣って、毎日グッタリしていた。

同室の彼女はとても暗く、将来を悲観していた。
夫婦仲も冷え切っていて会話がない。そう愚痴をこぼしていた。
暗さに飲み込まれないよう、彼女が密かに希望しているイギリス旅行を叶えるように励ました。

そして手術当日がやってきた。
この日は3人手術する予定で、私は三番目とのこと。
朝6時から食事代わりの点滴が始まった。

双子の姉が遠路はるばる来てくれて、手術前に15分だけ話すことが出来た。うれしかった。

結局手術は15時から始まり、手術室へ。
手術台に乗ってから睡眠作用のある点滴が始まり、麻酔前にスーッと いつの間にか眠りに落ちていった。

そして名前を呼ばれて目が覚めた。
ぼんやりと視界に心配そうな表情をした姉の姿が見えた。
手術は三時間半かかったそうだ。

それから部屋に戻り、15分置きの血圧測定と検温。少しすると30分置きになり、点滴が取れたのは夜中の3時を回っていた。
無事に右胸と転移したリンパ腺20個を摘出。
心配していた痛みもあまり感じなかった。
右胸を取った喪失感も殆ど感じなかった。
ただただ、悪性腫瘍が身体からなくなったことに安堵した。

入院して10日後に退院。
毎日、たくさんの看護師さんが出入りするので私はひとりひとりに質問をした。
「今まで観た映画で一番のオススメはなんですか?」と。
多かったのが「最強のふたり」という洋画だった。皆さまはご存知かな?
車椅子の大富豪の年配男性を黒人男性がお世話する、コメディタッチの実話。
アマゾンプライムで観ることが出来た。
感動した。オススメ。

遂に退院日が来て、また姉が来てくれた。
ありがたい。
解放されて自由が戻ってきた。

安静にしていなければならなかったのだろうが、私は「リハビリ」と思って翌日から在宅ワークを始めた。その翌日もボランティア活動でカウンセリングをした。

そのせいもあったのか振り返ればわからないが、術後の傷口の経過がよくなかった。
傷口からウィルスが入ったのか、ある日39度の熱を3日間出したこともあった。
傷口も形成外科を含めて三度も縫い合わせ、それがけっこう心身共にダメージが強かった。
落ち込み、一週間くらいうちに閉じ込もっていた。やっぱり、しっかり静養はしないといけないと学んだ。

術後、やっと1か月して傷口がふさがった。
それからまた次の段階の治療法が提案された。
ホルモン剤、抗がん剤、放射線の三つ。
髪の毛がすべて無くなる抗がん剤治療をしても、再発の可能性はゼロではないらしい。
私のロングヘアを失うことには耐えられなかった。
なので抗がん剤治療は拒み、ホルモン剤治療と放射線治療の二つを選択した。

先日からホルモン剤治療が始まった。
一カ月毎日クスリを飲む。
来月後半から放射線治療の打ち合わせをする。

乳ガン闘病の日々は続く。
10年単位で治療していく。
気長に付き合っていくしかなさそうだ。

入院中に、退院後にしたいことリストを作成して退院してから実践して楽しい日々。
人生、一度きり。
毎日笑顔になる方向を目指そう。
今はそう思う。

#乳ガン闘病
#日記

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