運転免許の更新停止は正義か?
2022年5月から免許更新のルールが変わった。詳細はこちらの記事を見て欲しい。https://www.fnn.jp/articles/-/292949
さて、一見私はこの記事を見て安心した。しかし、よく考えれば社会的にはこれは正義なのだろうか。
社会は安全保障という責務の遂行を全うする姿勢を取った。その反面、社会は車がなくても生きていける社会づくりをしていかなければならない。それはつまり、富山市のようなコンパクトシティづくりや、過疎部への出張販売、在宅介護の充実が求められることも同時に意味する。非高齢者にとっては一見安心のように見えるが、実際のところはそうではない。北陸に住んで痛烈に思うが、車を運転できるというのはある種、健康寿命を維持するための手段となっている。車があるから、様々な刺激を受けることが出来るし、今の生活がある。車が無ければ何もできない人たちが車を運転できなくなった際に提示される手段は引っ越すか施設に入るの二択。仮に子どもの家に入るとしても介護を受けたり、一緒に生活する経済的ゆとりがある家庭は少ないだろう。それに、今はコロナ。移動が多い若者と労働者と同じ場所に高齢者が住む場合、感染リスクはいっそう高まる。また、運動の機会や、会話の機会が減り、健康寿命も短くなりかねない。事故を起こしたくないという欲求と、生活が出来ないという欲求。安全が担保された社会をつくるという責務と、人々の生活を保証するという責務。この葛藤が現時点で見て取れる。畢竟、今回の決断は社会保障という側面をある面では満たすが、ある面では損なう決断だろう。アイリス・マリオン・ヤングの思想がここでも見て取れる。彼女は社会の分配的パラダイムにおける不正義として抑圧というシステムがあるとしている。抑圧には5種類の諸相が存在し、それが無力化、周辺化、暴力、文化帝国主義、搾取だ。今回はこのうちの無力化、周辺化に当たる。まだまだこの辺りは勉強途中で深く探れない。しかし、確実に言えるのは今回の決定は人々の生活を大きく揺らがし、今後の人生計画の大きな指針を与えるものとなっているという事実だろう。
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