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人「間」

全ての人「間」には適切な距離がある。人間関係が上手くいかないのはどちらかが近付きすぎたり、遠のきすぎているから。またこの人「間」は二人で作るという性質がある。だから互いにどのような関係をむずびたいのかを提示する必要がある。ここに個人の正義や価値観を主張する権利と義務が生じる。だから、私は絶えず自分自身の思想を唱える。それがあなたにとって不正義ならそれでいい。自分と異なる正義であると認識されない正義は主張でも意見でもなくただのぼやき、しかも私という存在自体をかすめるぼやきだ。だから、各人は自身の正義を追求し、磨き上げる必要がある。


私の正義が許容できないなら許容できるか、私の正義を感じないところにいけばいい。しかし、その選択をする前にまずは自身の正義を主張することが前提だ。正義の対立はある種健全であり、ある種不健全である。しかし、人類史の発展や人間関係の深さを追求するには互いの正義をアウフヘーベンして倫理を作らなければならない。正義と正義の衝突だけを繰り返す時代は終わった。今は衝突を止揚した倫理(和辻哲郎:倫とは仲間、理とはことわり、つまり倫理とは人間共同態の存在根柢としての秩序である)を作る時代である。しかし、倫理は正義の止揚の結果であるからあなたはあなたの正義を主張し、私は私の正義を主張しなければならない。

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