なぜ「クモハ」と言うのに「キクハ」と言わないのか

先日高校時代の部活仲間が、仕事で鉄道関連の知識が必要になったらしく、特に気動車周りの知識をあれこれ、レクチャーする運びとなった。

その中で、「この列車は、キハ○○、こちらの列車はキハ✕✕というのだ」という話をした際、お決まりの質問、
『『キハ』とはどういう意味?』
のような話が飛んできたので、こちらも
「『キ』はディーゼルエンジンで動く車、『ハ』はグリーン車ではない普通車の車両、の意味だ」
と、これまたお決まりの回答をした。

すると、向こうは
「なら、普通の電車は『ハ』になるのか」
という理解をする。これはそうではない。
「違う、電車の場合、モーターの付いている電車は『モ』、モーターの付いていない電車は『サ』、運転台の付いている車両は『ク』。ゆえに、モハ、サハ、クハのような――」
と回答したところで、「あっ」と思った。

この理解をそのまま気動車にも適応されてしまうと、
運転台付きの気動車:キク
という解釈をされかねないのだ。

結局、その場は「気動車と電車では命名ルールが違って、とりあえず気動車にはキハとキロしか基本的にないから、今は気にする必要はない」とお茶を濁して、その場を切り抜けることにした。

本稿では「なぜ『クモハ』とは言うのに、『キクハ』とはわざわざ言わないのか」という理由について、考察を含めて述べていきたい。

そもそも『モハ』とか『キハ』はなんなのか

われわれ鉄道趣味者においては『モハ』とか『キハ』のような言葉は使い慣れているがゆえに、あまり意識して使うことがないが、念の為ここで簡単に整理しておこう。

そもそも、この呼称は基本的にJR、それもJR四国を除く各社でのみ使用されている。もともと、JRが分割民営化される前、国鉄というひとつの大きな公企業だった時代(厳密に言えば更に前の鉄道省や鉄道院時代)に、車両の区別を付けるためにルール化されたものがことの始まりだ。

車両がそんなに大きくない私鉄であれば、あれは一〇〇系電車、これは二〇〇系電車、のような付け方をしてゆけばよいのだが、こと国鉄は所有するが全国に跨っており、種類も電車、気動車、客車とよりどりみどりの状態であった。

これをもし登場順に振ろうものなら、一〇〇系は通勤電車だが、二〇〇系は寝台客車、三〇〇系は郵便電車とメチャクチャなことになってしまう。これを一定のルールの下、統一して表記するため
前のカタカナで車両の種類を示し、後ろの数字で車両の使い方を示す
というルールで車両を指し占めることになったのだ。

そして、この「車両の使い方」――例えば、客車であれば普通車やB寝台車とか、グリーン車などの区別、貨車だと屋根があるのか無いのか、それともタンク車なのか、はたまた砂利を運ぶ専用の車両だとか、昔であれば郵便物は鉄道で輸送していたから、「郵便車」なんていう区分もある――に関しては、基本的に客車であろうが、気動車であろうが、電車であろうが共通のものを使用している。

一方で「車両の種類」を示す方法は客車・電車・気動車でそれぞれ別のものが使用されている。

まず、客車の場合は重さで記号が決まる。「スハ」「マイテ」「スロネ」「スハフ」などといった具合だ。カ→マ→ス→オの順に軽くなる仕組みで、これは恐らくだが客車は編成全体の重さが一発で分からないと組成(編成を組むこと)が出来ないので、それに着目した仕組みになっているのだろう。
また、展望車にはお尻に「テ」、緩急車(雑な説明をすると車掌室があって、なおかつブレーキが付いている客車)には「フ」を付けるという決まりもある。

(なお、『「組成が出来ない」なんて、事前に計画していれば問題ないじゃないか』という声が聞こえてきそうだが、特に、貨車に関してはこの重さが割と重要で、1970年代までの貨物列車は道端の郵便ポストに入った郵便物のように、「その駅の貨車用のホームに溜まっている貨車を、時間になったらまとめて持っていく」という極めて雑な仕組みだったため、担当する機関車では引っ張りきれるのか判断する必要があったのだ)

電車の場合は、モーターがついていれば「モ」、付いていなければ「サ」、さらに、制御車、要するに運転台がついてれば「ク」が付く。ここは単純で、1950年代以降に製造された、少なくとも現存現動する車両はすべてこのルールに従っている。
電車にも組成上の問題がない(極端な話、全部「サハ」の電車は動くことすら出来ないはずだ)こともないのだが、そもそも「理論上無限の組み合わせが可能!」だった客車と異なり、1950年代以降の電車は「モーター車何個に対して付随車何個」のように組み方のパターンが限られるので、わざわざ形式のレベルではで区別する必要はないから、シンプルな構成になっている。

そして、気動車の場合は更にシンプルである。
原則エンジン付き、の意味を表すの「キ」しか存在しない。
ただ、例外がいくつか会って、国鉄時代に特急形として活躍したキハ80系・キハ181系に存在した「キサシ」――これは、エンジンをもたない、食堂車――と、JR四国のイベント列車にキクハ32というのがある。(これは後述)

なぜ、気動車には「キ」しか存在しないのだろうか。
それは気動車、という車両の特徴が起因している

気動車という車両の特徴から見てみよう

まず、気動車という車両はどのような場面で活躍しているだろうか。

少なくとも、山手線や、東海道本線といった大都市の中の路線や、大都市同士を結ぶ路線ではあまり用いられていない。どちらかというと、地方都市の郊外や、地方都市同士を結ぶ路線などに用いられていることが多い。

そういう路線は、少なくとも山手線などに比べると両数は格段に短く、3両、下手すると単行の場合もある。「なんだか短くて寂しいなあ」という気持ちもしないこともないが、この「編成が短くても運転できる」というのは気動車の最大の特徴で、これが「キ」しか存在しない理由のひとつなのだ。

気動車の中でも、いま一般的に用いられているディーゼル車というのは意外と開発が遅く、電車は明治時代くらいから存在したのに対し、気動車が本格的に日本で用いられるようになるのは戦後の話だ。

『自動車は大正時代にはあったのに』、と思う方もいるかもしれないが、これはディーゼルエンジンを用いた総括制御――ざっくりいうと、1号車の運転台で操作したブレーキや加速の操作が、2号車や3号車にもちゃんと伝わること――の実現が難しく、1両編成より伸ばせなかったというのが起因だ。

今走っているようなディーゼル車の登場まで、電車の走れない非電化線区においては、蒸気機関車が活躍していた。蒸気機関車には少なくとも機関士と機関助士の二名の乗務が必要で、なおかつそれなりの長さの引く客車が必要だった。また運行中は機関車から煙が出るので、大変に煙く、労働環境としても芳しくなかった。
一方で、気動車は運転手は一人でOK(信号周りの連絡係として助士が乗り込む場合もあったようだが)だし、煙は大幅に減る。最低機関車+客車の2両だった気動車とは違い、1両編成からの組成が可能で、お客さんのニーズに応じて短くしたり、長くしたりすることができる。

この、「短くしたり、長くしたりできる」というのが気動車の最大の特徴で、電車には真似ができないところなのだ。

電車の場合は、おいそれと5両編成を6両編成には出来ない。先に述べたとおり、モーターの付いている車両と、付いていない車両の比率が決まっているので、それが崩れるような連結はできないのだ。多くの場合「6両編成に4両編成を足す」ような、それなりの長さ同士の列車をつなぎ合わせるような仕組みになっていることが大半だ。
(近年は、地方都市近郊で2+2のような編成も増えつつあるが)

一方で、気動車が走っている区間だと、「4両編成を8両編成にしないといけない」という事態になることは、朝夕や盆正月などを除くとあまりない。どちらかと言うと、2両を3両にしたいとか、そういう細々とした需要に応える必要がある。

また、車両のやりくりの問題で、古い形式のディーゼルカーと連結する必要が出てくるかもしれない。そのため、電車の場合は連結相手の形式は限られるが、ディーゼルカーはフレキシブルに出来るよう、少々年の差コンビでも連結できるような仕組みになっていた。

すると、2両編成のお尻にくっつけられた車両に、運転台がないというのは困る。また、大抵の場合2両などの短編成で使われることが多い、と考えると、正直、運転台のない、いわゆる中間車というのは作ったところで使いにくい車両になりそうだ。

――ということで、大抵のディーゼルカーは単独で走行できるよう、少なくとも前後どちらかには運転台が取り付けられている。故に、わざわざ「運転台付」の旨を一文字使って表現する必要はないのだ。

無論、例外なき原則はない。急行型や特急形には当然のように両側に運転台の存在しない形式が存在する。優等列車の場合、4両や3両など、ある程度の長さを持って運転されることが多いからだ――ただし、わりと組み合わせは自由な物が多いらしく、検査のときなどは「1両編成」で走る姿なども確認できる程度には、こちらもフリーダムだ。

ここで、「しかしながらにして」とキハ58とキハ28の組成問題にあるような、『エンジンの数とサービス電源の数問題』でも論じようかと思ったが、流石に稿が長くなりそうなので自重する。興味がある方は、調べてみると面白いかもしれない。

電車と気動車で表し方のルールが異なるのは、このようなそもそもの使い方から生まれた車両構造の差、と言う所が大きいのだ。

実はキクハはある

ここまで延々と述べてきたキクハ問題だが、実は「キクハ」を名乗る車両は前述したとおり存在する。国鉄末期に制作されたキハ32系の一種であるJR四国のキクハ32だ。

電車のイメージだと、キクハと書くと運転台の付いた、ディーゼルエンジンを持った車両、となるが、そもそも延々述べてきたように「キ」にその意味があるため、「キク」は異なった意味を持つ、と解釈されることになっている。この場合は、「気動車に連結されるが、エンジンをもたず、運転台だけを持つ車両」ということになっているらしい。

この車両はいわゆる「トロッコ列車」というやつで、1両編成のディーゼルカーのお尻に連結されて使用される。すると、後ろ側にも運転台がないといけないのだが、1両で十分牽引出来ると重さなので、エンジンは取り付けず、運転台だけ取り付けるという判断になったのだろう。
(正しく言えば、キハ32を改造しているので、「エンジンを取り外して、トロッコ改造した」というべきだろうか)

おわりに

友達に聞かれた話を、ちゃんと説明できるか? と思って編集していたところ、思いの外長い話になってしまった。正直なところ、ちゃんと文献を引いて記述していないため、あやふやや解釈違いな内容があるかもしれないが、その点はご容赦いただきたい。

また、若干手前味噌的な話題になるが、最近、KADOKAWAとはてなが協働して運営されている小説投稿サイト「カクヨム」にて「降りて、乗って、そして。――僕、目覚めたら首都が京都の世界にいました――」という、SFなのかラブコメなのか、はたまた青春ドラマなのか鉄道モノなのか作者当人にもよく分からない作品の連載を始めた。是非ご興味があればご一瞥いただきたい。(なお、現状今回の記事の内容は一切小説中に登場しない)
最近この小説を書いているのもあって、鉄道にまつわる説明に関してのスキルを上げたいなあ、などと思いながら、本稿の締めとさせていただきたい。

2021年1月27日 北白川このえ

【小説へのリンク】
降りて、乗って、そして。――僕、目覚めたら首都が京都の世界にいました――(北白川このえ) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354055546932339

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