完璧主義ってなんなんだ?

そもそも主義って自分の中にあるものよね

どうも、ギタリストの北島健吾です。これね、書いてるの朝の4:30。やばいよね。やばすぎて出川哲朗でちゃうよね。

まぁそれはいいとして、今日ふと思ったのは完璧主義ってなんなのか?ってこと。

完璧主義の矢印って内向き?外向き?

ぼくは完璧が好きじゃないんですよ。基本スタンスとしてはある程度のところでまぁいいかってなる方です。当然人に対してもそうなります。

これが、フラットな感覚だと思っていたんですが、今日は出先で「それ完璧主義じゃねぇの?」って言われたんです。

ちょっと納得はいかなかったんですが、後から考えればそうなのかなと思いました。

自分に根付いているもので、『完璧はまるで圧のように求められるもの』っていうのがあります。

要は人は厳しい目を持っていると思い込んでいるんですね。

たとえば、チューニングが甘いだとかリズムが甘いだとか。実際に大事だし、人を気持ちよくさせるにはとても重要視する部分だとは思います。ちゃんとした内容を提供したい。それはわかる。

ただ、きちきちやらないとダメだからやる、っていうのは全く楽しんでない状態なんですね。いわゆる受動的な状態。突き動かされて、完璧を求められてるんじゃないか?って思い込んでる。

最近は、気分が向いてる時はやりすぎなくらい詰め込みますが、基本的につめは甘い方だと思っていて、考え続けてもしょうがないやーってアウトプットしてしまいます。

例えばですが、仕事で完璧な製図をしないといけない。そんな状況があったとします。

まっすぐ、垂直、歪みなく、いわゆる『ちゃんとしたもの』を求められていて、何回アウトプットしてもOKにならないとします。

それは、完成形が決まっているのに対して、自分は自分なりに頑張ってもちょっと歪んでしまったりとかするんですね。

五線譜とか書いててもそうですが、縦の線が綺麗に揃ってないとか、音符同士の隙間が均一じゃないとか。いろいろなところが見にくいとします。

一人でやってると、別にいいじゃんって思うし。言われてやってると途中で飽きてくる。

でも、誰かを喜ばせるためにプレゼントとして、一対一のお客さんだったりするとすごく丁寧にやるんですよね。

喜んでもらえるのが嬉しいから。「もうちょっと見やすくしてあげたいな」「ギターの運指悩んじゃうだろうから指番号もふってあげようかな?」とか。自発的に。

これが間にワンクッション入って、お客さん|出版社|自分っていう風に依頼がきた場合、お客さんのためにやってるっていうよりも「出版社を納得させないといけない。」っていう基準になってきて自発的なクリエイティブじゃないんですね。

プレゼントは直接渡すからめっちゃ気合い入れるけど、プレゼントを作って納品して、納品したものをユーザーに渡すっていうのは自分のなかで熱が冷めてしまう。

雇われ仕事をやりすぎると、刷り込まれた完璧主義になるのかもしれない。圧倒的に無意識。自分は完璧主義じゃないつもりなのに。

実際は、そこまで厳しい目を持ってはいない

実際にアウトプットをしてみると、自分がこれが基準値って思わされてきた出来に到達できていなかったとしても周りが熱狂してくれることってあると思います。質は高い方がいいとは思うけれども、それよりもマインドや成長過程が大事なのかな?と思います。

『世の中は完璧を求めている』ではなくて『完璧を求めている世の中だと思い込んで完璧主義になろうとして疲弊する』がただしい構図かもしれませんね。

なんとなくてもいいからやっちゃえばいいと思います。完璧なんて絶対ないから。

びびってんじゃねぇ

自分のiPhoneの待ち受け画面には『びびってんじゃねぇ』と手書きで殴り書きしたものを使っています。有料記事ではそれについてちょっと触れますね。

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